ヴィーナス 続編

愛するということ Side 手島 陽 


この腕の中に、一度でも抱いてしまったら・・・二度と放せなくなる。

俺に好意を伝えようと口を開きかけた美月。
その言葉を聞かないように、俺は席を立った。

「美月・・・早く良くなれよ・・・」

そう言い残して・・・俺は美月の前から消えた。
永遠に・・・消えるつもりだった。

会社も即座に辞めて、ありったけの貯金を持ってアメリカに渡った。
日本にいなければ・・・会いようがない。
ちょっと会いたいと思ったって、これぐらい距離が開けば・・・我慢できるかもしれない。

そう思って、俺は美月を忘れないで胸に秘める事を選んで、アメリカで過ごした。
英語を何とか克服したくて、可能な限りの金を使って大学に入りなおした。
4年・・・まるまる4年、俺はまた学生をやった。

そこで俺は、日本では巡り会うのが難しいタイプの人間に出会った。
彼女は・・・女性しか好きになれないという人で、キャンパス内で恋人の女性と歩いているのをよく見かけた。
英語が上手に話せないでいる俺に気がついて、授業中に何かとフォローしてくれたこのアンナという女性を、俺は信頼するようになった。

「アンナ、同性しか愛せないと知った時って・・・どうだったの?」
俺はかなり彼女と親しくなった頃に、そういう質問をしてみた。
なかなか公言するのが大変だろうと思われるそういう心を・・・彼女は、どうやって乗り越えたのか・・・と思った。
アンナは、全く俺の質問に対して、ためらう事はなかった。

「どうもこうもないわ・・・。愛している人を愛する・・・ただそれだけ。世間体を考えて、愛せない人を愛しているふりをする方が、私にはずっとつらい事だったし・・・迷いはなかった」

凛とした青い瞳を光らせて、彼女はそう言い切った。
何か・・・すごい衝撃を受けたような気がした。

“愛している人を愛する・・・ただそれだけ”

この言葉が、今まで読んだ本や映画から得た知識を越えて俺の胸に飛び込んできた。
生の人間からの言葉が一番響いた。
それは、彼女が大きな信念を持って貫いている心だから・・・響いたんだと思う。

俺は、彼女に比べたら・・・根性無しだ。
美月を愛しているのに、その心に嘘をつき続けて・・・とうとう逃げ出した。
もちろん、血が繋がっていたら性的な結びつきは許されないだろう。
それがつらくて、俺は美月から逃げまわっていた。
どんなに表面で格好つけていても・・・本当の俺は、こんなに情けない。

大学を必死で卒業して、ある程度の知識も身につけて・・・俺は一つの決心の元に日本に戻った。

美月を一生かけて愛する・・・。

これだけが、俺の人生の中で揺るぎ無く存在し続ける心だった。
他のものは、どんどん変化して・・・元の形さえ分からなくなるものもあった。
なのに、美月に対する愛情は彼女が幼い頃から大学生になるまで俺の中で揺るがなかった。
もちろん、今の輝くような美しさが少しずつ失われても・・・俺は美月を愛する自信がある。

これは、理屈じゃない。
人を愛するっていうのは、そういう事なんだ。
どんな時も、いつまでも・・・愛しい。

美月は、もう一度俺を「陽くん」って呼んでくれるだろうか・・・。
俺をまた信頼しきった瞳で見てくれるだろうか。

それだけが不安だった。
彼女に俺を超えるほどの存在があったなら、それは・・・その時は・・・認めないといけない。
俺は、一生美月の「兄」として生きる。
これが俺の宿命なんだ。

帰国して1ヶ月、とりあえず自分の生活を第一に考えた。
ある程度就職に有利な知識を得ていたおかげで、仕事はすぐに見つかった。
住むアパートも決めて、東京での暮らしがまた始まった。

美月の暮らしていたアパートのすぐ近くに、住む場所は決めた。
それでも東京の街中だから、偶然に会うなんてことはなかなか無いと思っていた。
彼女のアパートを訪ねないといけないな・・・と、俺は覚悟を決めていた。

