草食系な君と肉食系な僕

19. 獣のように

 強くなるのだと言って、悠里くんは食事をするようになり……学校に行けない日は、家庭教師を呼んで勉強するようになった。
 その変化は嬉しいものだったけれど、芯さんとの関係は冷戦状態。ムキになっている悠里くんの事を、芯さんは気付かないふりしている。

 私はといえば……どうにも気まずい空気の中で過ごしている。
 特別芯さんを嫌いになったとか、そんな事は無いのだけど、彼が私に対して敬遠しているというか……どう接していいのか分からない様子だ。

『あなたに来年の今日という日は訪れません』

 こんなファックスがきたのは、そんな気まずいムードの最中だ。
 裕子さんからの嫌がらせにしては、不自然な感じだ。
 実は、彼女からの嫌がらせは数日前から止まっていて、それは芯さんが手を回したのだというところまで知っている。

「法的処分に出る事も考えて、準備してる」

 それだけ、サラッと言っていたのを思い出す。
 そこまで威嚇しているというのに、さらなる嫌がらせをしてくるものだろうか。
 しかも、この文章は最初にきた『あなたには未来がありません』という文章に似ている。その次からきた裕子さんのものは『泥棒猫は出ていけ』とか……そういう私だとハッキリ分かるものだった。
 何となく……薄気味悪くなったけれど、この事を相談できる人もいなくて。
 そのままファックスを自分の部屋のゴミ箱に捨てた。


 
 意地悪で、冷酷だった私の上司。
 年下だけれど、他者を圧倒する風格を持っていて……私は最初、それに屈服するもんかと頑張っていた。
 でも、思いもかけない事態が私を恋の深い穴へと誘いこんだ。
 滅多に異性を特別視しない私が、初めて体まで許せた人。多分、私の一番深い部分まで知り尽くしているのは、彼だけだろう。
 兄ですら、私の女の部分までは分かるはずが無いから。
 だから、芯さんを好きだという気持ちはいい加減なものじゃないし……今少しショックを受けている事だって、時間が解決してくれると思ってい始めている。

 タイムマシンなんか無い。
 私が彼より2年先に生まれ、アラサーになる年まで知り合うチャンスすらなかった。
 誰との恋愛にもあるだろう……自分の前には、どんな人と付き合ってたんだろうって。
 知りたくないのに、ちょっとだけのぞき見てみたいという不思議な感覚。今の私は丁度そんな状態なんだと思う。
 
 だから、その日の夜……私は久しぶりに悠里くんがお兄ちゃんのところへ行ったのを見計らって、芯さんに純粋に気持ちを告げるつもりだった。
『私は、前と変わらずあなたを好きです』
 というような意味の事を…口にするつもりだった。
 でも、芯さんは10時頃帰宅し、開口一番「悠里は?」と聴いた。
「今日は兄のところへ行ってます」
 何も私からは言葉を発信できないムードがあって、私は怖い顔をした彼を見上げる。
 仕事で大変な事があっても、あまり家の中までそれを持ち込むのを嫌う彼だ。こうやって険しい顔をしているのは、私のせいなんだろうというのが想像できた。

「渚……こっちを向け」
「え?」

 強引に腕をつかまれ、彼は下向きぎみに目線を下げていた私の顔を覗き込んできた。

「目を見ろ」
「……はい」
 正直、この時の芯さんは『野生の獣』をイメージさせるような眼光をしていた。
 怖くなって硬直している私をソファに押し倒し、彼は唐突に目の覚めるようなキスをした。
「し…芯さん!や!」
「抵抗していいよ。その方が燃える」

 確かに体の関係はもう随分前から無くなっていて。
 女の私としては、気持ちがついていかないものをどうこうしようというのは無理だろうと思っていた。でも、芯さんの中では、拒絶されるような状態が続いたのがつらかったようだ。
「ねえ、これ以上抵抗したら服が切れるよ。どうする?そういう乱暴なのがいい?」
「……」
 私がどういう態度をとっても、彼からの積極的な動きを止める手だては無い。
 涙がにじんだけれど、私は彼のなすがままになり……黙ってソファの上で体の力を抜いた。

