Smile!
1-3
 悪魔から愛される日

メールを返した日の夜、私はごちゃごちゃな部屋を片付けていた。
眠れない。
落ち着かない。
じっとしてると、つい携帯が震えないかなって意識しちゃうから、ついでだと思って部屋を徹底的に綺麗にした。

久しぶりに引っ越した当初のピカピカになった部屋を見て、私は満足してカーペットにゴロンと横になった。
これだけ綺麗な部屋なら仲間も呼べそうだな。
これからもこの綺麗さをキープしよう。

そんな事を思いながら、その日はカーペットの上でそのまま疲れて寝てしまった。

朝、ハッと目が覚めて起き上がると軽く頭が痛かった。
何もかけないで寝たせいで、風邪引いちゃったかな。
携帯は結局着信ゼロのままだった。

完全に聡彦に去られたのを感じて、私は自分からやった事なのに何故か落ち込んだ。

心の状態が体にも影響するのか、体調がどんどん悪くなる。
いつも通りの仕事がやけに長く感じて、ようやくお昼休憩になった。
シフトが重なって一緒のランチがとれる日だったけど、私は沙紀に動けない事を伝えて、仮眠室で休む事にした。
ここは職員が夜勤とかする場合に使う仮眠室で、真昼の今頃使用する人はいない。

「あとでパンと牛乳ぐらい買ってきてあげる。常備薬の風邪薬ぐらいは飲んだほうがいいよ」
「ありがとう」
沙紀が去って、シンとなった仮眠室で私はとにかく少しでも寝ようと痛む頭をかかえて目をつむった。
布団をかけてるはずなのに寒気が止まらない。
ただの風邪にしては随分体もだるいし、関節とかが痛い。
これは、もしやインフルエンザ!?

そう思った時にはなんだかもう立ち上がるのも無理そうな状態になっていた。

カチッと部屋のドアが開いて、誰かが部屋に入ってくるのが分かったけど、顔をそっちに向けるのもつらくてそのまま黙って寝ていた。
沙紀が早めに戻ってくれたのかもしれない…ぐらいに思っていた。

すると、ふっと私のおでこに冷たい手が当てられるのが分かった。
誰?
そう思って顔を上に向けると、冷静な顔をした聡彦が立っていた。
「あ…聡彦?」
「インフルだろ、9度はあるな」
そう言って、彼は1枚しかかけてなかった布団の上に厚手の毛布をかけてくれた。
「早退しろ。アパートまで車で送ってやる」
「え、いいよ。一人で帰れるし…」
そう言って起き上がろうとするんだけど、体がふわふわして思うように動けない。
それを強引にベッドに押さえ込んで、聡彦が今まで見せたこともないほど優しい顔をして私を見下ろしていた。
「俺の言う事には絶対服従。…だろ?」
熱で私の感覚がおかしくなってるんだろうか。
聡彦が優しい人に見える。
私が心配でたまらないといった表情に見える。

願望かな。
もしかしたら私は聡彦がこういう人だといいなっていう幻を見てるのかな。
黙ってベッドに押さえつけられたから、私はそのまま目をつむった。

沙紀が薬を買ってきてくれたんだけど、聡彦がインフルに風邪薬は効かないと言って薬代を沙紀に返している様子がぼんやり見えた。
「タミフルもらわないと駄目だから、病院も寄る」
そう言って、私は聡彦の背中に乗せられた。
「菜恵、午前中に帰ってもらえば良かったね。ごめんね。舘さん、よろしくお願いします」
「ああ」
私は職場の制服を着たまま聡彦に背負われ、社用車の後部座席に寝かされた。
荷物なんかは沙紀がまとめてくれていて、一応着替えもその中に入ってたけど、どうにも服を着替える力も残ってなかった。

病院でどうにか薬をゲットし、奇跡的に綺麗に片付いていた部屋に私は聡彦を初めて入れた。
入れたっていうより、聡彦が勝手に入って来たって言った方がいいのかな。
部屋のあちこちにハヤトのイラストが飾られてるから、これを見られるのは本当は嫌だったけど、仕方ない。

「菜恵、お前こんな洋風な部屋で布団引いて寝てんの?」
ワンルームにベッドが無かったから、彼は部屋の隅に詰まれた布団を見てそう言った。
「ん、布団の方が安心する。ベッドって落ちたら痛いじゃん」
熱にうかされながらも、私は寝言みたいにそんな事を言っていた。
すると、丁寧に布団を引きながら聡彦は笑っていた。

ナチュラルな笑顔。
私がずっと見たかった、自然体の彼が目の前にいた。

「はい、ここに寝て」
言われるままに布団に入る。
「制服きつそうだから、それだけ脱いだら」
言われて、私は手伝ってもらいながら制服を脱いだ。
もう恥ずかしいとか言ってる場合じゃない。
とにかく早く寝たい。
肌着姿になった状態で私は、やっと布団の中で落ち着いて寝る事が出来た。

「じゃ、薬飲んだし一応大丈夫と思うけど、また仕事終わったら来るから」
そう言って、私がお礼を言う暇もなく聡彦は仕事に戻っていってしまった。

「……」
しばし彼の行動を考えてみた。
仕事を抜けてまで私をアパートに送ってくれた。
薬も用意してくれて、何からなにまで優しかった。

誘いのメール断った事を何も言わなかったし、それに、仕事が終わったらまた来るとか言ってた。

優しい…?
分からないけど、いつもの悪魔な彼じゃなかったのは確かだ。
ハヤトみたいに、強くて頼りになる背中だった。
額に当てられた手が大きくて、男性を感じてしまったし、とにかく彼を好きな気持ちにさらに火をつけられた感じがした。

