草食系な君と肉食系な僕
4.当惑のクリスマスイヴ
歓迎会のとんでもない事件は、次の日から女子職員に猛烈な衝撃を与えていた。
何となく、誰も私と話そうとしない。
よそよそしいというか、チラ見してはコソコソと何か話している。
「……いったい何が起きたの?」
自分の席にカバンを置いて、フロアの上座に座っている影沼さんを見る。
昨日起こった事は夢だったんだろうと思うほど、普通の……いつも通りの冷徹な顔をしている。
「ちょっと……渚」
瑞樹が私の袖を引っ張る。何がなんだか分からない状態でトイレまで連れて行かれた。
「何?どうしたの?」
「どうしたのじゃないわよー!皆、渚と副社長付き合ってるんだって言ってるよ?」
「はあ!?」
私は自分の中で、昨日起きた事は事故として処理されている。決して何か暖かいものが生まれた訳でも何でもなかった。
でも、まあ……いくら余興とはいってもキスしてしまったんだから……「関係があるに違いない」という勘ぐりに繋がっても仕方ないのかもしれない。
「誤解は、いずれ解けると思うよ……私達の間には一切何も無いんだから」
うろたえてもしょうがない。
私は、つとめて冷静を装おうと頑張る。このまま影沼さんに心まで乗っ取られるなんて、我慢出来ない。
変なところで意地っぱりというか……私は、強引なキスぐらいでは揺れないのだというのを彼にアピールしたい気持ちでいっぱいなのだ。
「渚はそう言うけどさあ。私だってちょっとは疑っちゃうよ……キスっていったって、普通“頬に軽く”ぐらいかなって思うじゃん」
「だよね……」
そう。
彼が私にしたキスは、恋人の間で交わされるべきものだった。
実際私の頭もボウッとなって、認めたくないけど「気持ちいい」なんて感情が走ったのは否定できない。
でも……これは自分に対して『ワインのせい』って事で片付けてある。
今日いつもより早く出勤したのも、昨日の打撃で仕事に影響があったりしたら影沼さんにまた見下されるかもしれないという対抗心からだ。
まあ……私は可愛くない女だ。
男のしもべになって尻尾をふるような女にはなりたくない。
対等に意見も交わしたいし、私のプライドとか……人間としての価値をちゃんと見てくれる人じゃないと絶対嫌だと思っている。
影沼さんのセリフは、明らかに私をコントロールしようという意志を感じた。
『懐柔してやりたくなるんだよね』
このセリフは、忘れようにも頭にこびりついて離れない。
てなづけてどうしようっていうんだろう……。自分の仕事にとやかく言う人間をつぶしておきたいとか、そういう事だろうか。
それぐらいしか思いつかない。
影沼氏に“優しさ”とか“愛情”という言葉は全く似合わない。
※
女子社員からの冷たい視線を浴びつつ、私はいつも通りの仕事をする。
なるべく影沼さんの顔は見ないように……っていうのが、すでに不自然なのかもしれないけど。
目が合ったりしたら、どう反応していいか分からないから。しょうがない。
それより、私は今日甥っ子の公輝の為にクリスマスケーキを作らなくてはいけないのだ。
スポンジケーキは出来たやつを買うとして……あとは帰りに生クリームとイチゴと飾りの人形なんかを買おうと思っている。
彼氏にチョコを贈った事もない私が、甥っ子の為にはケーキも作ってしまう。
これこそが「愛」ではないかと思う。
異性への愛は、よく分からない。
だって……途中で消えてしまったりするのが「愛」だと言えるだろうか。
一瞬燃えるマッチみたいなもので、火薬が無くなったら消えてしまう……そういうのが、一般に言われる「恋」とかいうんだろう。
そういう不確かなものを信じ続けるのが苦手なのかな。
相手の愛情を疑ってしまう自分がいる。
体を許さなかったら……心が冷えてしまうなんて、そんなの愛でも何でもない。
このハードルを越えるにはどうしたらいいのか。
今の私は分からない。
「…さん、小島さん!」
ボーっとトイレから席に戻る途中、誰かに肩をつかまれた。
振り返ると、相変わらずの無愛想な影沼さんが立っていた。
「え!何ですか?」
思わず肩を触れた事で過剰反応してしまった。
瞬時に、二歩くらい後ずさる。
「別に食べたりしないよ」
笑うでもなく、無表情のままそんな事を言われる。
「これ……さっきプリントアウトしてたでしょ」
「あ!!」
影沼さんが手にしていたのは、デコレーションケーキの飾りつけ方を図解したHPをプリントアウトしたものだった。
確かに、トイレに行く前にそれをプリントして……手にとるのを忘れて席を立ってしまったのだ。
思わず顔が青ざめる私。
「小島さんって子供でもいるの?」
怒られると思っていたのに、予想外の言葉をかけられて……ちょっと驚く。
「いえ。いません……兄の子に。甥っ子に……クリスマスケーキ作ろうと思って」
「ふーん……」
何か言いたげな感じだったけど、彼はそれ以上深い事は聞いてこなかった。
私も恥ずかしくそのプリントアウトされた紙を受け取って、そそくさと席に戻った。
意外だった。
仕事に関わる事には細かくてウルサイのが常の影沼さんが、このケーキのプリントについては何も文句を言わなかった。
というより、逆にもっと何か話したいような様子だった。
子供好きなんだろうか。
「ぷ!あり得ない!!」
思わず声に出してしまった。
影沼さんが子供を抱っこしてる姿なんて、かなり想像するのが難しい。
※
クリスマスイヴに、独身女が甥っ子にケーキを作る。
この図って…美しいだろうか、寂しいだろうか。そんなのどうでもいい気もするけど。
ただ、こうやって好きな人の為に何かするっていうのは……基本、嫌いじゃないのだ。
じゃあ、どうして今までの恋人にはそれらしい事を何もしなかったんだろう。
女っぽい部分を見せて、相手を目くらましに合わせるのはずるいというような変な気持ちもあった。これは、単に私がひねくれてるだけなんだけど。
素直になっていれば、もう少し温められた関係もあったかもしれない。
なのに、私はそれをする前に放棄してきた。
「恋愛が続かなくて当然だな」
恋が長く続かないのは自分にも相当な落ち度があった事を、改めて思ったりする。
ずっと男性の性的なものに対する嫌悪感を理由にしてきたけど、これも……きっと言い訳なのだ。
本当に好きだったら。本当に相手を信頼して、何もかもを許せたら。
体に触れる事だって嫌じゃないはずなのだ。
そこまで信頼し、深いところまで好きになった人がいなかった……作ろうとしなかった……それが私が草食である理由なのだろう。
もし、今から恋をするなら。その人が本当の意味で初恋になるのかもしれない。
30になる女が、初恋……。
かなり笑いのネタにされそうな話だけど、実際そうなのだからしょうがない。
不意に、影沼さんから受けたキスの感覚を思い出す。
とたん、顔に火がついたように熱くなるのを感じた。
「いや、あれはワインのせいだってば!あの人は、キスとか……平気で誰にでもする軽い男なんだから」
慌ててキスシーンを打ち消そうとして、イチゴを1つ床に落としてしまった。
転がる真っ赤なイチゴを拾い上げ、自分の中で何かが微妙に動き出しているのを感じた。
まさかだよね。まさか……あの肉食系な男に惹かれてるなんて事…無いよね?
こんな事を自問自答するクリスマスイヴの夜になった。
|