草食系な君と肉食系な僕
2−6 綾との生活
悠里くんを守るため……仕方なく影沼の屋敷を出た私。
それでも私の心を独占しているのは芯さんだけで、「今頃仕事かな?」「ちゃんとご飯食べたかな?」「ステキな女性に言い寄られたりしてないよね?」なんて……呆れるほど彼の事ばかり。
職場ではなるべく芯さんの姿を見たくない。見たら泣いて彼の胸に飛び込んでいきたくなる。
それに、彼も私を見るとつらそうに表情を曇らせるから……私の心は切なさでキュンとなってしまう。
新生活は完全なる私の割り切りで、「仕事を手伝う」「料理、掃除、洗濯をする」という業務に徹した。その他については業務外という事で受け付けていない。
にしても……料理だけは手こずっている。
芯さんが料理上手だったから、それに甘えて私はあまりそちら方面は習得してなかった。
でも、綾さんは料理が全く駄目みたいで……彼の住むマンションで私は毎日慣れない包丁で危なっかしい料理をしている。
「基本外食にしてるけど、それだと色々バランスも悪いし。家では野菜中心に食べたい」
こんな注文を受けているから、私はとりあえず美味しい煮物の作り方とかサラダのドレッシングを工夫したり……結構頑張っている。なのに、それを口にした彼から出る言葉はひどい。
「味が薄い。甘すぎるし」
「和食って嫌いなんだよね」
「芯のところでメイドとかやってるから、もう少し料理出来るのかと思ってたよ」
もうそれはそれはひどい文句の羅列。外でストレスを抱えていて、どこかにそれを吐き出したいんだろうけど……それをこんな形で出すなんて随分子供じみている。
「もっと美味しいものを作れるよう、勉強します」
私が少し大人にならないと、喧嘩になってしまいそうだから、こんなふうに下手に出るようにする。私と綾さんがもめると苦しい思いをするのは芯さんと悠里くんだ。だから、私はここでいつものように強気で相手を責めるような事はできない。
フツフツと綾さんに対する怒りが増す中、ふとした拍子に彼の意外な場面を見てしまった。
それは数日前の夜の事。
私はとっくに仕事から帰ってきて、料理はラップをかけて台所に置いて寝ようとしていた。
すると、ガチャリと玄関が開いて、そこでドタリと人が倒れる音がした。
「……綾さん?」
帰ってくるとすれば綾さんだけだ。私は恐る恐る玄関に出てみた。
すると、そこには呼吸するのもやっとの様子で苦しんでいる綾さんの姿があった。
「綾さん!大丈夫ですか?」
「……薬」
「え?」
「カバンから薬…出して」
頼まれた通り、私は綾さんのカバンから薬の入った袋を見つけ、その中から彼の指示通りの薬を数個出して手渡す。
当然水が必要だと思って、台所に走り、急いで水も手渡した。
「ん―……ふう……」
ゴクゴクとすごいスピードで水を飲み、綾さんはそのまままたパタリと倒れた。
「綾さん、大丈夫ですか?」
顔色が悪くて、額にうっすら汗もかいている。そんな彼がやっと正気に戻った目で私を見た。
「薬の効果が出るまでここで少し横にならせて……」
「分かりました。でも、寒いのでタオルケットくらい持ってきますね」
非常事態だったから、私はソファのクッションと自分の部屋にあったタオルケットを持って彼の体にあてがった。
しばらくして、薬が利いてきたようで、綾さんはユラユラと立ち上がった。
「こんな場面見せたの、渚だけだ」
そんな事を言って、彼は改めてソファにドサリと寝そべる。
毎日カッチリしている彼の姿ではなく、本当に弱りきった様子。外ではこういう自分を出さないように、かなり緊張して過ごしているかな?
「ご病気なんですか?」
暖かいお茶を入れながら、さり気なくそう聞いてみる。
答えてもらえないと思ったのに、案外綾さんはすんなりその答えを教えてくれた。
「ああ……まあ、持病っていうか。薬さえあれば抑えられる。緊張する仕事をした後なんかは、こんな感じで発作が出るんだ。情け無いけど、薬無しでは生きられないぐらい依存してる」
そう言って、彼は手にした薬の入った袋をギュッと握りしめた。
こんな場面を見てしまうと、芯さんに対して態度が軟化したのと同じように綾さんにも同情の心が出てしまう。これが私の弱点なのかな?