そこに暮らし続けている保障なんかどこにも無かったのに、俺はそう思っていた。


そんなある日、ホームの端っこに立つ一人の女性が目に入った。
真っ白な・・・特徴的なあの肌。

髪が伸びて、化粧もして・・・ちょっと大人びた美月が立っていた。

「・・・」
一瞬夢でも見ているのかと思った。
でも、何度目をしばたいても、そこに美月が立っていて、次に来る快速電車を待つ仕草をしている。

電車が入るアナウンスが流れた。
俺は・・・とっさに、彼女の後ろに駆け寄って声をかけた。

「美月・・・」
すると、美月は振り返りもしていないのに、「陽くん・・・」と言ってこっちを見た。
彼女の笑顔は、何かをふっ切ったようなもので・・・とても輝いていた。
今まで見ていた頼りない美月から脱皮していて、ちょっとアンナを思い出させるような強い瞳をしていた。

「待ってたよ。絶対帰ってくるって・・・分かってたの。だから、一生待つつもりでいたんだよ」
そう言って、美月は俺の胸に飛び込んできた。

待っていてくれた・・・。
一生・・・待つって?
いつ帰るかも分からない俺を、本当に待っていてくれたのか?

そっと彼女の細い肩を抱いて、俺はしばらく言葉を発する事が出来なかった。


落ち着いて美月と向かい合い、彼女の告白を聞いた。
俺達は血が繋がっていないという事を聞いても、すぐには信じられなかった。
それでも、父親が真剣にそれを告白してくれた事実を考えると、親戚連中の噂話の方が嘘だったのかな・・・とも思えた。

もちろん、その事実は嬉しかった。
でもそれより、美月が俺の事だけ考えて5年もの間待っていてくれたという事の方がずっと嬉しかった。

彼女は、綺麗とかいう言葉では言い表せないほどの美しさでそこに存在していた。
透き通るような肌は昔のままで、俺を見て目を潤ませている。

出会った直後、美月は堰を切ったように泣き出して、それが治まるまでしばらく俺達はホームの端で向かい合っていた。

「陽くん、だからね・・・私はあなたを兄としてじゃなくて・・・一人の女として愛してるの。この思いは多分ずっと昔からあったんだと思うけど、ちゃんとそれが自覚できるようになるまで時間がかかってしまったの」

奥手で、常に自分の意思を誰かに確認しないといられなかった美月・・・。
そんな彼女が、俺に真正面から告白してきた。

迷う必要もなかったし、俺の30年近い人生がこの日の為にあったのかとも思った。

「美月・・・一緒に生きていこう」
そう言って、俺は彼女の細くて白い手を握った。

DNA鑑定でもしなければ、俺達の血が本当に繋がっているかどうか分からないのかもしれないけれど、俺が美月を愛していて、彼女も同じように俺を愛してくれている。
この気持ちは、もうごまかせない。

アンナの言葉を思い出す。

『愛する人を愛する・・・ただそれだけ』

この言葉を俺の心の中心に据える事にした。
普通の恋人より世間体的に障害が発生するという事は百も承知で。
俺は美月を選ぶ事に全くの迷いもなかったし、彼女の瞳もそう言っていた。


一度通った改札を引き返す。
自分のアパートまでゆっくり手をつないで歩いた。
美月に触れる事を我慢して耐えてきた日々を思い出す。
一度、軽く抱きしめただけだ。
それだけの記憶が、俺の中ではまだ鮮明に残っていて・・・。
今握っている手の感触が、夢でないように・・・覚めてしまわないように・・・と願っていた。

「こんなに近くに住んでいたんだね」
アパートに到着して、部屋の鍵を開ける時、美月はそう言った。
美月が引っ越さないでいてくれたから、会えた。
一駅でも違う場所に住んでいたら、この人口の多い東京で巡り会うのは難しかったかもしれない。

「俺達は離れない運命だったって事だよ・・・」
そう言って、俺は部屋に入るなり美月を強く抱きしめた。

あまりにも長かった。
一人の女性をここまで思い続ける自分がおかしいんじゃないかと疑った日もあった。
それでも、この強い気持ちがちゃんと通じるという奇跡もあるんだ・・・という事が、俺を言いようもなく感動の渦に巻き込んでいった。

