Smile! 新生活編2


10−4 

私が泣き終わるまで、聡彦は黙って待っていてくれた。
ここ最近相当様子がおかしかった事も心配していたみたいで、じっくり話を聞いてやるっていう体勢だ。

やっと涙が止まり、気持ちも少しすっきりした。
「参ったな…菜恵に泣かれると、どうしていいか分からなくなるよ」
「だって、聡彦が悪いんだよ」
今回の私は聡彦からの攻撃を全く恐れる気にならなかった。
とにかく、梅木さんの件に関してハッキリさせなければ…という気持ちが大きくなっている。
「俺の何が悪い?」
「梅木さんだよ」
そう言っても、聡彦にはピンとくるものは無いようだ。
「聡彦は私の異性関係には異常なほど敏感なのに、自分の事になると、てんで鈍感だよね」
まだぐすぐすする鼻をティッシュでチンとして、私はハアと小さくため息をついた。
「菜恵がそんなに梅木さんを意識してたなんて思わなかったよ。だって、あの人にはもう恋人がいるんだよ」
「え?」
「そういう情報は流れないわけ?まあ…俺達が昔チョコッと付き合ったのは認めるし、最初は多少ぎこちない時もあったけど、今は普通の同僚って感じに落ち着いてるんだ」
全く嘘のない瞳を向けて、聡彦は丁寧に事情を説明してくれた。
梅木さんに恋人が出来た事で、逆にお互いのパートナーについて話したりする事が時々あるんだそうだ。

「だってさ…香水が余ったからって、何で私にくれようなんて思うの?聡彦を意識してるから、私にプレゼントなんてするんでしょ…そういうのもハッキリ言って不愉快だったの」
私はこれを言ったら、私が梅木さんに焼きもちを妬いてるのがバレるから内緒にしてたんだけど、ここに来て全部吐き出した方がいいと思って口にした。
聡彦はそんな私の複雑な気持ちを知って、驚いていた。
「菜恵が俺の異性関係で不安になるなんて思わなかったよ。だって、いつも俺の方が菜恵の数倍心配してるだろ?でも…そうか、過去に付き合った事のある女性との接触って、菜恵の立場になってみたら気分悪かったのかもな」

聡彦がめずらしく聖人君子みたいに優しい事を言っている。
私が浮気とかして様子がおかしかったわけじゃないのを知って、少しホッとしているのもあるみたいだ。

さらに私の不満は続く。
「それに…これは愚痴だけど。和彦の事も何だか私の方が負担大きい感じがして…仕事を続けるのも自信が無くなって」
これは私の勝手な愚痴だと理解した上で言った言葉だ。
仕事を続けたいと言ったのは私だし、実際梅木さんの件が出るまでは順調だと思っていた。
でも、やっぱり和彦がこれからどんどん手がかかるようになったらと考えると、やっぱり仕事との両立に自信が無くなっているのは事実だ。

「そうか。和彦の事は本当に菜恵に任せっきりだもんな…。でも、俺だって毎日ずっと菜恵と和彦が元気かどうか気になりながら仕事をしてるんだ。今日みたいに和彦の具合が悪いって分かってたら、もっと早く帰って来たと思うし。とにかく菜恵は一人で全部内側に封じ込めようとしすぎなんだよ……」
まだ涙目でいる私を、聡彦はそっと抱き寄せてくれた。
私が相当ギリギリにいるのが分かったみたいで、いつもみたいな意地悪は一切言わなかった。

「俺がどれくらい菜恵を思ってるか…どうやったら証明るだろう」

「証明なんて無理でしょ。逆に今こうやって優しくしてもらってる方が、何だか不思議な感じがするぐらいなんだもの」
聡彦の腕の中に顔を埋めて、私は久しぶりに感じる夫の暖かさを体で感じていた。

「菜恵。何で最近体を接触させるの嫌がるの。俺に…何か不満あるのか?」
私がずっと言えずにいた事情を話さないわけにはいかなくなった。
「んー…、言うのが恥ずかしいんだけど。私…聡彦と一緒にいるだけでドキドキするの。梅木さんの件があったせいかな…初めて好きになった頃の気持ちが戻ってきてて」
そう言ったら、聡彦は嬉しそうに私の額にキスをしてきた。
「あ、聡彦!だから…そういうのが恥ずかしいんだってば!」
焦って離れようとするけど、彼は腕の力を緩めない。
私をがっちり捕まえて、逃げられない体勢で顔じゅうにキスをしてきた。
「なんか…俺もちょっとドキドキしてきた」
キスをしながら、聡彦の声がかすれてくるのが分かる。
彼は気分が高揚すると声が出にくくなるという癖があるのだ。
「今日は和彦が具合悪いからおあずけだな。心配が無くなったら、菜恵の体に触れていい?」
「…自信ないけど。トライはしてみるよ」

