グリーンフラッシュ

☆主な登場人物
 ・前園花音(まえぞのかのん) 東京からの内気な転校生。
 ・飯島茉莉(いいじままつり) 昴の幼馴染。花音と積極的に友達になる。
 ・西崎昴(にしざきすばる) 茉莉の幼馴染。無口でクール。天文部部長。


1.

思わず触れたくなるフワッとした長い髪に、ブラウン系の色素の薄い瞳が印象的な女の子。
前園花音が東京から転校してきたのは、田畑につがいの赤とんぼが飛ぶのが目に入る季節だった。
東京と聞くだけで、クラスはざわめく。おまけに人形みたいに目立つ外見をしている花音の事を、一瞬にして自分達とは別世界の人間だと決め付けたがる雰囲気が生まれた。

「あの子、やけに派手じゃない?」
「東京だってー…何か生意気そう」

こんな噂をされ、花音は何をしたという訳でもなかったけれどクラスから浮いてしまった。
東京から来た少し洋風な顔立ちをした花音に、女子は嫉妬の何物でもない気持ちをぶつけていた。
そんな中、飯島茉莉だけはクラスメイトの意見など無視して、花音に向かって普通に声をかけた。

「私、飯島茉莉って言うの。趣味は携帯小説を読む事。放課後はだいたい天文部で適当に過ごして帰宅するパターンが多いかな」

気さくな笑顔で、茉莉は教科書を開いてすましている花音に話しかけた。
花音は最初けげんな顔で茉莉を見上げていたが、差し出された手に応えない訳にもいかないと思ったのか「よろしく」とだけ言って軽く握手を交わした。

「いきなりだけど、あなたのこと花音って呼び捨てにしていい?」
「え?」

握手したとたん近い付き合いの人間のように振舞う茉莉の態度は、花音だけではなくてクラスメイト全員がビックリしている。

茉莉は少し男性っぽい気性が入っていて、あまり計算の働かないタイプだ。ストレートだし、裏表で顔が違うっていう事もない。だからほとんどの生徒から好かれているし、中学時代は生徒会の副会長もやっていたぐらいだ。

「前園さんとか呼んでも、遠い感じするじゃない?私の事は茉莉とかマツって呼んでいいよ」
もうこの学校で仲良しなんか作る必要無いと半ば諦めていた花音にとって、茉莉の強引な自己紹介は結構嬉しいものだった。


花音の父親は作家であり、放浪癖のある困った性分の人だ。
2年くらい同じ土地に暮らすと、インスピレーションが沸かなくなると言っては引越しをする。どうせなら長期旅行などで一人で出かけてくれればいいのに、家族がいないと寂しい…などと言うから家族は振り回される。

「へえ、じゃあ花音はこの学校で転校いくつめなの?」
茉莉が興味しんしんな顔で聞く。
「数えた事ないよ。友達だって1ヶ月メール交換したりしても、結局自然消滅だし」
冷めた調子で花音は窓の外に目をやった。

放課後の教室にはもう誰も残ってなくて、夕暮れの光が床に長い影を伸ばしている。

「さて、一応今日も顔出しだけするか」
そう言って、祭りは腰掛けていた机から飛び降りてスカートのしわを伸ばした。

「顔出し?」
「良かったら花音も来る?天文部。超オタクの西崎昴っていう男しかいないんだけどね」
そういえば自己紹介の時に、天文部に顔を出すとか言っていたな…と、花音は思い出す。

天文なんて興味も無かったし、何となく暗いイメージがあったから花音は一緒に行くのはどうかと悩んだ。

「昴は私の幼馴染でね、オタクだけど悪い奴じゃないから。紹介するよ」
花音が何も答えないうちに、茉莉は彼女の腕を引いて歩き出した。

「待って、私のカバンまだ用意してないよ」
「あ、そうだった?じゃあ…ホラ、早く用意して」
まるで姉のような茉莉の態度に、花音はちょっと笑いたくなった。

ずっと転校続きで仲のいい友達なんて滅多に出来た事はないけど、茉莉には特別親しみやすい気持ちが沸いた。



天文部は予想した通り、薄暗いサークル棟が並ぶ一室にポツンと存在していた。 
両隣が写真部と漫画研究部で、この日はどちらにも生徒がいる気配はなかった。
薄いベニヤでしきられたこの古い部室では、とても一人で来る気になれない雰囲気だ。
花音は何となく、部室に入るのが嫌で、帰る言い訳が無いものか考えていた。

