Smile!

4−4 それぞれの事情

SIDE 聡彦

「どういうつもりだ」
「何がです?」
俺が相当な怒りを秘めて八木にそう言ったのに、奴は顔色ひとつ変えずにいる。
人の来ない屋上で冷たい風にさらされながら、俺達は睨みあっていた。

菜恵についたキスマーク。
あんなのを見て、俺はもう少しで菜恵を無理やりどうにかしそうになっていた。
泣いても騒いでも…菜恵は俺のものなんだと、手に入れようとしていた。
それを必死で我慢し、今に至っている。
八木の存在は無視できないほど大きなたんこぶのように膨れ上がっていて、俺の心の中では、ある種「脅威」にさえなっていた。

直接対決し、二度と菜恵には近付かないようにする為にここへ奴を呼び出した。
少し会話したところで俺は気付いた。この男の持つ不気味な2面性を。
八木という男は、周囲に見せている柔和な顔と、今俺に見せている冷えた顔の2種類を持っている。
単純な脅しでは引かないのは何となく分かったけれど、とりあえず話を進める為に俺は言った。
「菜恵に二度と近付くな」
こんな単純な言葉で“はい分かりました”と言わないだろう事は予想していたが、奴は全く想像外の事を言ってきた。
「そうはいきません、これは復讐ですから」
「…復讐?」
あまりにもとっぴな言葉だったから、俺は返す言葉が見つからなくなった。
何で今まで面識も薄かったこの男に俺は恨まれてるんだ?
「覚えてないのかなあ、去年まで企画にいた内海友恵っていう女性…」
内海さん?
覚えてないも何も、一緒に企画で仕事をしていた女性だ。
去年寿退職をして、それっきり会社に顔を出す事は無くなった。
「内海さんが何なんだ?俺にどういう関係があるんだ」
「僕、彼女と付き合ってたんですよね。結構本気で。なのに…彼女は心変わりした。舘さん、あなたですよ。覚えが無いとは言わせませんよ」
「……」
確かに、内海さんには何度か告白めいた事を言われたり手紙をもらったりした。
俺は女性に深入りするのが嫌いだったから、そっけなく断っていて、いつの間にか彼女も他に結婚する相手が見つかったと知ってホッとしたのを覚えている。
でも、八木と付き合ってたなんて初耳だ。
「あなたとうまくいったとしても、僕は彼女を許せなかったと思いますけど。でも、結婚しちゃいましたしね…舘さんへの思いを吹っ切る為に結婚をするって最後に言われましたよ。僕、結構しつこいんでね、彼女の事もいずれ取り返すつもりでした」
そう言った八木の表情は、俺がちょっと無愛想にしている状態とは比べ物にならないほど憎悪に満ちていた。
俺を心底憎んでいる…という顔だ。

「それでここにうまい具合にチーフとして赴任してきて。何となく可愛いなと思って観察していたら、後藤さんて舘さんのお気に入りだったんですね」
お気に入りという言葉は腹が立った。
俺は本気で菜恵を好きだ、ちょっと態度はゆがんでいるかもしれないけれど…。
「僕も気に入ったっていうのもあるし、舘さんに好きな女性を奪われる気持ちがどういうものか知ってもらいたいっていうのもあります。この事を後藤さんにバラしても構いませんよ。僕の本当の部分を知ってもらった上で、アプローチする気ですし」
女には全く不自由しないだろうってほどの男なのに、俺と同じで一度好きになると固執するタイプのようだ。

まずい、俺も異性を好きになる過程がおかしいけど、こいつも相当おかしい。
菜恵はちょっとこういう変質的な男に好かれやすいのか…。

「まあ、僕を殴るなり何なりすればいいですよ。関係なく後藤さんには接近させてもらいますから」
「……その綺麗な顔を傷つけるのは俺も気がとがめるよ。悪いが、菜恵はお前なんかには絶対なびかない。絶対だ」
根拠無く俺はこんな断言をしていた。
キスマークの事は相当頭にきていたけれど、今は八木から菜恵を守る方が先決だというのが分かった。
もうくだらない事で怒っている場合じゃない。

「そういう自信過剰が悲劇を招くんですよ?まあ、僕はこういう気持ちなので。後藤さんを失ってもあなたには文句を言う資格無いですからね」
そう言い残し、八木はさっさと階段を降りて行ってしまった。

…菜恵。
八木の強引さから行けば、菜恵の心が揺らがないという保障は無い。

俺は猛烈に不安になった。
最近体調の悪そうな彼女を見ているのも結構つらくて、変な意地を張ってる場合じゃないというのが分かり、俺はその夜菜恵のアパートを訪ねる事にした。