こうして私達は少しお互いの距離を縮めあった。

和彦が心配だからっていうんで、初めて私達のベッドの真ん中に入れて寝た。
「聡彦、そっちギリギリでしょ。落ちない?」
ダブルとはいえ、子供を間に挟むと私達はかなりギリギリだ。
「まあ。落ちてもいいよ。何か…和彦の頭の匂いって安心する」
そんなマニアな事を言って、聡彦はフンフンと犬のように和彦の頭に鼻を寄せている。
子供独特の甘い柔らかい香りがするのは、私も知っている。
だから嫌がる和彦を、しょっちゅう拘束して無理やり抱き寄せたりしているのだ。

子供の回復力というのはすごくて、次の日に多少元気が無かったぐらいで、3日後にはすっかり復活して保育園へ出た。
私は結局2日も休みをとってしまったけど、どうしようもない。
職場の人には平謝りで、また仕事に戻った。
「子連れはこういうの、困るのよね」
提出し忘れた原稿を届ける際、別の課の人には嫌味を言われたけど、同じフロアで働く人たちは比較的好意的に見てくれているから何とかもちなおした。

やっぱ、子供がいると女っていうのは不利なんだなーと痛感する。
でも、外の刺激も受けながら子供を可愛がる余裕もできるから、ある意味働くママっていうのは役得なところもあるかな…とも思ったりした。


で、1週間後。
すっかり元気になった和彦を寝かせ、私はいつも通り就寝しようとしていた。
すると、聡彦がスーツ姿で帰宅し、突然私が寝るのを阻止した。

「寝るなよ」
「え、だって聡彦今からお風呂なんでしょう?」
「もう一回入れば。風呂から上がると、菜恵必ず寝てるんだもんなー…」
私の聡彦への片思い状態はまだ続いていて、“一緒にお風呂”なんてあり得ない事だった。
「む、無理だよ。恥ずかしいよ」
「ここ1ヶ月菜恵の体に触れてない…正直、俺限界なんだよね」
私が必死で聡彦の体を引き離そうとするんだけど、彼の力は強かった。

「和彦が…」
和彦を理由に断ろうとしたけど、聡彦は和彦がいびきをかいてガッツリ寝ているのを確認して「熟睡中、全然OK」とか言った。
結局、何だか分からないうちに私は着ていたパジャマを脱がされ、私はお風呂場の中に入れられた。
「先に入ってて、すぐ行くから」
ネクタイを素早く外し、驚くほどのスピードで裸になって彼はお風呂に入ってきた。
やだ…やっぱり、まともに見れない。
目を手で覆っている私の前に立って、聡彦はゆっくりその手をどかした。

「菜恵…キスしようか」
その声が、いつもの聡彦より数倍優しくて。
私は思わず素直に頷いていた。

夫の唇を受けるっていうのは、こんなにときめくものだろうか。

まるでファーストキスのようにドキドキするキスだった。
いつの間にこんなに上達したんだろうか…っていうほど、聡彦のキスは気持ちよかった。
「少し上向いて口を少しひらいて……」
「ん…んん…」
うっかりしてるうちに口の中もすっかり聡彦に独占され、私の頭を占めていた“恥ずかしい”という気持ちがどんどん薄れていくのが分かった。

そこからの展開は、ちょっと恥ずかしいのでここでは言えない。
もしかしたら本当に和彦に兄弟が出来てしまうのではないかと思えるほどの一夜だった事だけはそっとご報告……。

「やっぱり菜恵の体最高……」
くたくたになった体を休めて、聡彦はそんな事を言った。
「ちょっと、体って何よ!聡彦って本当に嫌らしいよね」
「いて、叩くなよ。男はみんなこんなもんだって…、だからこそ俺は菜恵に付きそうになる虫を警戒してるんだよ」
聡彦は笑いながらそう言い、最後にもう一回だけ唇にキスをして満足げに寝てしまった。

体はお互い存分に知り尽くしたけれど、私は彼に言い忘れていた事を思い出した。

「聡彦、好きだよ。大好き…」
もう聞こえてはいないと分かっていたけど、私は眠っている彼の頬に口付けをして改めて聡彦を好きなのだという事を口にした。
梅木さんの真意は分からないけど、聡彦にはもう彼女を恋愛対象として見る気持ちは全く無い様子が伝わってきたから、とりあえず安心している。

和彦と同じポーズで眠る聡彦を見て私はクスッと笑い、そのまま自分も同じポーズで目を閉じた。
聡彦がいて…和彦がいる。
もしかしたら将来もう一人ぐらい家族が増えるかもしれない。

私の願いは、たった一つだ。
家族一緒に元気で仲良く過ごせますように。

そして欲を言えばもう一つ。
こんな幸せな日々が、ずっと続きますように……。

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