Smile!

5−2 嵐を呼ぶ女

SIDE八木

僕の失恋経歴を考えると、どう考えても自分が悪いらしい事は分かっている。
舘さんに逆恨みしてるのも筋違いだと分かっていて、それでも後藤さんがどうにか自分の手に落ちないかと考えてしまう。

こんな不安定な感覚の中、前上司の日下部由梨絵(くさかべゆりえ)課長が一時赴任してきた。
僕が資料館のチーフになったのは分かっていて、今は部署が違うけれど何だかんだと僕の動向をチェックされており、彼女の呼び出しで、いきなり仕事後に居酒屋に連れて行かれた。
彼女は酒豪で、いくら飲んでも顔色を変えずに淡々と飲む。
でも口はなめらかになり、僕はこのパターンで何度か彼女にはギャフンと言わされている。
今回もそのパターンなのか…ややげっそりしてしまう。
せっかく体調が戻ったところなのに。

「…八木くん。仕事はきちんとやってるみたいだけど、オフの不器用さは相変わらずのようね」
どこで情報を仕入れたのか知らないけど、彼女は僕が後藤さんに迫っているのを知っていた。
まあ、僕が彼女を好きだというのをわざと公に知れるようにしてるから、耳に入り安かったのは事実だ。

「そんな事言われるのは心外です。僕なりに本気で…」
「本気の相手を追い詰めるのがあなたの趣味なの?」
何でこの人に仕事以外の事で説教されなければならないのか。
腹立たしいけれど、日下部課長は独身美女だ。
正直、僕の事は弟レベルで見ている感じがする。
一時彼女に憧れた事もあったけど、あまりにも僕に対する態度が厳しいと言うか、容赦ないというか…そんな感じだったのもあって、何も告げずにいた。

「後藤さん…て、あの子どう見てもあなたの事怖がってるわよね。正直、社内セクハラであなたが訴えられないか心配してるぐらいなんだけど」
上司の言う事だと我慢してるけど、これだけの事を頭からガンガン言われると自分のプライドというか…そういうのがガラガラ崩れる感じになる。

「課長は僕をどうしたいんですか。社内での立場を悪くして、抹殺したいと思ってらっしゃるんですか?」
どう見てもこの人の態度は僕を殺そうとしている感じだ。
でも、課長はその言葉には首を横にふった。
「分かってないわね。あなたを救いたいと思ってるんでしょう?あなたが暴走して女の子をうまく手に入れられないのを忠告してあげてるのよ」
「余計なお世話ですよ!」
思わず男としてのプライドが駄目になりそうだったから、強く言い返してしまった。
一応社内でも好感度の高い男としてやってきている。
もっと違う手段で迫れば、後藤さんだって落ちないはずがない。
僕はまだまだ彼女を諦めるつもりはなかった。

「あの小羊を解放してあげなさいよ…見苦しいわよ」
見苦しい…。
まあ、明らかに僕を拒絶している彼女を見るのはいい気分じゃない。
これまでだって、一度好きだと言ってくれたのに、付き合い始めると離れていかれるケースが多かった。
何だろうか…僕の何がいけないんだろうか。

「女はね、一応男から包容されていたいっていうのがあるのよ。でも八木くんは甘えたいばっかりで子供みたいだから…それなりに精神年齢が高い女じゃないとコントロールできないんじゃないかしら」
「包容力が無いと…」
「そうよ」
ズバッと言われ、何だか体の力が抜ける。

子供…。
僕はそんなに幼稚だったか?
でも、目の前で僕に容赦無い説教をたれている日下部課長から見たら、僕は確かに子供なのかもしれない。

結局僕はさんざん酒を飲まされ、店を出る時は課長に支えられていた。
「馬鹿ねー…全然変わって無くてあきれた。本当に放っておけないわ」
「うるさいですよ…僕だってね…」
何か言おうとしたけど、それっきりフツッと記憶が無くなった。

次に目が覚めた時、僕は知らない部屋の天井を見ていた。
「…?どこだ、ここ」
ぼんやりした頭をかかえてゆっくり起き上がると、隣で声がした。
「起きた?名前忘れたけど、適当に入ったホテルよ」
「く…日下部課長!?」

ベッドから飛び起きて、真っ暗だった部屋の電気を探した。
慌てすぎてスイッチを探せない僕に代わって、課長が電気をつけてくれた。
服装を確認したけれど、一応まだ何も起こってないらしい。

時計を見ると、まだ11時だった。
今からなら最終に間に合うかもしれない。

「恥ずかしいところお見せしてすみません。お世話になりました、では…」
唐突な展開で、さすがの僕も余裕を無くした。
「待って」
慌てて帰ろうとする腕をはしっとつかんで、彼女はトロンとした目で僕を見た。
一人でアルコールを追加していたみたいで、ベッドサイドにビールの空き缶が何本か転がっていた。

「ねえ。年下じゃなきゃだめなの?」
「…え?」
「だって、あなたが狙う女の子って皆20代前半の若い子ばっかり。私には一度も誘いかけてくれなかった。もう30過ぎてるし…魅力ないのかもしれないけど」
今まで一度も見せた事の無い課長の弱気な姿。
思わず、その姿に欲情してくる自分に焦る。

「か…課長は、美人だし。仕事出来ますし…僕なんかが声をかけられる人じゃないと思ったんですよ」
これは本心だ。
30を過ぎてようが、課長は女のレベルとしては相当高い。
だから誰も声をかけられない。
こんなに美人で有能な女性を口説こうなんて思う勇気のある男がいないだけだ。