「あ、私…洗濯物とり込むのをお願いされてるの。それに夕飯の支度もしないと」
部室一歩手前で、花音が大きな声を出した。
茉莉はその声に驚いて足を止める。

「え、お母さん働いてるの?お父さんって小説書いてるから家にいるでしょ?」
「両親とも家にいるけど、お母さんは体が弱くて寝てる事が多いの。お父さんは書斎に篭ったきり、出て来ないし。だから、家に帰っても家事やる人いないんだ」

これは本当の事だった。
花音は小さな頃から家事のほとんどを自分でさせられていたし、特別それを不思議な事だとも思っていなかった。母親がたまに起きてデザートなどを作ってくれた日は、逆に何か特別な日なんだろうかと思ったぐらいだ。

「ふーん、まあ五分でいいから。寄っていこうよ」
茉莉は花音の気持ちに気付いてないのか、強引に天文部のある部屋に彼女の体を押し込んだ。

一歩足を踏み入れて、花音は息が止まった。
夕日の明かりの中に、人影があったのだ。
この生徒が茉莉の言っていた幼馴染だろうか。

真っ黒な髪に、真っ黒な瞳をした横顔のシャープな男子が、無表情に雑誌を読んでいた。
二人が部室に入ったのも分かっているはずなのに、彼は顔も上げないで無視している。

「昴、今日転校生来たの知ってる?」
茉莉はその男子を“昴”と呼んだ。
「ああ。前園花音…だろ?」
そう言って、昴は花音の方へ目線を流した。

「さっすが、女子のチェックは抜け目無いね。その本人がここにいるんだけど、挨拶ぐらいすれば?」
茉莉が、昴の座っている場所までツカツカ歩いていって彼の手にしていた雑誌を取り上げた。

「何すんだよ」
「いいから、ほら。挨拶しなってば。部員一人でも増えた方が楽しいじゃん」
いつから部員になるという話になったのだろうか。花音は慌てた。それでも、無愛想に自分を見上げる昴の顔を見たとたん、何かに体を押さえられたみたいに動けなくなった。

「高橋昴。天文部部長、よろしく」
差し出された手。
茉莉と握手した時の数倍の緊張感で、花音はそっとその手に応えた。
「ま…前園花音です。よろしく」
花音が昴の手を握りながら顔を赤くしたのを見て、茉莉は笑った。

「やだ、昴の事意識してるの?こいつクールぶってるけど、むっつりスケベだから。注意してよ」
「うるせーな、茉莉は余計な事喋りすぎなんだよ。少し黙れ」
「お、昴もその気あり?マジで?」
茉莉がその場で二人を茶化すから、何となく花音も照れてしまって、それきり昴の顔を正面から見れなかった。

机の上には“月間天文”という雑誌が山積みになっていて、昴はそれを昔のものから読み返しているらしかった。

茉莉はただ立ち寄るだけの幽霊部員だと言っていたけど、昴だけは一人で本当に天文について勉強しているみたいだ。
今どき、サッカーとか軽音とか…もっとカッコイイ分野があるのに、この人は何故わざわざ天文部なんてものに所属しているんだろう。
花音は、部室に置かれた大きめの望遠鏡に軽く触れながらそんな事を思ったりした。

結局、花音は茉莉の誘いを無視できなくて、一応天文部に入るという約束になってしまった。

(変な子だなあ…茉莉って。他にもたくさん友達いそうなのに、天文部とかに入ってるし。私みたいに浮いた生徒にもかまわず話しかけてくるし。今まで会った事の無いタイプだ)

