草食系な君と肉食系な僕

2話 顔も知らぬ夫

 強引なサインを強要され、今、私は手越渚という名前になって見知らぬ島で生活をしている。
 多分日本のどこかの島なのだろうけれど、ここにいる数人の人たちは私が何を聞いても一切答えてくれない。
(きっと口止めされているんだろうな)
 生活自体は悪くなく、立派な洋館に住み、数人のメイドが私のお世話をしてくれている。今まで全部私がやっていたことだから、いきなり「奥様」と呼ばれても全くピンとこない。
「洗濯くらい自分でしますし、掃除だって私の部屋は必要ないですよ」
「いいえ。旦那様にはリネン用品は毎日取り替えるように言われてますし。奥様の身だしなみもきちんとするように命じられてますので」
 とりつくしまもなく、私の意見は却下。
 どうやらその『旦那様』というのがメイドにとってのボスらしかった。私の存在はそのおまけみたいなものなんだろう。

(生きてる実感がない)

 エメラルドグリーンに輝いている海岸沿いを歩きながら、自分がここにいる意味を考える。
 芯さんには生きていて欲しいと言われた。ただそれだけのために、ここにいて欲しいと。いつ迎えに来るとか、何か約束めいたものは何もない。私はいつまで待てばいいかもわからないまま、この島で年をとっていくんだろうか。

(芯さん……会いたい)

 夕飯時、外との唯一の連絡を担当している執事の国木田さんが私に報告に来た。
「本日、夜に旦那様がいらっしゃいます」
「え……昴さんという方ですか」
「ええ。夜中に寝室に入られて、夜明け前に本島に戻られる予定です。部屋の明かりは一切点けない欲しいとのことです」
 淡々と語られる、顔も知らない夫の命令。
 寝室には入るが、顔も見せないまま帰っていくというのはどういうことなんだろうか。
「夫婦なのに私は相手の顔を知ってはいけないんですか?」
「そうですね……私からは何とも申し上げられないのです。申し訳ありません」
 本当にすまなそうにしながら、国木田さんはお辞儀をして去っていく。
 悪い人じゃなさそうだけれど、やはりあの人も旦那様に従属する人らしい。
 私の味方は誰もいない。
(泳いで逃げられないかな。籠の鳥じゃないんだから、こんなところに閉じ込めたって私はいずれ逃げるつもりだよ)
 味のわからない豪華な料理を口に運びながら、心だけは負けていないと自分を励ました。

 元男嫌いの私としては、顔も知らない人と同じ寝室で寝るなんて考えるだけで嫌だった。
 芯さんを受け入れたのだって、かなりの時間が必要だったし……これから先も別の男性を受け入れるなんて出来るはずがない。
「今夜はどうしよう」
 私が寝室にいないという選択肢はあるだろうか。
(よし、別の部屋で寝よう)
 薄い毛布と枕を持って、客間に入ろうとしたところを国木田さんに見つかった。
「奥様は必ずベッドにいるようにとのことでしたので。他で眠ることは許されません」
「そ、そんなに立派な方なんですか?手越さんって」
「立派な方です。おそらく奥様を世界一幸せにできる方だと思いますが」
 国木田さんはそう信じて疑わない顔で言う。
「……嘘ですよ。私はお金持ちになることや立派な家に住むことを幸せだと思ってないですから」
 広い洋館に住んでいたって、一緒に食事をしてくれる人もいない。
 心を許して話せる人もいない。
 何より、私を愛おしく愛でてくれる、とんでもなく意地悪で野獣なあの人が……いない。
「奥様の気持ちはどうあれ、ここに住む以上旦那様の命令は絶対です。どうか寝室に戻ってください」
「……わかりました」
 言うことを聞かなければ、国木田さんが叱られたり酷い目にあったりするのかもしれない。そう思うと、自分の勝手で夫の命令に背くことは難しいと悟る。
(昴さんって、芯さんに負けないくらい横暴な人のような気がする)
 同じベッドに寝たって体は絶対許すまいと誓って、私は寝室に戻ると早めに電気を消して無理に目を閉じた。

 数時間うとうとと寝ただろうか。
 ふっと気がつくとベッドがきしむ音がして私の体も少し沈んだ。
(昴さん……?)
 怖くて身を硬くすると、私は反対側を向きながらどうか何もしてこないでと願いながら黙っている。
「……」
 昴さんはしばらく黙っていたけれど、そのうち私の髪にそっと手を触れた。
「…っ」
 驚きで目を開けるけれど、真っ暗で何も見えない。カーテン越しの明かりすら入らないようにシャッターも下ろされてしまっているのだ。
「私、あなたとは何もするつもりないです」
 はっきりとそう言ったのに、髪を撫でていた手は肩に降り……鎖骨を指が滑っていく。
(私の言葉、全く聞き入れる気がない?)
「お願いします。やめてください」
「……」
 ほんの少しの間があり、相手は私の頬にキスをした。
 同時にかかる息は熱く、ずっと感じていなかった疼きが一瞬身体の中で生まれる。
(嘘でしょ、私……こんな人に感じるとか、ありえないよ)
 困惑していると、男性はよしよしともう一度慰めるように頭を撫で、そのままベッドに潜って眠ってしまった。
(……?)
 これ以上何もされないのだとわかって安心したのもあるし、どうして体が嫌悪しないのかも不思議だった。
 自分の知らない間に男嫌いは解消されていて、それなりに優しくしてくれる人なら受け入れちゃう女になったんだろうか。
(こんなの芯さんにバレたら大変だよ!)
 あの嫉妬深い人は、いくら口で構わないって言ってても私が他の男性と夜を共にしたなんて知ったら相当怒るはずだ。
 綾さんのことでそれは思い知っている。
(でも……芯さんだって結婚して別の女性と寝てるんだから。一緒だよ)
 強気なことを思ってみるけど、やっぱり胸が痛い。
 体は別の人と繋がって、心だけ愛し合うって……無理だ。男性はできるのかな、そういうこと。

 私は隣で静かな寝息を立てる夫を不思議な気持ちで感じながら、朝になればこの人はもういないんだと思い……自然に眠ることができた。

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