ただでさえ熱で体が熱いのに、聡彦を思うだけでさらに温度が上がりそうな感じがした。

嫌われてなかった。
思い切って断りのメール入れたのに、彼は私を放置しなかった。
それだけで、すごく嬉しかったし、目頭が熱くなる。

一人暮らしっていうのは、病気の時にやたら心細くなる。
動けないほどの熱を出したのは今回が初めてだったけど、やっぱり風邪で寝込んだ事は何度かあって、その度に一応実家に電話できるように枕元に携帯だけは必ず置くようにしていた。
今日も、聡彦が来てくれるって言ってくれなかったら、不安で携帯を握り締めて寝るところだった。

私は安心して、その後一度ぐっすり眠った。
次に目を開けた時は部屋が真っ暗になっていた。
携帯で時間を確かめたら7時ってなっていて、相当寝ていたのが分かった。
でもまだ熱は下がってなくて、起き上がろうとすると猛烈な頭痛がして駄目だった。

「あきひこおー…何時に来てくれるの?」

昨日までどうでもいいやと思おうとしていた彼を、必死に待っている自分がちょっと可笑しいなと思っていた。
その時、携帯にメールが入った。
聡彦から。

“今から会社出るから。30分くらいでそっちに行けると思う”

私宛に来たメールの中で、一番優しい内容だった。
体調を聞いたりしてこないのは彼らしいなって思ったけど、本当にアパートにもう一回来てくれるかどうか半信半疑だったから、素直に嬉しかった。

30分後、本当に彼は食料片手にアパートに寄ってくれた。

「何か食べられそうか?」
ビニール袋から何か色々出しながら彼が私に聞いてくる。
「いらない。ポカリだけ飲みたい」
喉がカラカラで、声も出しずらい状態だった。
「水分何もとってないの?アホか、お前。さすがにそこまでは用意してやらなかったけど、熱がある時は水分だけはとれって常識だろ?」
いきなりお説教が始まった。
何だか色々言ってたけど、とりあえず私の口元にストロー付でポカリスエットが差し出された。
それをいっきに飲み干して、また枕にパサッと頭を戻す。

「やっぱり来て良かったよ。菜恵って見た目より自分ケアがへたくそっぽいし、この台所の感じだと全然自炊してないな。お前何食べて生きてんの?」
私が弱ってるのをいいことに、悪魔がまた顔を出した。
意地悪ばっかり言って、それなのに何故かせっせとおかゆとか作ってる。
「おかゆなら食べられそう。卵入れてね」
私がそう言うと、また聡彦の笑顔が見られた。
こんなに彼が優しいなら、ずっと病気でいればいいや…なんて思っていた。

聡彦お手製のおかゆを食べて、何だか心がどんどん温まるのが分かった。
体はしんどいんだけど、私の口にスプーンを運んでくれる聡彦の存在を感じて、どうしようもなく彼に対する愛情が溢れてしまった。
「聡彦」
私が食べるのを止めて彼を見上げると、いつもはちっとも動かない彼の目が少し開くのが分かった。
「ありがとう。メールに初めて反抗的な言葉送ったのに、優しくしてくれて…嬉しい」
そう言って、私は寝た状態で彼の大きな手をそっと握った。
ちょっとヒンヤリした彼の手の感触は、何だかお父さんに守られてるみたいな安らぎを与えてくれた。

「今日は特別事例だ。こんなん毎日続くと思うなよ?ていうか、今日は何人だった?」
「え?」
聡彦はこんな時にまでルールを崩そうとしない。
照れ隠しなのか、単に変わり者なのか分からないけど、今日は男性の数はカウントしてなかった。

「一人。…一人だよ」

私は今日ちゃんと会話した男性は聡彦だけだった気がしたから、そう答えた。
すると聡彦は何も言わないで、そっと私の顔に唇を近づけて、優しく、ゆっくりと、1回だけキスをした。

「この前の質問だけど。愚問だから答えなかった」
うっとりとしたキスの後、聡彦は私の目を見てそう言った。
「ん?」
「俺の何って言ってただろ。今更、何言い出すのかと思ったよ」
私が飲みの後に言った言葉の事を言ってるみたいだ。
「だって、私から連絡駄目とか。いきなり呼ばれて適当に付き合わされて…とにかくあなたから愛を感じた事がなかったの。だから、悲しかったし、もういいやって思ったんだよ」
そう答えたら、聡彦は一回フッと笑って、呆れたように私の額を軽くチョンッとつついた。
「馬鹿みたいにルール守るから、俺も面白くて色々注文つけたんだ。あれにまともに付き合う菜恵の正直さには、逆に俺が驚かされた」
そう言って笑った彼の笑みは、再び悪魔だった。

「じゃあ、聡彦は私を愛してるの?ちゃんと心から愛情があって私と付き合ってるの?」
私はどうしてもそれを確認したくて、しつこく彼の気持ちを聞いた。

「だから、愚問だって」
インフルエンザがうつるかもしれないっていうのに、聡彦はまた私にキスをしてきた。
これは彼なりに“愛してる”っていうサインなんだろうか。
そうだよね、きっとそうなんだよね。

私は嬉しくて、彼の首に片腕をかけてキスを一度だけ返した。

「…菜恵からキスもらったの、初めてだな」
そんな事を言って、聡彦は軽く私の頭を撫でて部屋を出て行ってしまった。
本当は一晩中いて欲しかったけど、これ以上の贅沢は言えないなって思って、私は我がままを我慢した。

こうして、私は屈折したツンツンデレの聡彦との交際を続ける事になった。



Smaile1-3 END

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