夕日が沈み、西の空がぼんやり明るいぐらいになった頃に花音は家路についた。
それでも、特別「どうだったの、新しい学校は」なんて会話も無くて。家族はまるで先週もここで暮らしていたかのような態度で、花音の作ったカレーを食べた。

こんな家族の中で育ったせいか、花音は一人きりという事に随分慣れている。
だから、友人が唐突に二人も出来た事は結構な驚きだった。



「花音はお嬢様系に見えるけど、実はサックスとか吹けるらしいよ。ジャズが好きとか言ってたし…案外オタク素質ありかも」
昴と一緒の帰り道、茉莉はそんな事を言って一人で嬉しそうにした。

二人の家はほんの数メートルしか離れてない場所にあって、茉莉は昴にとって女友達っていうよりも…もっと赤裸々な部分まで知られてしまっている人間だ。

幼稚園や小学校での恥ずかしい失敗談も色々知られているし、今はクールで頭のいいキャラクターで通っているけれど、茉莉の目からはもっと違う人間に見えているはずだ。
だから、せめて高校は別々に行きたいというのが、昴の正直な気持ちだった。
なのに、高校受験で一緒の教室に座っている茉莉を見て昴は正直ひっくり返りそうなほど驚いていた。
それまでもう1ランク上を狙うような話をしていたのに、当日になって自分と同じ高校を受けた事は全く知らされていなかったからだ。


「あの転校生、若干迷惑そうな顔してたけど。お前、また無理に引っ張り込んだんだじゃねえの?」
あと5分くらいで家に着きそうだという場所で、昴はため息混じりにそう言った。
茉莉の明るい性格は昴が一番良く分かっていたけれど、何故自分の所属する天文部にまで顔を出すのか不思議に思っている。

「いいじゃん。昴、いっつも一人で雑誌読むか部屋から望遠鏡出して孤独に観測するかでしょ。もう少し仲間っていうか…人間との接触もした方がいいよ」
「また…お前、余計なおせっかい焼いてないで自分の事を一番に考えろよ」
「ん…でも。昴が笑ってないと、私も結構つらいんだよ」
茉莉は寂しそうにそう言った。
 

昴があまり笑わなくなったのは、両親が離婚した頃からだ。
彼が中学に入るとういう時に、母親が新しい恋人を作って家を出てしまった。
でも、昴は自分の母親を憎んではいない。何故なら、それまで彼の母がどれだけ自分を犠牲にして家族の為に努力してきたかを知っていたからだ。

昴の父親は、いわゆるワーカホリックで、“忙しい”を免罪符に毎晩夜中の1時くらいに帰宅し、そのまま週末も寝ているかゴルフに行くかという生活だった。
家族で旅行に行った記憶など一つも無い。
それどころか、めったに会話もしない父親が自分の行動に文句をつけてきたりすると言いようのない腹立ちを覚え、思わず拳に力が入った。

母さんの為にも、こんな男とは別れた方がいいんだ。

常々昴はそう思っていた。
だから、出ていく1週間前に「昴、母さん別の人と一緒になる事にしたの。お前も一緒に来るかい?」と母親に聞かれた時、YESとは言わなかった。

「母さんはもう一度別の人と幸せになればいいよ。俺は数年我慢すれば一人で生きていけるようになるし…。俺はこの家に残る」

母親の恋人と一緒に暮らす事も嫌だったのは事実だった。

でも、昴の本当の気持ちは“母親が幸せになれるなら、どんな協力もする”というものだった。
だから、彼女が父親に書き置きと離婚届だけを残して消えた日も泣いたりしなかった。自分が子供の頃にどれだけ母親から愛されて育ったのか、アルバムや残された日記…自分の中に残る思い出などで、全て分かっていたからだ。

昴宛てに2月に1回ぐらい、母親からの手紙が届く。

「元気にしてますか」「食事はちゃんとしてますか」「お父さんとはうまくやってますか」そんな心配事がつらつらと書かれている。
昴はそれを読んでからすぐに捨てる。
返事は書かない。
自分が母親から一応まだ意識される存在だというのを確認するだけで、彼は満足なのだ。


