草食系な君と肉食系な僕

8.好き?

 ああ……あり得ない。
 私の人生で、男性に振り回されるなんて一度もなかったし。これから先も無いだろうって思っていたのに。私はあの半分悪魔みたいな男に振り回されている。

「気に入られているんだろ?そのまま結婚しちまえよ」

 無責任な兄は、こんな事を言った。
 甥っ子の為に毎日夕飯は作りに来ているのだ。今日は適当過ぎる煮込み料理。

「いい加減な事言わないでよ。あの人は女なら誰だっていいのよ…実際女性遍歴はすごいみたいだし…。私、異性に慣れ過ぎてる人って嫌い」

 自分が影沼氏にやや特別に扱ってもらってるようなムードはあえて無視。
 あれが彼なりの愛の表現なのか、どんな女性にも似たような応対してるのか……それは分からない。ただ、縄張り意職は強いみたいで、むやみに自分の近辺に女性を置いたりしないのは確かなようだけど。

「渚は、やっぱり男を知らないなあ。男ってたくさんの女を知ってる方が、最終的に好きになった女には本気になるもんだ」

 分かったふうな事を得意げに言う兄。
 最近彼女ができたみたいで、機嫌がいいのだ。
 私はここに来る必要はなくなるかもしれない。でも、その女性が公輝をちゃんと可愛がってくれる人なのかどうか…それだけはちゃんと確かめたいと思っている。

「最終的な存在なのかどうか分かる方法無いし、あの人の方が2才年下だし」

 私がブツブツとそう言ったのを聞いて、兄はブッと吹き出した。

「おま…おまえ、それって…その男の事好きって事じゃないか」
「は?」
「鈍いなあ。自分を最終的に好きな女として見てくれてるのか気にしてるじゃん。それに、年下だし…って…年齢まで気にして…我が妹ながら可愛いな」

 満足そうにニヤニヤと笑いながら兄が私をからかう。
 とたんに私の顔はリンゴみたいに赤くなる。

 気付きたくないのに、私は影沼氏を嫌いだという表向きの自分が実はちょっと崩れかけているのは感じているのだ。
 職場で緊張して過ごしているせいか、屋敷に戻ってくると油断した顔をたくさん見せる。
 あれが何故か私の心をキューっといわせていて、本当に困っているのだ。

「まー…強情な渚を力でねじ伏せてコントロールできる男なんてそうはいないだろうから、大事にした方がいいんじゃねえの?」

 出来上がったばかりのおかずをつまみながら、兄はそう言った。
 
「……」

 エプロンの裾を握り締め、自分の思考をいったん停止させる。
 こんな気持ちで屋敷に戻ったら、自分がどういう感情に支配されるのか分からない。

 怖いのだ。

 恋愛は苦手。異性を好きになったら、きっとつらい思いをする。
 私の中身を好きになってくれる人なんていないし、こういう頑固で可愛くないところも全部いいよって言ってくれる人はいなかった。
 臆病って言われてもいい。
 傷ついてボロボロになる方がずっとつらい。
 
 私の友人で恋愛体質の子がいて、その子は失恋してもわりとケロッとしている。
 どうしてそんなに平気でいられるのか聞いた。そしたら、彼女はあっさり言った。
「え?上書き保存しちゃえばいいのよ。次に好きな人、だいたいターゲット絞ってるし……終わった恋愛に涙流してる時間もったいないじゃない」
 この言葉には唖然とした。
 女性の心理システムはそうなってるのか。
 好きな人がいても、その恋愛が終われば次の男性が現れると同時に……その存在は消されて上書き保存されてしまうのだ。
 そこを言ったら、私は男性っぽいのかもしれない。
 好きな人で、片思いのままだった人の事はずっと思い出の箱に入ってる。
 こういうのを「別名で保存」と言うらしい。
 付き合って私を捨てた男たちを宝箱に入れようとは思わないけれど、人間として好きだなと思った人の事は忘れられない。

 こういう自分の性質を知っているから、よけい恋はしたくないと思ってしまう。
 本当に好きになったら、本気で愛してしまったら。
 きっと……その人ばっかりを考えて、つらくなっちゃうかもしれない。

