草食系な君と肉食系な僕
11.唐突な……
“その日”は、突然やってきた。
悠里くんが公輝とお泊まりしたいと言い出したのだ。
「あ、公輝がここに泊まるの?」
私は体が弱くてあまり外に出たがらない悠里くんの言い出した言葉がすぐには飲み込めなくて、こんな質問をしていた。
すると、彼は頭を横に振って「違うよ」と、ハッキリ言った。
「僕が公輝くんのところにお泊まりに行きたいの。お兄ちゃんはお医者さんが許可してくれたらいいよって言ってくれた」
「……」
影沼氏の了解は既にとっている様子。
しかも、雰囲気からして主治医からもOKが出たんだろう。悠里くんは、彼のリュックにせっせとパジャマを詰め込んだりしていた。
「ねえ、悠里くん。まさか今夜じゃないよね?」
若干焦りながら、私は悠里くんに確かめる。
悠里くんがいるから、私と影沼氏の微妙な関係は保たれているのだ。こんな心の準備がない時に『二人きりシチュエーション』が訪れるとは思っていなかった。
「さっきメールしたら公輝くんもお父さんもいいよって言ってくれたの。お父さんが迎えに来てくれるって」
「え、お兄ちゃんが?」
意地悪な兄の事だ。“渚、いいチャンスじゃないか。うまくやれよ”なんて思っているに違いない。
私の焦りはどんどんひどくなり、もう仕事が何も手につかなくなった。
※
夕方4時に、兄はマイカーで悠里くんを迎えに来た。仕事はどうやら休みらしく、ラフな格好だ。
思った通り、私を見るなりニヤニヤしている。
「渚、悠里くんの事は心配するな。薬の事も聞いてるし、主治医への連絡先も聞いてる」
「え……そうなの?」
私の知らない間に、根回しはしかり出来ているようだ。
これはいつぞやの赤い糸事件みたいに、皆で私を罠にかけようとしているような被害妄想すら湧いてくる。
「じゃあ渚ちゃん、行ってくるね!」
満面の笑みを見せ、悠里くんは兄の車に乗って行ってしまった。
「……」
取り残された私。
影沼氏は今朝何も言っていなかった。今日、悠里くんが外泊する事を知ってるんだろうか。
心配になって、悠里くんが出かけた事をメールした。
すると、すぐに返事が来て……内容に驚く。
『悠里の外泊は僕が勧めた。夜は自由になるから外食しようと思ってるんだ。8時には帰るから、外出する用意をしておいて』
「何ですって!?」
メールを何度も読み返し、明らかに彼は今夜私と二人きりで食事をしようとしているのが分かった。
突然来た“その時”。
ご主人様の命令なのだ……私の体調もすっかりいい事は知られている。仮病を使うのも、今さら無理だろう。
「何食べるんだろう。ていうか、着る服が無いんですけど……」
そう思って、自分のワードローブを見ながらボーっとしていると…宅急便が届いた。
大きめの紙袋で、宛名が私になっている。
不思議な気持ちでその袋を開けてみると……。
「わ!!」
出てきたのは、上から下までコーディネートされた洋服と靴一式だった。
さらにご丁寧にカードが入っていて、“お姫様 夕方5時にBeFineという美容院に予約してあるから、そこで自由にヘアセッティングしておいで。”とか書かれている。
美容院は屋敷から歩いて行ける距離にある。
一度も入った事はないけれど、多分影沼氏が行っている美容院なんだろう。
あの人は「散髪」っていう雰囲気じゃない。綺麗に整った髪をキープしているから、当然あれは美容院でセットしてもらっているに違いない。
「お姫様……、本気でそういう設定にする気なんだ」
恥ずかしくて自分の顔が真っ赤になるのが分かった。
とりあえず時計を見ると4時半だったから、私は急いで美容院に行く支度をした。
「もう、こんな急展開予想してないから…どういう反応していいか分からないじゃない!」
自分のうろたえぶりが滑稽で悲しくなり、私は誰に言うともなくブツブツ小言を言った。
計画的にすると警戒が働くのを予想したんだろうか。影沼氏の演出に、私は完全に毒気を抜かれてしまった。
※
言われた通り髪を綺麗にアレンジしてもらい、彼が選んだオレンジのワンピースと白のパンプスを履いた。
「あの人、私のスリーサイズいつ知ったんだろう?」
驚くほどサイズがピッタリで、驚いた。
しかも、淡いオレンジが私の顔色とマッチしていて……何気にかなり私の事をチェックされていた事が改めて分かった。
気持ちがそわそわして、彼が帰るという8時になるまで私は時計とにらめっこ。
『お姫様みたいに扱ってあげる』
あの言葉は嘘ではなかった。
仕事が落ち着いて、最近彼の顔色も良いのは私も分かっていた。
でも、まさか悠里くんが公輝の家に行きたいとか言う事も想像してなかったし、それをチャンスとばかりに外食の予定が入るなんて……まさに『想定外』だ。
「あー……お化粧こんな感じで良かったのかなあ」
可愛くアレンジされた髪を鏡で確認しながら、逆に自分のメイクが気になった。
仕事をしてた時も派手ではなかったけど、今はもっと地味になっている。
あまり「女」を意職した作業は得意じゃないのよ……と、心でつぶやいた時。
「ただいま」
いつの間に帰ったのか、後ろに影沼氏が立っていた。
「うわ!あ、お帰りなさいませ!!」
ビックリして倒れそうになった私を、彼の大きな手ががっしり支えてくれる。
「大丈夫?」
いつに無いソフトな声と表情。
思わず心臓がドキドキしてくるのが分かった。
「は、はい。すみません。あ……このお洋服とか…ありがとうございます」
「どういたしまして。これからすぐに出かけるけど、大丈夫?」
スーツをバリッと着た影沼氏。
この人は、いつだって寸部の乱れもないのだ……。その容姿を改めて見上げ、ちょっと素敵に見えてしまいそうで…自分の心に慌ててブレーキをかける。
ダメダメ!
こんな甘いムードに簡単に流されてはダメ。
男なんて、女を落とすまでがゲームだと思ってるんだから。きっと、私が夢中になったりしたら……そこでゲームセットになってしまうんだわ。
私の男性不審は重症のようで。
こんなに優しく扱ってもらっているのに、それにすら素直になれない。
「お化粧が適当ですけど、このスタイルでいいのでしたら…出かけられます」
俯いて真っ赤になりながらそう言った私の頭を軽く撫でて、彼は優しく言った。
「可愛いよ……渚」
「……」
ここは、きっと『ありがとうございます』とか言うべき場面だったんだろう。
でも、私は硬直したまま動けなくなった。
この人の笑顔は私の心を狂わせる力があって……どんどん自分の心が彼の方へと引き寄せられる。
「ペンギンがワンピース着てるみたいだ」
プッと吹き出して、彼は私が相変わらずガチガチなのを見て笑った。
でも、笑ってもらったおけで体の力が少し抜けた。
「そのペンギンと食事しようとしてるのは誰ですか」
やり返すつもりで、私は負けじと言ってみた。
すると、彼はすかさず応戦する。
「ペンギンと食事するつもりは無いよ。一人の可愛い女性と美味しい食事をしようと思ってるんだけど?」
そう言って、影沼氏は私の手を自分の腕に強引に絡ませた。
私の攻撃なんて、彼の前では何の意味も無いようだ。
無力感でいっぱいの私は、促されるままに夜のデートへと向かったのだった……。
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