草食系な君と肉食系な僕

5話 種明かし

 次の日目を覚ますと、目の前に芯さんの顔があって驚いた。
「あ……そっか」
(昨日昴さんの正体を暴こうとして、それが芯さんだとわかって……)
 その後の展開を思い出すと耐えられないほどの恥ずかしさがこみ上げた。
「ん……渚?」
 芯さんも目を覚まし、私の顔を見つめる。
 離れていた時間を埋めるように抱き合ったおかげか、その表情は穏やかだ。
「今日は私の元を去らないんですか」
「……必要なくなった」
「え、どういうことですか」
 驚いて頭を少し持ち上げると、彼はそれをなだめるように頭に手を置いた。
 諦めのようなため息の後、彼は静かに事情を話し出す。
「もう全て打ち明けてしまうと、僕は結婚していない。正確には役所に婚姻届を提出していないってことだ」
(え、結婚していない?)
「あと、手越は第二の影沼芯だ。だから渚はもう俺と結婚しているということになる」
「……意味がわかりません」
 私はすぐに事情を飲み込めず、ただ混乱していた。
「頭が悪いな、渚」
「っ!」
 ムッとしたけれど、これも芯さんらしいといえば、芯さんらしい。
(でも……)
 真剣にさっきの言葉を反芻して考える。
 今の言葉を全て本気にしていいなら、彼が結婚したというのは外に対するジェスチャーのみ。
(それで、私はもう手越昴という名をした芯さんと結婚している?)
 芯さんはベッドからゆっくり起き上がり、ガウンを羽織って椅子にかけた。
 それを知っているかのようにドアの外で国木田さんの声がする。
「お茶をお持ちいたしましょうか」
「そうだな、ダージリンを二つ」
「かしこまりました」
 国木田さんの従順な声からも、芯さんを主としているのがわかる。
 やはり芯さんはここの主で、ここで働く人は全員芯さんに従っていたんだ。
「影沼芯がこの世から消えるまでは、渚には知らせないでおこうと思ったんだ。手越としての事業はもう進めていて、父親より強い人間をバックに付けるつもりだ」
「芯さんが消える?」
「スパイ映画なんかで見るだろ。死んだことにしないと、永遠に自由は訪れないってやつだ」
 何となく事情がぼんやりとわかってきて、私は少し心配になった。
 その死んだことに……というのが上手くいくんだろうかという心配だ。
「危ないことをするんじゃないですよね」
 私の言葉に芯さんは呆れたように笑う。
「危なくしないと、リアリティがないだろ?」
「嫌です、そんなの!」
 私はベッドから降りて、彼の胸に飛び込んだ。
 一度経験している、あの恐怖と不安。体は無事だったけれど記憶を失ったと知った時の悲しみ。
(またあんな思いをするのは嫌だ)
 私の頭を撫でながら、芯さんは静かに言う。
「そう言うだろうと思って、全てが終わるまでは渚にここで暮らしてもらおうと思っていたんだ」
「でも知ってしまいました」
「そうだな。だから打ち明けて、連れ帰ることにした」
「えっ」
 顔を上げると、芯さんは優しく私を見下ろし、額にキスをした。
 その仕草は昨日の荒々しさとは対極で、少し戸惑うほどに甘い。
「手越名義のマンションがあるから、そこで一緒に暮らそう。僕はそこでほとんどの時間を過ごしていて、影沼の家に戻るのは夕方の数時間だけなんだ」
「じゃあ悠里くんは?」
「あいつはなぜか高校生のあの女の子にいたく同情していてね。渚を守れなかったから、その子のことは絶対守る……なんて男らしいことを言ってるよ」
「そうですか」
 悠里くんに危ないことがないなら、それでいい。
 安心した私は、ほっと胸をなでおろした。
(これからは、芯さんの足手まといにならないようにしないと)
「私ができることはもう、何もないですか?」
「そうだな……」
 考えるそぶりをしながら、芯さんは心から困ったように言う。
「渚は暇だと色々余計な行動をするのが心配だ」
(それって、私、迷惑しかかけてないってことじゃ……)
 がっくりしていると、彼は耳元でくすっと笑って言葉を足した。
「そんなに何かやりたいなら、新しい会社で僕の秘書でもやるか?」
 思いがけない誘いに、私は目を見開く。
 もう社会からは離れた生活をするのが当たり前なんだろうと思っていたのに、また会社で仕事ができる?しかも芯さんの一番近くで。
「や、やります!もちろんです」
 私の必死な様子を見て、芯さんは表情を崩して心から笑った。
 そうだ……この人はこうして可愛い笑顔も見せる人だった。
 私は自分の心をじわじわと奪っていった、出会った頃の彼を思い出す。そして、時間を重ねた今、その魅力はさらに大きなものになって私を揺さぶった。
「嬉しい、芯さんの秘書ができるなんて」
「渚」
 芯さんは私の顎をすくい上げ、真面目な顔で私を見つめる。
「忘れたのか、渚はもう僕の妻だってことを」
「あ……」
 あまりにも色々なことを告白されすぎて、そこの肝心なところを追求するのを忘れていた。
 だって信じられないことだし、今だって実感がない。
「本当に?本当に私は芯さんと結婚したんですか?」
「嘘ついたってしょうがないだろ、こんなこと」
 深く唇を塞がれ、また体が夜の疼きを思い出すように熱を帯びる。
「待って……もう国木田さんがいらっしゃるかも」
「来てもいいよ、彼は俺たちのことを全部知ってるしね」
 芯さんは体をよじって逃れようとする私を引き戻し、抗えないほどの強さでキスを続けた。
「ん……っ、ふぅ」
 熱い息を感じながら、私も次第にそのペースに巻き込まれていく。
(芯さんの腕の中に……私はもうとっくに囚われていたんだ。あの強引にサインさせられた紙が、彼との永遠を誓うものになっていたなんて)
「も……う、芯さんはやっぱり悪魔ですね」
 何も知らされずに不安だったのを思い出すと、これくらいの憎まれ口は叩きたくなる。すると芯さんはニヤリと笑ってまたキスをした。
「その悪魔を好きなのは誰」
「そ……それは」
「もういい加減観念したら、渚」
 その言葉で私の体も抵抗をやめた。
 芯さんからのとめどないキスを受けながら、私はこの人の妻になったのだというのを少しずつ実感していた。

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