草食系な君と肉食系な僕

7話 嘘つき

 男なんて……ってつぶやいていた頃を思い出した。
 今だって、根底にある考えは変わっていない。それでも、何のために人間は男と女に別れているんだろうと考えるようになった。
 芯さんもそうだし綾さんもそうだ。
 自分を癒してくれるのは「女性」だと思っている。
 まるで、母の愛を求める子供のように……異性からの愛を欲していて。セックスをするのだって、彼らは自分を受け入れてもらいたいから…そういう行為で自分の存在意義を見つけようとしているのだ。
 それが分かってから、私は男性という存在を嫌いではなくなった。
 もちろん誰しもを愛するなんてことは無理だし、実際私の心には芯さんしかいない。

 でも……。

 綾さんと一緒に暮らす中での嫌悪感はない。
 薬を飲んでいる事を打ち明けて以来、彼は私にかなり心を許すようになっていて。帰宅時間が少しずつ早くなっている。

「渚……」
 夕飯を用意する私の背中に、綾さんが声をかけてくる。
「なんでしょうか」
「こっち向いて」
 人参を切っていたところだったのに……と思いつつ、クルリと振り返った。そのとたん、綾さんが正面からギュウッと抱きしめてきた。
 私の目は白黒するばかり。
「ちょ!綾さん、どうしたんですか」
「黙って。少しだけ……」
 綾さんは特にキスとか強引な事はしなかった。
 ただ、私の体温を感じて安心したいのかな…という仕草だった。
「渚の香り……好きだな」
「な!何言ってるんですか」
 体を離そうとしても、彼はさらに強い力でグッと私を引き寄せる。
「香水の匂いは頭が痛くなるから嫌いだ。その人の体から漂う自然な香りが一番の香りだと思う」
 そう言われてみれば、綾さんは香水を使わない。
 いつも清潔そうなクリーニングの香りと、石けんの香り……。派手そうに見えてたけど、そう考えると案外この人の理想っていうのは地味なものなのかもしれない。
「やっぱり……芯がいいか?」
「え?」
「体……震えてるよ。暖めてやろうか」
「……」
 冗談とも、本気ともとれない言葉に、私は沈黙してしまう。
「なーんて……ちょっと冗談が過ぎたかな」
 そう言って、綾さんは私の体をパッと解放した。
「本気にした?」
「なっ!」
 私が真っ赤になっているのを見て、綾さんがクスクスと笑う。
「渚みたいなお子様は好みじゃないさ……心配するな、僕は君を愛したりしない」
「……」
 光を失ったような瞳で、綾さんはそれだけ言って自分の部屋へ戻ってしまった。
 残された私は、まだ途中の料理に戻ることができなくて、しばらくキッチンの椅子に座って茫然としていた。

 綾さん。
 芯さん以上にひねくれていて。自分の苦しみを外に出す方法を知らない人。
 あの人は、何の為に毎日仕事をしているんだろう。明らかにストレスを溜め込んでいる風なのに、何故……それを解放しないんだろう。
 お酒に逃げるでもなく。タバコを吸うでもなく。
 息抜きは、たまに女性とスキンシップを持つことだったようだけれど……毎日これだけ早く帰ってくるのを見ると、そういう時間も持ってないようだ。
(私がこうやって綾さんに心を砕いている間に、きっと……芯さんはそのぶんつらさを重ねてる)
 それが分かっているだけに、自分の中の葛藤をどう処理していいのか分からない。
 
『渚……』 
 私の体を、すっと撫でる芯さんの手の感触を思い出した。
 とたん、体がカッと熱くなる。
「……芯さん」
 私に自分を刻み込むのだと。ありったけの情熱で体を支配する。
 息もつけぬくらいのキス。
 跳ね上がる体に走る快感。
 どれもこれも忘れることなんか出来なくて。今すぐにでも、芯さんの腕の中に飛び込みたい衝動に駆られる。
(私だって、そんなに強い人間じゃないのよ)
 弱い男性を放っておけない自分の性格は理解したけれど、それでもこんな私を癒してくれる時間も必要で。枯渇した心が誰かの心を救えるはずがない。
 