「渚は食わず嫌いっていうか、臆病過ぎる。とにかく毒リンゴでもいいからかじってみろよ、未来が変わるかもしれないぞ?」

 屋敷に帰ろうとする私の背中に、兄は最後にこんなアドバイスをくれた。

「毒リンゴだったら死んじゃうじゃない」

 憎まれ口をたたきつつ、振り向いたら顔が赤いのがひけてないのがバレるから、そのまま部屋を出た。



 毒リンゴ……影沼氏が戻る前。
 いつも通り悠里くんとゲームをしていた私は、軽い眩暈に襲われた。
「渚ちゃん?」
 心配して、ゲームする手を止めた悠里くん。
「あ、ごめんね。何か……ちょっと頭がクラクラしちゃって」
 私は体が弱い方じゃないし、少しくらいの具合の悪さは知らん顔で誤魔化すタイプ。
 なのに、今回の眩暈は全然騙せなかった。
「顔が青いよ……寝たら?」
 悠里くんに体調を心配されるなんて……。
 軽く申し訳ない気分になりつつ、私は思わず吐いてしまいそうな衝動もあったから、とりあえず自分の部屋で休む事にした。
「お兄ちゃんに電話しようか?」
「やめて!それだけは…やめてね。彼はとても仕事で忙しいの…余計な気は使われたくないから」
「うん」
 私がちゃんと遊び相手になってあげないと、悠里くんは寂しいのだと分かっている。
 具合の悪い私を見て、不安になって影沼氏を呼びたい気持ちになってるのも分かる。
 でも……やっぱり仕事に集中してる彼の姿を思い浮かべると、簡単に家に呼び寄せるなんてしてはいけない気がしてしまって。



 何時間寝たんだろう。
 気付くと部屋は真っ暗で、すっかり日が落ちたのが分かった。
 時計を見ると、9時を少しまわった頃だった。
「悠里くん、夕飯食べたかな」
 心配になって、フラフラの足で様子を見に行く。
 すると、ちょうど影沼氏がリビングに入ってきたところで、悠里くんが彼に抱き付いているのが見えた。

「お兄ちゃん!渚ちゃんが……」
「分かってる。様子見てくるから」

 どうやら悠里くんは不安が強くて、彼を呼んでしまったようだ。
 いつもの彼なら11時くらいまで帰らないのだ。
 私が2階の手すりから見下ろしているのが分かったのか、彼は上を見上げた状態で階段を登ってきた。

「熱はあるの?」

 真面目な顔でそう聞かれ、私もどう答えていいか分からない。
 具合が悪くて、ただ寝ていただけで……熱なんて計ってない。

「分かりません。ただ、頭がクラクラして立ってるのがつらいんです」
「……」
 目の前まできて、影沼氏は何も言わないでわたしの額に大きな手をピタリとあてた。
 そのひんやりした感覚に、思わず体がビクッとなってしまう。
「小島さん……あんた馬鹿か?軽く障ってみても40度くらいありそうだけど?」
「え?」
 呆れた顔をされ、次の瞬間には私は抱き抱えられていた。
「ちょ!影沼さん!!」
 お姫様抱っこなんて、この年になってしてもらうとは思わなかった。
 彼の腕の中で暴れようとしても、ものすごい強い力で抱えられてるからどうにもならない。

「まるで暴れ馬だな。ほんと……世話が焼けるっていうか、いじりがいがあるっていうか」
 
 少し口のはしに笑みを浮かべて、彼は私をベッドに戻した。

「とにかく常備薬飲んでみて。おかゆと、うどん、どっちが食べられそう?」
「……いいですよ。薬だけ飲みます」
 料理させるのは申し訳無い。
 仕事で疲れてるのに、悠里くん用の明日のご飯も作る彼に私の世話までさせるなんて。
 そう思ったけど、彼は特に困った顔はしていない。
「料理って女みたいで好きだから、全然苦じゃないよ」
「……どういう意味ですか」
 ベッドの中でぼんやりしながら、私は彼の言った言葉の意味を考えたけどよく分からない。
「包丁さばき1つ、塩加減ひとつで、どうにでも変わるからね」
 女好きのエロ男!
 なんて元気な私なら心で叫んでいたんだろうけど、今はそんな気力すらない。
「僕はあなたを料理してみたいなって思ってるんだけど」
「?」
「まあ……とりあえず元気になってもらわないと、手も出せないから。とりあえずおかゆ作るよ」
 何だか知らないけど、元気な私なら噛付いただろう言葉をバシバシ言いながら彼は部屋から出て行った。

「……」

 高熱で倒れるなんて久しぶりだ。
 慣れない生活のストレスが溜まっていたんだろうか。
 まさか影沼氏に看病してもらうなんて、思ってもいなかった。

 でも、何だろう。
 病気って人の心を弱くするみたいで。
 正直、彼が早めに帰ってくれた事で私は軽く嬉しいと思っていたのは否めない。

 寂しかった?
 今までだって、時々風邪をひいた事はあったけど……全部自力で治してきた。
 鬼だ悪魔だと罵ってきた影沼氏が私に見せた態度は、今まで経験した事がないような優しいもので。
 頭の中はボヤンボヤンとしてるんだけど。
 彼の微笑んだ顔が脳裏に焼き付いて離れない。
 私は……影沼氏を好きなのかな?

 高熱が出たせいで、私の思考回路はあっという間に影沼氏に乗っ取られそうになっていた。

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