草食系な君と肉食系な僕

1話 2度目の別れ

 綾さんから頼まれた仕事は淡々とこなし、週末に芯さんと過ごして少しした頃、不意に芯さんから部屋に呼ばれた。
(何か嫌な予感がする)
 いつか芯さんが火事に巻き込まれた時も似たような感覚になったのを思い出す。私のこういう感は残念ながら最近よく当たるということに気がついた。

「渚、前から話してあった通り、僕は来月結婚する」
「……はい」

 理解していたつもりだったけれど、はっきりと告げられるとショックは隠せない。それでもここで嫌だと言っても仕方ないのもわかる。

「私に出て行けというのでしたら……」
「いや、渚には別の男と結婚してもらうよ」
「え?」

 信じられない言葉に目を見開いて、閉じるのも忘れた。
 芯さんは感情の読めない瞳で私を見つめながら淡々と話を続ける。

「婚姻届にサインだけしてくれればいい。そうすれば渚は親父からの危害を加えられることなく、生きていける」
「待ってください!私は結婚なんかしませんよ、芯さんと一緒になれなくても一人で生きていきます」
「それは僕が許さない」
「な……っ」

 私の腕を掴むと、彼は強引に私を椅子に座らせた。目の前には婚姻届が置いてあって、相手のサインはもう入っている。
(手越……昴?)
 全く聞いたこともない名前だ。
「ここにサインしろ」
「嫌です」
 私の言葉に関係なく、芯さんは強引にペンを持たせた。その力の強さから、彼の本気度が伝わってくる。
「君は手越渚になる。住む場所も決まっているし、もう二度とここには戻ってこなくていい」
「どうして急にこんな……」
 私の気持ちを無視するようなことをするのだろう。
 芯さんの気持ちは以前聞いて知っている。私を愛人にして、後継者を設ける為の偽装結婚をする気でいるということを。
 でも、私はもし芯さんが結婚するならば彼を愛しながら別れるつもりだった。
 それが今日だというなら受け入れるしかない。

「急じゃない、以前から決めていた。渚には生きていてもらいたい、どんな形でもね……死んだら会えない」
「でもっ」
「書け。書くまでこの部屋を出さない」
「……っ」

 優しさなのか愛情なのか、それともただの執着なのか。
 もうこうなると、芯さんの意図が読めない。
 私と別れたくないという気持ちは伝わってくるけれど、別の男性と結婚させてもいいと思えるのは納得いかない。
 綾さんに触れられたかもしれない私を激しく嫌がったのを考えると、結婚生活なんて……想像もしたくないはずなのに。

「芯さんは、この手越さんという人に私が抱かれても平気なんですか」
「命を落とされるよりはいいと思っているよ」
「別々の人と暮らしながら、心だけ通わせられると思っているんですか?」
「……」

 私の最後の質問には答えず、芯さんはそのまま私の後ろにあるソファに腰掛けた。私がサインするまでそうしているつもりなんだろう。

(こういう時の芯さんは本気だ。私がいくら抵抗しても動かない)

 ここまで一緒に暮らしてみて、それはよくわかっている。
 知らない人と結婚するなんて有り得ない展開だった。もしかしたら二度と会えなくなるかもしれないのに、こんな形で別れるのも想定外だ。
 でも、芯さんの中で深く悩んだ末の結果がこれなんだろう。

「……わかりました」

 私は滲みそうになる涙をぐっとこらえ、ペンを握りしめる。
 名前を書こうとしても手が震えてうまく紙の上にインクが乗らない。

(こんなことになっても私の芯さんへの気持ちは揺らがない……愛してますよ)

 強大な力のためには、こうするしかないんだと理解しようと心を抑え込んだ。
 芯さんと一緒になれないなら、ある意味誰と一緒にいようと変わらないようにも思う。

(これでいいんだ……)

 書ききった自分の名前の上に、我慢できずに溢れた涙がぽとりと一粒落ちた。


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