 綾さんは、私を解放してくれるだろうか。
 芯さんを愛している以上、私を彼の傍には戻してくれないんだろうか。

 弱みにつけこむようなことはしたくない。綾さんは、自分が体に不調を抱えている事を知られるのを恐れていて、私はそれを絶対口外しないだろうと信頼してくれている。
 だから、私は綾さんへの忠義を果たすと共に、やはり……自分にも救いは必要なのだと訴えるしかないのかもしれない。


 次の日の朝。
 いつも朝食は食パン1枚とコーヒーだけの綾さんが、めずらしくご飯が食べたいと言った。
「え、ご飯ですか?えっと……冷凍にしておいた、おにぎりならありますよ」
「うん。それでいい」
 自分の昼食用に私は3、4個のおにぎりをいつも冷凍してある。
 それを1つチンして、丁寧にのりを巻いたものを彼の前に出した。
「渚」
 おにぎりを一口頬張って、綾さんは私を見た。
 その視線は、今までと違って、どこか慈愛に満ちたというか……優しいものだった。
「何でしょうか」
「僕を支えて欲しい」
「……」
 返事をしかねていると、彼はそのままもうひと口おにぎりを食べる。
「ああ、誤解しないで。女としての君を欲してるんじゃない……僕をプライベートで支える人材として必要だって思ってるんだ」
「人材ですか」
「まあ、ヘルパーっていうか。僕が薬飲んでるのを知っているのも渚だけだしね」
 付き人というか、マネージャーというか。そういうことを言っているんだろうか。

「芯のところ……週末だけ帰っていいよ」
「え?」

 思いもかけない綾さんの言葉に、私は驚く。
 芯さんと私を引き離すのが目的で私をここへ連れてきたというのに、彼のところへ私を戻すと言っているの……?
「君を抱きしめる腕だって必要だろ……」
 最後の言葉に、何故か私の胸にチクリと痛みが走った。
 綾さんが本心で言ってる言葉じゃない気がしたのだ。つまり……私の為に。私が1人で立つことに疲れてしまっているのに気付いている感じだった。
「僕は渚を抱く気はないんだ。芯の抱いた女に手をつけることだけは……したくない」
「綾さん……」
「そういうわけだ。だから、芯にも伝えてくれ……お前の女を寝取るほど不便はしてないってね」
 彼らしい毒の混ざった言葉。
 こういう言葉を使って、傷ついているは綾さん本人なのに。どうして、自分を追い込むような事を言ったりやったりするんだろう。
「お言葉通り受け止めていいのでしたら、そうします」
 私の言葉を聞いて、綾さんは「もちろんだ」と言った。
「ただ。私、綾さんを心配してます……あなたを心から愛する人が傍にいたらって思ってしまうんです」
 そう言うと、綾さんはクククッと笑いを漏らした。
「何がおかしいんです?」
「いや。ここまでおひとよしな女がこの世にいたのかって、呆れてるところだよ」
 席を立ち、スーツのジャケットを羽織る綾さん。
 私の目はもう見ていない。
「何度も言わせないでくれるかな。僕は、渚みたいな女は好みじゃないし、お呼びじゃないんだ。余計な心配しなくていいんだ……迷惑だ」
 吐き捨てるようにそこまで言って、彼は1つ大きなため息をついて……マンションを出て行った。

 私は綾さんの言葉を、そのまま受取ることが出来たら良かったのにと思った。
 そうすれば彼を憎んだり嫌いになったりできる。
 芯さんのところへ、何のうしろめたさもないまま戻れる。

 なのに……本能の私が綾さんは私の為に自分をわざと嫌いにさせようとしている事が分かってしまっている。

「どうすればいいの?私……」

 芯さんに抱かれたくて啼いている体を両手で抱え、私はハラリと涙をこぼした。


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