SIDE 菜恵

仲直りのチャンスをつぶし、結局聡彦とはまた連絡がとれなくなった。
携帯の着信を拒否してるのかどうかは分からない。あれ以来私が彼にアクセスを一切とらなくなったから。
「菜恵、最近本当におかしいよ?」
沙紀が普通に戻ってくれて、私をいつものように心配してくれるのが嬉しかった。
彼女にだけは秘密にしてられなくて、私は起こってしまった事実を言った。
休憩室でヒソヒソ話していたから、他の社員さん達が何事か…という目で見ている。

「Yさんがそんな人だとは意外。っていうか…本当に危なかったね」
沙紀も八木さんがそんな事をするとは思って無かったみたいで、驚いていた。
あからさまに名前を出すとまずいから、私達は「Yさん」と「Tさん」って事で話している。
「でも仕事の時は全くそんなの感じさせないでしょ?Yさんって結構見た目より複雑な性格してるのかもしれない」
私はやっと消えかけているキスマークの事を考えながら言った。
あれ以来何の誘いもかけられてないけど、「しつこいから」って宣言されたのが気になる。
私が知らないだけで、聡彦と裏で何かあったりするんだろうか。


木枯らしが寒いなと思えるほど秋も深まってきた。
心も軽く夏を過ごしていたのに、肌寒い秋と供に私の心も冷えた。
ぼんやりタイプの私でも、さすがに好きな人と関係がこじれてるっていうのは結構つらい日々で。
でも、私がこんなにつらいんだから、実際裏切られた聡彦はもっとつらいのかなと思った。
彼が私に「もういいよ」って言ってくれるのをひたすら待つしかない。
謝っても余計疑惑を深めるだけだ。

                           *

自分達の書いたオフセットが出来上がった。
私が書いた聡彦の優しい看病漫画も綺麗に刷り上っている。
「菜恵ちゃんの漫画結構評判いいよ。可愛い絵だし、何かこの相手役の鬼畜男がうけてるみたい」
健太がそう言って笑った。
そう、私は聡彦役を鬼畜男として書いていた。
とんでもなく主人公をいじめるんだけれど、心の中では「愛してる!」っていう気持ちでいっぱいっていう設定で。
実際の聡彦も相当この男に近い人間だと思う。
でも、さすがに八木さんからキスマークまでつけられた私は鬼畜男すら滅多打ちにしてしまったらしい。

「謝らないと駄目かな」
待ちの体勢ではどうにもならないのを感じて、私はこころもとなくそんな事を言う。
「菜恵ちゃんの自覚が足りなかったのも悪いよね。だいたいさ、自分が結構いけてるの自覚してないでしょ?」
健太がめずらしく私の容姿の事を言った。
結構いけてる…?毎日鏡を見てるけど、ぼんやりした顔だし…さほどいけてるとは思えない。
「そんなの知らない」
「ま、そういうのを気取らないから余計いいんだけどさ。その束縛男も菜恵ちゃんがモテるって分かってるから必要以上に警戒してるんだと思うよ。それに、菜恵ちゃんがいなくなって一番困るのはその男だし、絶対向こうからアクセスしてくるから。ゆっくり待ってればいいよ」
こんなアドバイスをされ、私は健太の言う通り自分からのアクセスは控える事にした。

趣味の世界に没頭する事で、余計な事は考えないように頑張る。
ハヤトはこんな私をきっと優しく慰めてくれるに違いない。
描きかけのイラストを見ながらため息が出る。

恋愛は思ったよりエネルギーを使う。
聡彦との変なお付き合いを始めて1年近く経とうとしている。
あれから体重が4キロほどおちている私は、今結構痩せ気味だ。だから体力も無くなっていて、少しストレスがかかると軽く熱が上がるようになってしまった。

「…はあ。このままいつまで沈黙を続けるつもりなんだろう」
もうすぐ聡彦の誕生日だ。
11月2日…。
何も約束してないけど、それなりに手料理なんか作ってお祝いしてあげようと思っていた。
それも叶わないのかな。

日々微熱状態で過ごしてるから、私は自分の体調が悪くなってる事にあまり注意していなかった。
仕事が終わって、この日は聡彦の誕生日前日だったから、食材だけでも買っておこうと思ってスーパーに立ち寄った。
カゴを持つ手が妙にだるい。
何とか買い物を済ませてアパートまでの数分の距離を歩くのもしんどかった。