男の人っていうのは、外見がどれだけ強固に見えてもかなり脆いんだと思い知らされる。
だから、同居してしまうとその人の弱い部分を嫌でも見る事になる。
「お茶は飲めますか?カフェインの入ってない番茶です」
何も食べないで薬だけ飲んだのも気になったから、クッキーを添えてお茶をテーブルに乗せた。
すると、綾さんはゆっくり起き上がってクッキーを一枚口に入れてくれた。
「これって、渚の手作り?」
「あ、分かりました?」
「うん。かなり焦げかけてるし……」
そう言って、綾さんは今まで見せた事のないような……心を許した笑顔を見せた。
実は、こっそり悠里くんに差しいれしようと思って手作りしたのだ。
まあ、かなりいびつだし、焦げてしまったのもあるから、ちゃんと食べられるのは限られてるんだけど。
「しんどい仕事を終えて帰宅して……何も考えないで寝るのが習慣だった」
お茶をすすりながら、綾さんが少しずつ語りだした。
「女と寝て過ごすのもいいけど、そんなのは外でする事だし。このマンションに呼んだ女は一人もいないんだ。だから、僕のマンションに入った女性は君が最初なんだよ……渚」
「そ、そうなんですか」
意味ありげな言葉だったけれど、私はそれをあえてスルーする。
弱みを見せられたからといって、異性として好きになるのとは別だ。綾さんにどっぷり甘えられても、私はそれを全て受け止めてあげる事はできない。
「シャワー室なんかさ、電気つける意味も分からないし。暗闇で過ごすのも平気だった。静寂と闇が逆に僕を癒してくれている気さえして……」
「……」
「でも、渚がここで暮らすようになって気持ちが少し変わった」
そう言って、綾さんは大きな手で私の頭を軽く撫でる。
「外から自分のマンション眺めると、僕の部屋に灯りがついてるんだ。あんな風景見るの初めてで、何だか少し感動した。で、中に入ると夕飯の匂いがする……これって何ていうのかな。家庭の味っていうの?」
そこまで話して、彼はクククッと笑った。まるで自分を嘲っているようだ。
「馬鹿だな……なあ、渚も僕を馬鹿だと思うだろう?」
「いえ、そんなふうには思いませんけど」
冷静にそう答えるしかない。
今の綾さんは病気の苦しみや仕事の重圧で参ってるようだ。芯さんがそうであるように、彼にも大きなプレッシャーが常にかけられているのだろう。
「だいぶ気分が落ち着いた。渚はもう寝ろよ……僕はシャワーを浴びるから」
私の前で随分弱い部分をさらけてしまったのが恥ずかしいのか、綾さんは真面目な顔に戻って、今度は確かな足どりでシャワー室に消えてしまった。
「……」
残されたクッキーとお茶を片付けながら、今見た綾さんの様子を反芻させる。
どうも、彼も仕事に忙殺される日々のようで……影沼家に関わる人間は全て神経を太くしないと生きていけないようだ。
何の病気かは言ってくれなかったけれど、綾さんは薬無しではいられないほどの体調か精神を病んでいる。ホッとできる場所など無いようだし、心から女性を愛した事もなさそうだ。
何だか最初の頃に見た芯さんにそっくりで……私の中で、動揺が広がる。
愛しているのは芯さんだけ。それは間違いない。
でも、綾さんの苦悩を知ってしまった今となっては、彼を心から憎む気持ちにもなれない。
優柔不断だと言われるだろうか。
恋愛感情抜きに、私は綾さんの状態を心配してしまう。本当は彼を心から愛している人がこうやって傍にいてあげるのが一番なのに。
※
次の日。
私は、自分の焼いたいびつなクッキーを届ける為に影沼邸を訪れた。夕方だったし、芯さんはいないだろうと思ったから行ったのだけれど……
「渚、どうしたんだ?」
思いもかけず、芯さんは屋敷の中にいた。驚いた私はどうしていいか分からなくて、思わず手にしていたクッキーを彼にあげてしまった。
「あの!クッキー焼いたんで。おすそわけ……と思って、持ってきました」
「渚がクッキー?めずらしい事もするんだな」
少し意地悪な言葉だったけれど、芯さんの表情は穏やかだ。私に会えて嬉しいという顔をしてくれている。
「あの…それじゃあ、私これで」
あまりここに長くいるのも良くないと思って、私はすぐに部屋を出ようとした。
すると、芯さんは屋敷内に誰もいないのを確認して私を抱きすくめた。
「芯…さん……」
「少しだけ、こうやって渚の温もりを感じさせて。綾に何もされてないか?」
力強い芯さんの懐。その中で、私は言葉にできない安心感を得る。
思わず目をとじてうっとりしていると、そのまま彼は私にキスしてきた。
(え、それはマズイのでは!?)
戸惑っている間に、芯さんのキスは激しくなり……お互い食むような口付けを交わしていた。
「抱きたい…渚。もう綾のところになんか戻るな」
「だ…駄目です。それは、駄目です」
慌てて体を離し、私は綾さんとの約束を思い出して自分の欲望を押さえ込んだ。
ここで私が芯さんに甘えてしまったら、悠里くんが傷つく。
それを思い出し、私は逃げるように影沼邸から去った。
私の後ろ姿を見つめる芯さんの視線は感じていたけれど、何も言えなくて……ただ涙をこらえながら走った―――――――
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