「陽くん、陽くん!」
美月も、また俺の胸に顔をぴったりつけて泣き出した。

離さない・・・もう、お前を俺の腕の中で一生守る。

涙に濡れた美月の顔をそっと持ち上げて、見つめた。
少しは変化したかと思っていたけど、俺の美月への愛情は、全く変わらなくて・・・もう止められない気持ちが溢れかえっていた。

「ん・・・」

そっと重ねた唇。
ふわっと綿菓子のような感触で・・・体が一瞬にして燃え上がるのが分かった。

押さえ込み過ぎた俺の感情。
いくら修行を積んだって、人間という悲しい性からは逃げられない。

美月が欲しい。

キスをした事で、その自分の本心があからさまになった。

「美月・・・愛してる・・・愛してる」

何百回名前を呼んでも、足りない気がする。
どれだけキスをしても満足するまでは、永遠かと思うほどの時間が必要だ。
そんなとめどない愛情が美月に向かって流れ出す。

無意識に美月の着ていたブラウスのボタンを外して、薄いキャミソールだけになった彼女の体にキスの雨を降らせた。
女として完成された美月の綺麗な体は、見ているだけで眩しくて・・・視野がぼやける。

「陽くん・・・恥ずかしい」
日差しがカーテン越しにまだ強く差していて、体のラインがあまりにはっきりしているから、美月は恥ずかしそうに体を隠した。

「恥ずかしい事ないよ・・・綺麗だよ」
そう言って、俺は美月が「恥ずかしい」という気持ちが消えるまで優しくキスを繰り返した。
そして、怯えた美月の目が“初めてなの・・・”という事を訴えていた。
武藤と付き合っていた時でさえ、美月の体は触れられていなかったみたいだ。
これだけ長い間女の喜びを我慢させてしまった事も、俺の胸では痛かった。

もっと早く自分の愛を貫く決心をしていれば・・・。
でも、それは全て過去の事だ。

これから残された人生を、美月に捧げよう。

「ごめん・・・最初だけ少し痛いかもしれない」
美月が怖がらないように、かなりの時間をかけて体をほぐしてやったけれど、やっぱり本当にそういう行為をするとなったら、当然痛みを伴う事は俺も知っている。

「いいよ。陽くんを感じられるなら・・・痛くたって平気」
美月はそう言って、恥じらいながらも俺を受け入れる事を承諾してくれた。

苦痛は少ない方がいい・・・でも、俺の衝動が止まらなくなった。
俺は・・・この欲求をこらえようと相当時間耐えてきたけれど、結局、人間の男という器を超えられなかった。
美月の中に入るなり、頭が真っ白になった。
明らかに痛みをこらえている美月を目の前にして、その表情すら愛しいと思えて・・・止められなかった。

愛する女性を抱くという事がどういう感じなのか・・・知らないままこの年になっていた。

そして、今体感してみて、それは・・・あり得ないほどの幸福感に包まれる事なのが分かった。

「愛してる・・・美月・・・美月」

もう、涙も汗もごちゃ混ぜだった。
美月も俺の名前を呼び続け・・・とうとう俺は美月の体を最後まで知る事が出来た。

肩で息をしながら美月を抱きしめて、俺の目から涙がこぼれた。
こんなに幸福な感情を与えられるのも・・・人間だけなのかな。
苦しみが複雑な分、喜びもまたいろいろ複雑だ。

難しい理屈をかなり捏ね回してきたけれど、美月の存在は・・・単純明快だった。

真実なんて、本当はどこにでも転がっている石のように当たり前に存在しているのかもしれない。
深く深く掘り下げた穴が、自分の真後ろにつながっていた・・・っていう事もあるかもしれない。

そんな事を思いながら、俺は美月の暖かい温もりにいつまでも包まれていた。


愛するということ・・・それは、見捨てないで・・・諦めないで、相手を思い続ける信念の事。


ヴィーナス 続編 愛するということ END


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