「はあ、はあ」
息が苦しくて、アパートに戻った頃にはもう食材を冷蔵庫に入れる元気すら無くなっていた。
もしかして、また体調悪くしてるのかな。
インフルエンザほどじゃないけど、とにかくだるい。
何とか肉類と魚だけは冷蔵庫に入れて、他のものは放置したまま布団を無造作に敷いて横になった。
明日は料理なんか出来る雰囲気じゃないし、聡彦も連絡くれそうもない。
体も心も弱ってしまい、私は布団の中でシクシク泣いていた。

その時、玄関のドアをガチャガチャと開ける音がした。
合い鍵を持ってるのは聡彦だけだ。
もしかして…。
ドアが開いて、仏頂面をした聡彦が入って来た。

「やっぱり体調悪かったのか。最近顔色悪いし、今日は熱もあるっぽかったから」
「見てたの?私の事…無視してたんじゃないの?」
聡彦は私の額に手を当てて、熱の状態をみている。
「するわけないだろ。……熱はそんなにひどくないな。とりあえずゆっくり休まないと」
そう言って、インフルエンザの時と同じように私を介抱し始める聡彦。

私が病気になると聡彦が優しい。
私はずっと病気でいればいいのかな。
そんな気分にすらなる。
具合は悪いんだけど、聡彦が心配してくれたのが嬉しくて心はホコッと暖かくなっていた。

「やたら食材ちらかってるけど、何これ」
冷蔵庫に入れなかった食材が床に散らばっていて、それを見た聡彦が驚いていた。
「明日聡彦の誕生日でしょ?それで…何か凝ったもの作ろうと思って」
食べてもらえるか分からなかったけど、とりあえずお祝いをしたいんだって気持ちを自分で消化したくて食材は買ってしまった。
「そんな体調じゃ、何も作れないだろ?…しょうがないな、俺が何か作ってやるよ」
「え、本当?」
布団から少し起き上がって、聡彦を見る。
1ヶ月以上もほとんど会ってなくて、お互い寂しい気持ちが限界になっていた。
私は彼がちゃんと自分の事を見ていてくれたのが分かって、ホッとしたと同時に涙が出た。
「菜恵が泣いたら俺がなぐさめる役になるだろ?本当はなぐさめて欲しいのは俺の方なんだからな」
そう言って、聡彦は優しく私を胸に抱き入れてくれた。
「ごめんね…」
「俺も悪かったよ。今回の事はお互い無しって事で流すのがいいと思ってさ…」
まだ鬼のように怒ってるかと思ったのに、聡彦は全くそういう気配を感じさせなかった。

「もう…、大事な人をなくしたくない」
私を抱きしめる腕に力が入る。
「聡彦…大事な人…って誰?」
彼はそれ以上何も言わないで、黙って私を抱きしめていた。

大事な人をなくしたなんて…初耳だ。
家族とか…身近な人の事なんだろうか。それとも恋人?
彼は自分の家族についてあまり語りたがらない。
弟さんが一人いるのは聞いた事があるけど、ご両親については何も言わない。
でも今、それを聞くのはためらわれる。

「許してもらえるの?」
そう言って聡彦の顔を見上げると、彼は優しく微笑んでいた。
「何回キスすればいいのか分からないな」
聡彦の唇が、私の頬や目頭や唇に何度も触れた。
優しいキス。
愛しい気持ちが伝わるキスだ。

「日付が変わるまでいてくれる?一番におめでとうって言いたい」
彼の腕の中で、私はそうつぶやいた。
「菜恵の体調が心配だから、今日はこっちに泊まるよ」

こうして、思わぬ展開で聡彦の誕生日はいいタイミングでお祝いする事ができた。
もちろん私は何も出来なくて、ただ彼の腕に抱かれながら「誕生日おめでとう」って言っただけなんだけど。

また戻ってくれた暖かい体温に安心して、私はその晩はいつに無く夢も見ないでぐっすり眠った。

↓おまけ(次の日)下のエリアをカーソルで選択して見てください。

「菜恵、お前何作ろうとしたんだ!?」
私の買った食材を見て聡彦が悲鳴を上げている。
ネギ・豆腐・豚肉・アジ・鶏がらスープ…こんな脈絡の無い買い物だった。
「ニクを牛肉にすればすき焼きできるかもよ」
「…かもよ!?」
私のいい加減な買い物に呆れつつ、彼は次の日にその適当な食材で5種類ほどの料理を作ってくれた。

天才シェフ聡彦。

私は感動して、ただ食べるだけの人になった。
誰の誕生日だか分からない。
でも、文句を言いながらも料理をする彼は嬉しそうだったから…よしとしよう。

こうして私達はまた半同棲状態に戻ったのでした。


*** INDEX ***

お読みいただき、ありがとうございました。
そろそろラブ度高めにします。5話をお楽しみに♪
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