草食系な君と肉食系な僕
22.別れ
芯さんの態度が急激に冷ややかになったのは、激しい交りがあった直後だ。
「何かありましたか?」
「何かあったか、なんて渚にいちいち報告する義務でもあるのか?」
私の問いかけにも、ぞんざいな態度をとる。
「そうではないですけど」
私を大事だと言ってくれた。
どこにも行かない……大丈夫だよって。
なのに、今の彼は私の事だなどどうでもいいような態度しかとらない。
「僕も少し芝居をし過ぎたな」
「芝居?」
「渚は単純だからな……ちょっと甘いムードに酔って、僕の孤独を救ったつもりにでもなってるんだろう」
この言葉には、あまりのショックに声も出なかった。
「ひどい。私、そんなつもりであなたと接していたつもりないです」
私が涙目で訴えても、冷たい視線は変わらない。
「そうか?人間なんて誰でも自分が一番。慈善事業なんて自己満足に過ぎないだろ」
職場でしか知らなかった頃の彼だ。
冷酷で、他人の気持ちなど全く推し量る事をしない。
「渚。僕が一人の女に固執しないのは分かっていたと思う……さっきのはちょっとした遊びのつもりだったのさ。真面目な渚のことだから、マジになってないか心配してるよ」
「遊び……」
本心だろうか。
私はすぐに彼の心を推し量る事ができなかった。
「芯さんにとって私の存在は…もう不必要なんですか?」
こんな事を確認する私を冷たい笑みをたたえたまま黙っている。
これは、私に出ていけと言ってるんだろうか。
悠里くんはもう私の力無しでも学校に行くし、友達もちらほらできているようだ。
「分かりました。不要な人間がここにいる必要ないですよね。荷物もほとんど無いですし。今日中には出てゆきます」
涙は禁物だ。
こんなところで泣く女にはなりたくない。理不尽な扱いを受けたら、それに抗う事をやめてはいけない。
例えそれが、心から愛した人であっても。
※
寂しく荷物を整理し、ここ数ヶ月過ごした日々は何だったんだろうと思った。
芯さんのお思いがけない孤独と葛藤を知って、放っておけなかった。
慈善事業だなんて想った事は一度もなかったし、彼が少しでも家に戻って疲れが癒されたら嬉しいと思った。
「渚ちゃん。またお兄ちゃんと喧嘩したの?」
悠里くんが悲しそうな顔をして私の部屋に訪ねてきた。
「ううん、大丈夫。心配しないで」
そう言うと、彼は私の体にガッチリ抱きついてきた。
「悠里くん?」
「お兄ちゃんは渚をすきだよ。ただ、多分、渚ちゃんをもっと悲しませるのが嫌で、強がってるんだと思う」
「……」
小学生でも、大人の男女がわかるものだろうか。でも、悠里くんくんは年齢のわりに察しが鋭い。
もしかしたら、芯さんの心には何か別の問題が発生しているのかもしれない。
ただ、そんな状態でいても、彼は私を必要とはしていない。
ひどい言葉を投げられたからといって、すぐに彼を嫌いにはなれない。
私が出て行く事で彼の心が少しでも楽になるなら、私はそれに甘んじて受けようと思う。
夕方。
悠里くんが怪訝な顔で玄関口にいた。
「どうしたの?」
「渚ちゃん。僕……お母さんのところに行かないといけないの」
どうやら外に迎えの車もきているようだ。
「芯さんが行けって言ったの?」
私の質問に、彼はコクリと頷く。
行きたくない様子だったけれど、何かうまいいい訳を付けたようで、悠里くんはノロノロと外に出て行った。
彼にはわざわざお別れを言うのは可愛そうだと思って、自分が屋敷から出て行く事は黙っていた。
あとは芯さんに最後の挨拶をするだけ。
反感いっぱいで来たこの屋敷だけれど、それなりに愛着もわいていた。こんなカタチでさようならするのは本当に寂しい……。
荷物の整理も終わって、リビングでボンヤリDVDを観ている彼に向かって、丁寧にお辞儀をした。
「短い間でしたが、お世話になりました。どうぞお元気で」
「ああ。いい退屈しのぎをさせてもらった。こちらこそありがとう」
私の方など見もせず、彼はDVDの画面から目を外さない。
不器用な彼の事だ。こういう別れの場面に気の利いた言葉など使えないのかもしれない。
それにしては、寂しすぎる最後の言葉。
「さよなら……」
弱々しく別れの言葉を告げ、私は屋敷の門の外に出るなり涙をこらえられなくなった。
「芯さん……どうして?あなたの本心はどこなの?」
強引で、偏屈で、それでも深い悲しみと苦しみを抱えている芯さん。
彼を癒せる女性は他にいるのかもしれないね。
ただ、こんな追い出す方法じゃなくて……きちんと別れの理由を言って欲しかった。
いつでも孤独で不安定な芯さんを置いて出ていくのはとてもつらい。でも、彼は私がここに留まるのを望んでいない。
ボウッと暗闇に照る街灯。
今にも雨の降りそうなどんよりとした雲。
私の変わりに空が泣いてくれるんだろうか。
※
兄の家に行くと、新しい彼女が夕飯を作っていた。
「あ、響さんなら今、公輝くんと買い物に出てますけど」
明るい感じの若い女性だ。
「そうですか」
「ええ、何だか新発売のゲームソフトが欲しいとか急に言い出して……」
クスクスと笑う彼女の笑顔からは、幸せがにじみ出ていて、この人なら兄を大事にしてくれそうだなと思えた。
ほっとすると同時に何とも言えない寂しさが心をよぎる。
ここにも私の居場所は無い。
それを察知し、私は単に忘れ物をとりに来ただけなのだと嘘をついた。
公輝からそれとなく情報は得ていて、彼ともうまくやっているようだから……私は兄と公輝の未来をそれほど心配しなくていい立場になった。
元々暮らしていたアパートは引き払ってしまったし、私が行ける場所はどこにも無い。
あてもなく、フラフラと商店街を歩く。
行き交う人々はせわしなく買い物をしていた。
夕暮れ時。家族を待つ主婦達の群れがやけに眩しく見える。
そんな風景を見ている中、何気なく電気屋にディスプレイされていたテレビ画面を見た。
すると、そこには芯さんと悠里くんの暮らす屋敷から火が出ているというニュース速報が流れていた。
「うそ!」
私の目の前は真っ暗になった。
まさか……まさか。芯さんは身の危険を最初から分かっていたの?
悠里くんも裕子さんに預けて、彼は一人であの屋敷に残った。これは……彼が何か危険な事が起きるのを察知していて。それで、私達を強引に外に出したのだとしか思えない。
「芯さん!芯さん……!!」
私は崩れそうな姿勢のまま、屋敷を目指して走り出していた―――――。
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