草食系な君と肉食系な僕

2−5 信じてる

 芯さんの心が私から離れてないと知って、多少心が救われたように思えている日々。
 このままだったら、綾さんの存在などそれほど重要じゃない感じもしていた。なのに……思いもよらない展開が待っていた。

「なあ、渚」

 休日の昼さがり、仕事の合い間にリビングでお茶をいただいていると、綾さんが声をかけてきた。
 彼とは誕生日に食事を一緒にして以来、それほど親しくはしていない。
「何でしょうか」
 普通に接しようと思うのだけれど、どうしても少し棘が入ってしまう。
「そう敵意をむき出しにするなよ」
 会社では綾さんがすっかり芯さんの代役を務めているようで、新副社長は綾さんになるんじゃないかという噂を聞いた。
 芯さんは昔ほど毒が無くなった。それは仕事に関係はないんだろうけれど、やはり頂点で統率を取るには部下から一目置かれる存在でなくてはならないみたいだ。
 綾さんは昔の芯さんのように力技でねじ伏せるというやり方はしない。
 まやかしの優しさと、少しのお金を動かす事で人を操作している。本当の優しさじゃないと分かっていても、個人にしてみれば……退職金を多く出してもらえるなら解雇されるよりマシだと思うみたいだ。
 なかなか狡猾だし、要領がいいのは理解できる。でも、好感は持てない。
 そんな綾さんが、私に意味ありげに近付いてくる。
「悠里……僕にそっくりだと思わない?」
「え?」
 最初綾さんを見た時。悠里くんに少し雰囲気が似ているなとは思った。
 でも、それ以上の関係を探るところまでは考えていない。
「裕子って、正直…影沼家の男全部食ってんじゃないのって気がしてるんだけどさ。まあ、僕もその例に外れてないわけ」
「……だから何なんですか」
 こんな事悠里くんが聞いたら、せっかく少し落ち着いている彼の精神状態が悪くなってしまう。
 私はそれが心配で、綾さんが早く話を止めてくれないかと思った。

「悠里は裕子と僕の子だ。多分……裕子は芯との子だと言い張るだろうけど」

 自分の子供だと分かっていて、芯さんに世話を任せたまま知らん顔をしていられる人の神経が分からない。私の心は綾さんへの不信感でいっぱいになる。

「認知をしてくれと言われれば、拒まなかったんだどね…あいつは何故か親父に認知をさせた。将来的にその方が安全だと思ったのかどうか…それは分からないけれど」
「それが本当の話しだとして、どうして私に言うんですか」

 聞かなければ、知らなければいい事もたくさんある。
 私にとって、今の話しは全く聞く必要のないものだったのに……

「悠里を守りたかったら、僕についてきて欲しい」
「え?」
「僕もこんな手口は使いたくないんだけど、君を口説いてる時間も無い」

 どうやら芯さんとの関係は最悪になっていて、同じ屋敷で住む事も無理になったようだ。
 それで、腹いせなのかどうか分からないけれど……私を芯さんから奪う事で少し彼にダメージを与えようと。そういう手口なんだろう。

 私に選ぶ余地はない。
 正直な事を芯さんに告げれば、彼だって衝撃を受けるだろう。だって、弟だと信じて小さい頃から悠里くんを育ててきたのだ。綾さんの子供だと知ったから愛情が減る事もないだろうけれど、心中は相当複雑になるに違いない。
 それに一番の問題は悠里くんだ。
 今までだって十分過ぎるほど傷ついてきた。大人のエゴのせいで、ひどい扱いだったに違いない。そんな外からの風を芯さんが体を張って守ってきた。
 その努力が無になるような事……私にはできない。

「全部分かってくれてる顔だね」

 綾さんは憎らしいくらいソフトな笑顔で私の頭に手を置いた。
 彼からの条件は二つ。芯さんに何も告げずこの屋敷を去る事と、会社での秘書として仕事復帰して欲しいという事だった。

「正直、時間が足りない。人件費は削減しなきゃいけないんだけど、自分が出た会議の報告書とかファイリングしたり……やってらんないよ」

 吐き捨てるようにそう言い、つまり私は雇われの身だから会社では「タダ働き」させられると……そういう魂胆なんだろう。
 まあ、別に私もメイドよりは会社での方が役に立つ人間だろうと思うからいいけど。
 でも、芯さんもいる会社で知らん顔で働くなんて辛すぎる……。

「分かりました。その条件のみますから……絶対悠里くんを傷つけたりしないって誓ってください」

 気丈に綾さんの言葉を受けた私を見て、彼はフッと笑顔になった。
 時々見せる、この結界を解いたような笑顔に私は思いもかけずドキリとさせられる。

「僕だって悠里を可愛いと思ってるし…今さら父親面するつもりもないよ。渚さえ手に入れば、それでいいんだ」



 激しい交わりの果てに私の存在をうっすら思い出してくれた芯さんに、別れを言わなくてはならない日がきた。
 泣いてはいけない。
 不自然にオロオロしてもいけない。
 私は、「自分の選択」でこの道を選んだ……つまり、“芯さんとは離れる”という選択だ。

「突然だね。僕、何か怒らせるような事したか?」

 すっかり荷支度して出て行く寸前の私に、芯さんが背後から声をかけてきた。
 私は顔をそっちに向けられなくて、ベッドを直すふりをして黙っていた。
 今言葉を出せば、多分泣いてしまう。綾さんに心を奪われたのだと誤解されるのだけは嫌だったけれど……それすら私は口にしてはいけない。

「僕は渚を信じてるよ」

 後ろからギュッと抱きしめられ、ゾクッとくるセクシーな声が耳元でささやかれる。

「芯……さん」
「火事で記憶を失っても、あれだけ献身的に尽くしてくれた君が、意味もなく僕の前から消えるとは思えない。綾の差し金なのは分かってる……いずれちゃんと戻れるようにするから」

 この言葉を聞いて、私はうっかり涙をハラリとこぼしてしまった。
 
 去りたくない。
 ずっと、ずっと芯さんのところにいたい。この人の為なら、慣れない家事だって頑張れる。
 でも、今は綾さんの芯さんに対する対抗意識をどうにかする仕事の方が先だ。あの人の人間不信は芯さんよりひどく…すでに回復不能に近いほど歪んでしまっている。
 私のストレートな攻撃で、どこまで心を揺さぶれるかは分からない。
 ただ、芯さんに勝つ為……そういう理由で私を欲しても意味が無い事を知ってもらいたい。

 私の涙を手ですくい、芯さんはそれ以上何も言わず……まぶたに軽くキスをした。

「待ってる」

 この言葉をつぶやいてすぐに私の体を解放し、少し寂しげな笑みをたたえた状態で部屋を出ていった……。


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