草食系な君と肉食系な僕
7. 調教開始
初日の夜は、大変な事態になった。
夕飯時のキスだけでも、私の中ではかなりの事件だったのだけど。
その後も、影沼氏が肉食系である事を思い知らされる事になる。
入浴時。脱衣所のドアをノックされた。
「小島さん、ソープ切れてなかったか?」
「え!?」
ドア越しに声をかけられて、下着だけになっていた私は慌てて傍にあったバスタオルで体を隠す仕草をする。
「ドアの前に置いておくから、足りなかったらこれ使って」
そう言われ、彼が入ってくるつもりが無いのを知ってホッとする。
というのもつかの間、ガラリとドアが開いて悠里くんが入ってきた。
「僕、渚ちゃんと入る!」
「きゃ」
弾みでバスタオルが落ちて、思いがけず影沼氏に下着姿を見られた。
デリカシーがあるのか、無いのか、彼はすぐに立ち去ったりしないで堂々と脱衣所に入ってきた。
「悠里は今日少し熱があるだろう。また明日にしろ」
ポーカーフェイスのまま悠里くんを抱いて、脱衣所を出て行く。
その後ろ姿を見ながら、私はもう放心状態だ。
裸を見られたわけじゃないけど、ほとんど見られたのと一緒だ。
「う……だから一緒に暮らすなんてやだったのに」
この年まで男性に見られた事も触れられた事のない体。兄にだって高校に入った頃からは見られた事は無い。
なのに、影沼氏は平然とした顔で私の体を見ていた。
どう思ったんだろう。
思ったより胸が無いなとか、バランス悪いなとか……冷静に分析されてたりして。
「会社だったらセクハラで訴えるのにーーー。って……私、草食系とか言ってるわりに男性に対してけんか腰だよね。これって単に“男嫌い”ってやつなのかな?」
穏やかで異性にガッツかないタイプを草食系と言うようだけど、私はそういう意味では「草食系モドキ」ってやつかもしれない。
決して好きな人が欲しくない訳じゃない。
身も心も安心して預けられる人がいたら、きっと嬉しいに違いない。
そう思ったとたん、影沼氏が裸の私を抱きしめてキスしてくる妄想が湧いたりした。
「ぎゃー……!違う、違う。私はそんなつもりでここに来たんじゃないのに」
湯船に体を沈めて、真っ赤になった顔を半分まで隠す。
一緒に暮らすっていうのは、思った以上に相手との距離を縮める事だった。
夫婦でも恋人でもないのに、年の近い男女が一緒に暮らすなんて…やっぱりかなり危険な香りがした。悠里くんがいてくれるのが唯一の救いかな。
※
お風呂から上がって、ベッドの上でぼーっとなっていた私。
長く入りすぎてのぼせたのもあるし、この急激な展開に自分の心がついていかないのもある。
料理は朝食だけハムエッグとトーストにカフェオレを用意して欲しいと言われていて、夕飯はほぼ全部影沼氏があらかじめ作ってチンすればいいようにしておいてくれるそうだ。
「ランチは適当に外食でもして遊里に外の空気吸わせてあげてもらっていい?」
そう言われ、数枚の万札を手渡された。
あまり多く食べられない遊里くんだけど、外食にすると気分が変わって結構食べるらしいのだ。
「分かりました」
お金を受け取り、彼が本当に遊里くんを父親のように可愛がっているのが分かって少し心が絆される。
異性を好きになる感覚が分からない私だけど、今心臓がドキドキしているのは何なんだろう。
時々見せる影沼氏の笑顔を嫌いだとは思えない。
遊里くんを大切にしていて、かなり気を払っているのを見るのも心が暖かくなる。
会社では本当に残酷なぐらいのリアリストなのに。
あれは、そうでなければ仕事が進まないから…本来の自分を偽ってるんだろうか。
そんな事をぼんやり思っていたら、不意にドアがノックされた。
「はい」
「僕だけど。今、入っていい?」
「あ、どうぞ!」
一応パジャマは着ていたけど、こんな時間に訪問されるとは思ってなかったから、かなり驚いてベッドから跳ね起きた。
ガチャリとドアノブが動き、ガウン姿の影沼氏が入ってきた。
「何かご用ですか?」
「ん?」
私がガチガチになって立っているのを見て、彼はプッと吹き出した。
「小島さん……ペンギンみたいになってるよ」
「ペン……」
例えられたのが人間じゃなくて、動物だった。
まあ…それはいい。いったい彼が何しに来たのか気になる。
「どう?ここで働けそう?」
全く普通の態度で部屋にあった椅子に腰をかけて私をじっと見た。
数時間過ごしただけで、どうこう言えないけれど……思ってたより不快感はない。
「はい。遊里くんが可愛いですし……あの子の相手をしてあげたいっていうのは大きいかもしれません」
影沼氏と暮らす事をどう思っているのかは、言葉にしづらかった。
すると、彼は私に自分の傍にくるよう手招きした。
「何ですか?」
「ねえ、変な事聞くけど。小島さんて男いる?」
「ぶ」
あまりにも唐突な質問に、のけぞりそうになる。
彼氏がいたら、こんな危ない仕事引き受けないですよ……と言いたくなった。
「いない?」
「……いません」
ええ、私は男性に縁のない人生を歩んで来た人間ですよ。
半分むくれている私の腕をぐいっと引っ張って、彼は自分の膝に私が乗る強さで私を引き寄せた。弾みで、椅子に座った影沼さんと向かい合わせに抱き合うかたちになってしまった。
緊張しすぎて、額に汗がにじむのが分かった。
「良かった。じゃあ、遠慮なく接近させてもらうよ」
そう言って、彼は私の首筋につーっとキスを這わせた。
ゾクッとして、逃げたい衝動に駆られたけれど、彼は私の体を離さない。
「荒っぽいのは好きじゃない。小島さんが男に慣れてないのは見てて分かってるから。まあ……少しずつ知ってくれればいい」
「な…何をですか?」
「ん?いや、僕の事を…っていうか…男ってどういうものかって事を」
男性がどういうものかなんて知らない。
お兄ちゃんは優しい人で、女性を荒っぽく扱う人ではなかった。だから、あれ以上優しい男性なんているのかと疑問ですらあった。
影沼氏のキスは確かに優しい。
ただ……彼の場合、深みにはまったら二度と出られないような危険性を感じる。
最初に冗談みたいに交わしたキスは、まさにその象徴で。口を塞がれると呼吸が止まるなんて……実はあの時初めて知った。
「あ、1つ教えてあげる」
影沼氏は私の顔を正面から見つめて、真面目な顔をした。
「キスで呼吸が苦しくなったら、鼻で息をすればいいんだよ」
「……」
自分の思考を読まれていたのか。
恥ずかしさで彼の顔をまともに見られない。
「試してみる?」
明らかに私の反応を見て楽しんでいる。
顔を赤くして、緊張で汗ばんでいる事も見抜かれている。
私が返事をしかねて黙っていたら、影沼氏の方から夕方食卓でしてくれたような甘いキスをしてきた。
とろんと溶けそうな感覚になる。
何度かソフトなキスをした後、だんだん深いキスに変わった。
「ん…んん…」
あまりの強烈なキスに、体中の力が奪われていく。
「渚、君……すごく綺麗な体してるね」
ボーっとなっていて、この時彼が自分の下の名前を呼んだ事に気付かなかった。
こうして私は、少しずつ…この年下の男の餌食になるのだった。
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