こんな事情が裏にはあったのだけど、茉莉にしてみたら昴は唐突に母親に捨てられたように見えていた。
一人で星の観測をするようになったのも、この頃からだ。

家庭の事情をどうこう言う権利は無いと思っていたけれど、小さい頃に見せていた可愛い笑顔がまた戻って欲しいというのが茉莉の純粋な願いだった。
でも、どれだけアプローチしても昴の心が開かれる事は無く、幼馴染とはいえ常に壁を作られた状態の付き合いが続いている。

「じゃあな」

先に昴の方が少しだけ早く家に着く。
最後だけは茉莉が心配しないように笑顔を作るのは習慣になっていて、特別意識はしていない。

「うん。また花音と部室行くからね。部員が3人になったから、夜の観測会みたいなのしようよ」
「…ああ、考えとくよ」
どこまでも明るく話しかけてくる茉莉の言葉に、昴もつい心が少しだけほだされる。

考えてみれば、茉莉は昴の前で泣くという事がなくなっていた。

小学校までわりと泣き虫だった茉莉は、何かショックな事がある度に大泣きして体力を消耗させるような子供だった。

茉莉を可愛がってくれた親戚の叔母が亡くなった時は、ショック過ぎてお葬式に行くのを強硬に拒んだ。

茉莉が遊びに行くと、まるで本当の母親のように世話を焼いてくれた叔母だった。
「茉莉が好きだから、おばちゃんたくさん作ったよ」そう言って、生の苺を使ったイチゴシロップジュースを出してくれた。
この味は叔母でなくては出せないもので、来年の夏にはその苺ジュースが飲めないのだという事が、どうしても信じられない。

「おばちゃんは死んでないもん!」

身近な人間の死を受け入れる事が出来ず、結局茉莉がその叔母の墓参りに行けたのは1年後だった。
それでも涙が止められず、朝から夕方までお墓の前で泣いていたらしい。


飼っている犬が死んだ時も大変だった。
ほとんど1ヶ月ぐらい食事が出来なくなって、家族が病院に連れて行って点滴してもらうほどだった。
それ以来生き物を飼うのは茉莉には無理だという事で、彼女の家では小鳥すら飼うのを止めた。

そんな茉莉の弱い部分を知っている昴だからこそ、べそかきすらしなくなった茉莉の変化には少し驚いていた。

「もう子供じゃないからね。人前で泣いたりしないよ」

中学に入ってしばらくして、茉莉はそんな事を言って今まで以上に明るい底なしの笑顔を見せるようになった。
性格はもともと明るかったけど、泣くという行為をしなくなった茉莉の変化に昴は少し驚いていた。
人間の気質がそんなすぐに変わるとは思えないから、もしかしたら茉莉は”泣きたい気持ちを我慢する”という術を覚えたのかもしれない。

でも、そんな深い部分までは昴でさえ知る事は出来ていない。



天文部とは名ばかりで全く活動らしいことをしていなかったけれど、花音が入った事で少し何かイベントしてみようかという話になった。

「とりあえず月でも見るか」
昴はそう言って、満月になる夜をインターネットで調べだした。

このボロな部室に、何故か最新式のノートパソコンがある。花音はそれが不思議だったけど、年間の活動費を全てこれにつぎ込んでいるのだという事を茉莉の口から聞いてすぐに納得した。

「私と二人の時は、そんな事計画してくれなかったくせにー!」
茉莉がパソコンをいじる昴の頭を手でくしゃくしゃにした。
その様子を見て、花音の胸がドキリとする。
男性に免疫のない花音は、平気で昴の髪に触れる事のできる茉莉に驚いたのだ。

昴は別にどうって事の無い顔で髪を戻し、パソコンをカタカタ鳴らしている。
 
二人の関係は幼馴染というより、兄妹みたいな感じだな…と花音は感じていた。

一緒にいるのが不自然じゃなくて、それでいて意識しすぎる事も無くて。兄弟もいないし、転校続きで友達もいない花音にとって、茉莉と昴の関係は何となく羨ましいものがあった。


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