草食系な君と肉食系な僕

16.不安

 芯さんとの甘い夜を過ごし、私は心も体も絶好調だった。
 好きな男性ができて、相手も自分を好きでいてくれて、一緒に住んでいる。
 結婚はしてないけれど、お互いの気持ちが分かっているから……特に心配はしてない。

「私ってば草食系だと思ってたけど、そうでもなかったみたいね」

 自分の行動を振り返ると、かなり滑稽で。
 結局のところ……私をあそこまで追い込む肉食系の男性に会えなかったのが、男性経験無しの歴史を重ねる原因だったのかな。
 肉食系だけど……決して乱暴じゃない。
 意地悪は言うけど、あれは逆にこっちの気持ちを燃えさせるから不思議だ。

 冷静に考えると、あれだけの男性だ。
 当然女性にはモテたはず……いや、今でもモテていると思う。
 でも、案外彼は一途というか。あまり多くの女性を一度に愛する事はできないみたいだ。
 過去の女性を思って暗くなるのはやめようと思うのだけど。
 どういう人に、どういう言葉をかけたの?って……柄にもなく聞きたくなる。

「やきもち……ぐらいだったら可愛いかな」

 あれから嫌がらせファックスは毎日のように届いている。
 『早く出て行った方があなたの為』とか『いい加減しぶといね』とか。
 どう見ても私に宛てた嫌がらせだ。

 ……私がこの屋敷で働いている事を面白くなく思っている人がいる事は確実だ。
 でも、別に直接何かされた訳じゃないし。やっぱりこれを芯さんに話すのは気がひけた。

 あの人には、この屋敷に帰って来たらゆったりしていてもらいたいのだ。



 洗濯を終えて室内に入ると、悠里くんが廊下に青い顔をして立っていた。
 お気に入りのぬいぐるみをぎゅっと抱えて、私を待っていたようだ。

「どうしたの?具合悪い?」
「ううん」
 私の言葉に、すぐに彼は首を横に振った。
「じゃ、どうしたの?」
「お母さんが……お母さんが来てるの」
「え?」
 悠里くんのお母さんが来るなんて聞いてないし、第一そういう人の存在すら聞いた事がない。
 私は驚いてリビングに戻った。
 すると、思ったよりずっと若そうな……ちょっと濃いめのお化粧を施した女性が、グレーのスーツを着て立っていた。
「はじめまして。悠里の母……高橋祐子と言います。あなたが……芯が連れてきたという猫ね?」
「……」
 唐突に現れて、唐突に失礼な事を言うから、私は驚いて声が出なかった。
 芯さんを呼び捨てにしているばかりか、私を「猫」と言った。

 祐子さんはリビングのソファに勝手に座り、その場でタバコを吸いはじめた。
 濃い口紅がタバコの吸い口にベッタリとついているのが見えた。

「あの、悠里くんの体に悪いのでタバコは遠慮願えますか」

 自分の子供を放ったらかしにして、おまけにこの傍若無人な態度は何か?
 私は久しぶりに腹がたった。

「そうだったわね。悠里は相変わらず学校嫌いなの?」
「僕……昨日学校行ったよ」
 私の後ろに隠れながら、悠里くんはボソッと口ごたえした。
「ふーん……悠里の事も手なずけてるのね。芯が今お気に召してるのが、あなたなのは間違い無いようね」
 “今”というところを強調して言うあたりが、ものすごくいやらしい。
 ふと、私はファックスの送り主はこの人なのかな……と思った。何故悠里くんの母親が私を疎ましく思う必要があるのか、それは謎だ。

「その顔だと、あなた知らないのね?」
 余裕の笑みでニッコリ笑い、彼女は悠里くんがいてもおかまいなしにひどい話を始めた。
「芯の女性遍歴……知らないのよね?」
「そんなの、今は関係ありません」
 私の心臓がドクドクいっているのが分かる。
 知りたくない。
 彼の過去がどうだったかなんて知る必要無いと思ってるのだ。
 だって、知ってしまったら絶対悲しくなるし……苦しいと思うから。

 なのに、祐子さんは言葉を止めてくれない。

「悠里ね……芯と私との間に出来た子なのよ?」

「……嘘」

 頭の中が真っ白になる。
 悠里くんが……芯さんの子供?

「まあ、芯の父親とも関係があるし。どっちの子か分からないというのが正直なところだけれど……私は芯との子だと思ってるの」

 悠里くんは祐子さんに似ている。
 整った目鼻と色白なところ。
 でも、芯さんの面影も無い事はない……それは兄弟だからだろうと思っていた。

「……やめて。悠里くんがいる前でそんな話し。ちょっと失礼します」
 
 私はオドオドしている悠里くんがこれ以上動揺しないよう、彼を自分の部屋まで連れて行った。
 彼の様子を見ていれば、裕子さんは全く彼にとっていい存在では無いようだ。
 
「渚ちゃん……僕、お母さんが怖い」
「大丈夫よ、私がいるから。悠里くんは何も心配しないで……少しお昼寝するといいわ」

 悠里くんの頬を優しく撫でて、私はなるべく彼が安心するように…微笑んで見せた。
 すると、彼も少し顔色を戻し、こっくり頷いて部屋に入っていった。



 突然現れた強敵。
 何が目的なのかと不思議だけれど、直感からすると……私の存在が邪魔なんだろうなという感じだ。
 リビングに戻り、まだタバコを吸い続けている裕子さんを睨む。

「簡潔に言うわ。私、ここに戻って来ようと思ってるの……あなた、出て行ってくれない?」

 お茶を出す気にもなれず、私は彼女の情のカケラも無い言葉を遠くで聞いていた。
 せっかく手に入った幸せを、こんなにあっさり壊されるなんて……我慢できない。

「私は芯さんに雇われてるんです。あなたに言われたところで、出て行く理由なんてありません」
 強気を崩さない私を見て、裕子さんはクスリと笑う。
「芯が好きそうな、気の強い人ね。言っておくけれど……私の言う事に芯は逆らえないのよ。姑息な手段だとは思うけれど、彼の父親の力を私も使う事ができるの」
「……」
 冗談ではなさそうだ。
 だいたい、芯さんの性格を知っていれば、普通こんな無茶な方法で私を追い出しに来たりはしないはずだ。
 彼が逆らえない存在。
 それは、きっと会社経営の取締役をやっている彼のお父様だ。
 言葉で聞いた事は無いけれど、彼が唯一頭が上がらないのはお父様だというような雰囲気は感じる事が何度かあった。

「ファックスで少しは嫌な気分になったでしょう?」

 やっぱりあの嫌がらせは、裕子さんが黒幕だったようだ。
 
「あれはほんの子供騙し。まあ……私と一緒に住む生活に、あなたが耐えられるなら。それでもいいけど」

 私を追い出すなど、楽勝だと言わんばかりの態度だ。
 こうなると、私も徹底的に抵抗したくなる。
 例え彼が昔関係を持ってしまった人だとしても、それは全て過去の事だ。悠里くんの事も可愛がっているし、彼の子供だったとしても……私は芯さんの良心の方を信じたい。

「芯さんの言葉を聞くまでは、一切応じられません」

 真っ向から立ち向かった私を、裕子さんは疎ましそうに見上げる。
 もっとあっさり出て行くと思っていたんだろうか。
 私はそこまで弱く出来ていない。心から信じた人の事は、最後まで信じたいタイプなのだ。

 芯さんの心に裕子さんはいない。

 その事だけは確信が持てたから、私はどんな真実でも受け止めようという気持ちになっていた。

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