「本音を言うわ。私…ずっと八木くんが好きだったの。ちょっとうっとおしいぐらいあなたには色々言ってきたと思うけど。あれは全部好意の裏返し…ごめんね」
僕にしがみついていた手をふっと緩めて、彼女は寂しそうに俯いた。
「何で、僕なんか?今までそんな雰囲気見せなかったじゃないですか」
「あなたと同じ。好きな人には不器用なの」

課長の弱った姿は、さっきまで僕の方が弱いだろうと思われていた状態よりずっと心細く見えた。
女性をこんなふうに守ってあげたいと思ったのは初めてで。
今までは年下でも好きな女の子とはベッタリしていたいと思っていたけど、何故か目の前の年上の女性には「…一緒にいてあげるよ」って言いたくなった。

「あなたの事、全部包んであげる…だから、他の女性を忘れて私の事も包んでくれない?」
捨て身のように、僕の胸に飛び込んできた課長を僕はとっさに抱きしめた。

あり得ない感情の変化。
後藤さんに対する執着心と、課長に感じる柔らかくて暖かい感情は全く別のものだった。
ずっと孤独な気分で過ごしていたけれど…何だかこの人となら自然体でいられるのかな、と感じていた。

ずっと心の奥にしまっていた本音が飛び出す。

もう過去の女をすっかり捨ててしまいたい。
後藤さんへの未練も捨て、もっと自分も相手も幸せになれる恋がしたい。

自分に振り向かない女性を追いかける事に疲れていたのかもしれない。
元来の執着しやすい性格のせいで、相手に嫌われるまでつきまとうという…とんでもない人間になってしまっていた。

僕だって、独りの男として愛されたい。
誰よりも大事だと言ってもらいたい。
それが満たされたら、僕もその人を心から愛せるような気がしていて。
課長は、こんな僕の身勝手な欲望を満たしてくれるっていうのか…?

「いいのよ、私を好きなようにしても」
長い間こういう感情を抑えてきていたのか、課長はすっかり僕の腕の中で力を緩め、どうにでもして欲しいと言う仕草を見せた。

初めて年上の女性の体に触れた。
若い子の肌を知ったのはもう随分前で…実はセックス自体僕にとってはかなり久しぶりだった。

柔らかい胸の感触にうっとりし、僕が求めていた暖かい抱擁が今実現しているんだという感覚になった。
「僕…自分の心を確認しないまま行動してしまってるんですが」
さすがに少し罪悪感が沸いて、動きを止めた。
すると、課長は“それでいい”と言った。

「本当に人を好きになるとね、自分の事より相手の気持ちを考えるようになるのよ。今は私…八木くんが心から安心してもらえたらいいなって思ってるの。けっして自分の体を粗末にしてる意識はないのよ。だって、好きな人に肌を触れてもらえるだけで今は幸せだから」

初めて聞く僕を心から思ってくれる人の言葉だった。
気取らなくても、あんな駄目な部分を全部知られている課長の前で、僕は全てを許されていた。

彼女を抱きながら、僕は初めて人を好きになるという感覚を体で理解した。

                      *

課長の滞在期間が過ぎて、あの日の事が嘘だったように僕にはクールな態度を崩さないまま彼女は帰ってしまった。
あれから、僕は後藤さんに何かを仕掛けるという気分になれなかった。
頭の中は、いつも甘く優しい課長のささやき声でいっぱいだ。

このままあの人を失ってしまうのは、人生の大事なチャンスを捨てるのと一緒だと感じた。

連絡方法は個人で持っている社員用携帯の番号だけだ。
冷ややかな声で「あの日の事は忘れてちょうだい」と言われるのを覚悟して、僕は彼女の携帯に電話をした。

『はい、八木くん?どうしたの?』
思ったより普通の声で、応対してくれた。
「あの…仕事中申し訳ありません。僕の勘違いだったら恥ずかしいんですが、僕は…あなたにアプローチしていいんでしょうか」
他の社員には絶対聞こえてはいけないと思って、社外の車通りの多い道路端で僕は携帯を手にしていた。
『これ以上女に恥かかせないで。あの日の言葉で私の気持ちを理解出来ない程の鈍い男だったら、私はもうその男に用は無いわ』
彼女がどこで電話しているのか分からなかったけれど、内容は明らかに僕を受け入れたいという言葉だと解釈した。

「わかりました。週末空けておいてくださいね」
「いいわよ。あとでメールに私の個人携帯番号送信しておくわ」

それだけ言って彼女は通信を切った。
裏表のある理解不能な男と言われ続け、付き合った女性には逃げられてばかりだった僕が…思いもかけず高嶺の花を手に入れる事になった。

「後藤さん」
仕事を終えて帰り支度をはじめようとした後藤さんに声をかけると、彼女は飛び上がるほど驚いて振り返った。
「何もしないよ。僕、そんなに怖い?まあ…そういう気持ちにさせたのは僕自身だね。今まで申し訳なかった…それだけもう一度謝りたくて。じゃあ…お疲れ様」
「はあ。お疲れ様です」
僕のあっさりした挨拶に、彼女もちょっとビックリした様子でしばらくそのまま動けないでいた。

これから僕は年上の女王様の相手をしなくてはいけない。
決して裏切られる事のない固い契約を交わして……。

幸せは、見つかるだろうか?

Smile!5 END

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八木退場
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