 芯さんのすらっとした指が、いつもより乱暴に動かされ、私はその強烈な刺激に耐えられず……体をよじった。
「痛かった?でも、たまには、こういうプレイもいいでしょ」
 最初の夜に優しくしてくれた彼とは思えない、猛烈に意地悪な言葉。
 私が抵抗を見せているというのに……両手首を固定して、身動き出来ない状態で強い刺激を次々に送り続ける。
 言葉では抵抗していても、私の体は彼のテクニックによってどんどん火照っていく。
「渚、胸が大きくなったね」
「何……言ってるんですか」
 ブラをずり上げられ、交互に胸の先端を口にふくまれる。
 何とも言えない甘い刺激で、思わず声が漏れる。
「いいね、その反応。もっと女になって見せてよ。それこそ肉食の僕に相応しいほどの激しい夜を過ごさせて欲しいね」
 
 芯さんじゃない。
 いや、本来の彼はこうやって女性を抱いてきたのかもしれない。
 私の事は何だか特別優しく扱ってくれていたようなところがあった。

 彼の中で、私というのは……もう「性欲を吐き出す場所」みたいな存在になってしまったんだろうか。

 悲しい…私の感情はそんな感じだった。
 吐き出しどころのないイラ立ち、孤独感、そういうものと戦ってきた芯さん。私がいる事で少しは癒えていると言ってくれていた。
 それなのに、私は彼を遠ざけるような態度をとってしまった。
 だから……乱暴にされても、特に彼を嫌悪するような事はなかった。
 逆に、好きな気持ちを自分の中で再認識するほどだ。
 彼の欲求が満たされるなら、私の体にいくらでもそれを吐き出せばいい。それで彼の人生が少しでも楽になるなら……私はそれでいいと思っている。

 ただ、彼が私を無視するだけ、私は自分の心を少しずつ壊していかなければならない。
 愛するというのは……要するに相手の欠けたものを補うという「思いやり」だと思っている。
 だから、思いやりの無い行動を愛する相手が自分にしてきた場合……欠けた部分が大きくなるという事になる。

 私が今まで拒絶した分、芯さんの心も随分欠けてしまったのかもしれない。
 そう思うと、「ごめんね」という気持ちになる。

「涙を浮かべた渚の顔……すごく色っぽい。そそるね」
 切なそうにそう口にし、彼は全力で私の体を貫いた。
「んぁん!」
 痛くはなかった。
 ジワリと脳に広がる不思議な刺激。彼の動きが激しくなるほどに、脳がショートしてしまうのかと思わされるほどのパッション。
 体力的に、彼は多分底無しだろうと思われる。
 だから、1回で終わりにしてくれる事なんかなくて……私はほぼ気絶寸前まで彼の腕の中で支配され続けた。

 恋……だろうか。

 愛……だろうか。

 私が芯さんに抱く今の気持ちは。どういうカテゴリーなんだろう。
 とても大切で、愛しいという気持ちはあって。
 どこか母親になったような気持ちになる事もある。

 だから。
 だからこそ……芯さんには、彼に相応しい女性が別にいるだろう……と思ってしまう。
 それが私だったらって何度も考えたけれど。
 やっぱり無理なのかな。

「分かっただろ……渚。僕はこれぐらいのセックスじゃないと満足できない肉食だ。たぶん、君が満足だと思う数倍の性を求める。外に女を作らないなんて保障もないしね……あのオヤジの息子なんだから…当然そういう血は入ってるよ」

 呼吸を整えてシャツだけ羽織った状態で、彼はソファの背もたれに体を預けた。

「女で汚れきった僕の体に抱かれて……嬉しいか?」

 自分を悪人にして、私がこれ以上傷つくのを避けようという彼の不器用な気使いを感じた。
 今のセックスは……私にとっては衝撃的ではあったけれど、好きな人から送られるものなのだから、嫌ではなかった。逆に、久しぶりに彼の肌を感じて、体は喜んでいた。

「抱き合うのは、愛があったり無かったり……かたちは色々だと思いますけど。それでも、私は芯さんの肌を感じられて嬉しかったです」

 正直な感想だ。
 苦しい気持ちも確かに抱えてはいるのだけれど。
 だからといって、現在私を愛してくれている彼の心を全否定する事はできない。

「ありがとう。渚は……まあ、会社にいた頃から分かってたけど。ちょっとお人よしが過ぎるな」

 クスッと笑いながらソファから立ち上がり、彼はそのままシャワー室に消えた。


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