抹茶モンブラン

3−3 鈴音の笑顔を守るもの (SIDEミックス)

SIDE 鈴音

ここ数週間、光一さんは出張でいたりいなかったりを繰り返していた。
週末もなかなか会えなくて、1ヶ月近くプライベートでは会っていない。
時間の空いた時にメールが数回入って、彼なりに私を気にかけてくれているのが分かったけど、ダイレクトに会えない寂しさは日に日につのっていた。

教えられていた予定だと、光一さんは今ごろ九州から東京に一度戻って来ているはずだ。
でも特に連絡が無かったから、こっちからメールをするのは遠慮していた。

夜中の11時過ぎ。
私はまたもや眠るタイミングを外して起きていた。
クマのヒカルをベッドサイドに置いて安心しようと頑張るんだけど、眠気が一度去ってしまうとやっぱり眠れない。
日が昇っている時は考えないようにしている事が、夜のシンとした暗闇の中に一人でいると、どんどん黒く膨らむのが分かる。

その時、携帯にメールが入った。
暗闇で緑色の信号がチカチカしている。

「光一さん…」

“さっき戻った。顔が見たくてアパート前まで来てしまってるんだけど…。もう眠ってるかな。”

そのメール内容を見て、私はパジャマのまま外に飛び出した。
駐車場で、彼は空に高く輝く半月を眺めていた。

「光一さん!」
小さい声で私は彼を呼んだ。
すると、彼はふっと私の方に顔を向け、微笑んだ。

「起きてたの?」
「…眠れなくて。明日の朝までどうしようかなって思ってたところですよ」
「じゃあ…今夜も君の隣で眠ろうかな」
光一さんの声で、私の心がようやく安らぐ。
特別何かを語らなくても、お互いを求め合ってるんだっていうのはすぐに分かる。
彼も私に会いたいと思ってくれてたんだ。
それが分かっただけで、私はつい彼に抱きついてしまいそうになるほど嬉しかった。

「鈴音の声が聞きたかった。携帯だとあまりにも遠いから」
部屋に入るなり、光一さんの強い力で抱きしめられる。
やはり彼の香りと温もりが同時に感じられなければ駄目だ…。

私は彼の腕の中に顔を埋め、涙をこらえるだけで精一杯だった。
「光一さんがいないと眠れない…どうしよう」
「鈴音…顔を上げて」
ずっと俯いている私の顔をくいっと上に向けさせられ、その瞬間つーっと一筋の涙がこぼれ落ちた。

「どうして泣いてるの」
「…寂しかったから。ううん、今はあなたに会えて嬉しいから…かな」
涙を溜めながら、私は微笑んで見せようとした。

「鈴音、寂しい時は言ってくれていいんだよ。君は我慢強そうだから、そこが心配だよ」
頬に何度もキスをしてくれながら、光一さんはそんな事を言った。
我慢してしまう性格は生まれつきで、なかなか治らない。
相手の負担になる事は極力したくないと思ってしまう。

私の涙を手で拭ってくれて、そのまま顔を抱えられるように強くキスをされる。
甘いか辛いかと聞かれたら、今回のキスは少し辛い気がした。
「塩の味。涙が口に入ったみたい」
唇を少し離した状態で、私はそう呟いた。
「そのうち甘くなるさ」
そう言って、光一さんは際限なくキスを繰り返してくる。

言われた通り、最初は少しひんやりしていた唇がどんどん温かくなって、最後には彼の口から生暖かいものが口内に押し入ってくるのが分かった。
ちょっとビックリして抵抗したけど、彼は全くディープキスを終える様子が無くて、まるで私の事を食べてしまいそうなほどの激しいキスを繰り返した。

「どう…甘くなってきたんじゃない?」
お互いうつろな目になって、見詰め合う。
もっと先を知りたい気持ちになっていたけれど、私は着ていたパジャマにかけられた彼の手をそっと拒絶した。

まだ…まだ肌を触れ合うには心の準備が出来ていない。
光一さんもそれを理解してくれて、それ以上無理な行為はしてこなかった。

「鈴音が眠れるまで傍にいるよ」
そう言って、彼はまた私の横で添い寝してくれた。
睡眠薬より、彼の隣で眠る方が私には効き目があるようで、結局次の日の朝、着替えも済ませた彼に起こされる始末だった。

                      *

「僕は先に行くから。せっかく戻ったところだけど、今日から横浜なんだ」
遮光カーテンが開かれ、眩しい朝日が差し込む部屋。
そのまばゆいばかりの光の中、彼は私の額に軽くキスをした。

「光一さん」
行ってしまいそうな彼の背中に呼びかける。
「ん?」
「私…あなたがいないと眠れない弱い人間になりそう」
そう言うと、彼はクスッと笑って私を見た。
「……僕が鈴音を弱くしちゃってるのかな。それとも、弱い君が本当の状態なのかな」
優しいトーンでそう言われ、私は何故か涙が出てきてしまった。

簡単には泣かないようにしていたんだけれど、光一さんの声は私の涙腺を緩ませる力を持っている。

「私はもともと弱いんですよ…だから、これが本当の私」
「そうか。じゃあ、なるべく鈴音が安心して眠れるように時々こうやって添い寝しに立ち寄るよ」
一度出て行きかけた足を、もう一度私の方に向け、光一さんがそっと私の手を握る。

「ん、そうして」
初めて光一さんに甘えた声を出した。
「鈴音の涙が一番僕を動揺させるよ。こんなに僕の心を揺らすなんて、鈴音は小悪魔だな」
「…私が小悪魔?」
この年齢で、決して派手でもない私が小悪魔?
かなり意外な言葉を聞いた気がして、私は目を丸くした。
「だって、僕だけじゃなくて高田の心も奪ってるだろ?」
「え、それは!」
私がビックリして顔を上げると、光一さんはすぐにその言葉に次のものを足した。
「知ってる。鈴音は簡単に心を移したりする女性じゃないって」
彼の手がもう一度強く私の手を握る。

「どうしても鈴音と過ごす時間を多く取れない。こんな生活だけど、仕事も僕にとっては命と同じぐらい大事なものなんだ…。心を縛れないのは分かってるけど、お願いだから僕の手を離さないで」
仕事での鋭い瞳を和らげて、私への気持ちを彼なりにすごく真剣に伝えてくれた。

一度大事な人の手を私は離された経験があって、その寂しさっていうのは多分一生残るんじゃないかなって思うほどのものだ。
だから、彼が自分の手を離さないでって思う気持ちはすごく良く分かる。
私だって、光一さんの手を離さないで、彼がずっと強くこの手を握っていてくれたらって思ってる。

「……」
何と言葉にしていいのか分からなくて、私は握られた手の上にもう片方の手を乗せて強く力を込めた。
「ありがとう。…じゃあ、行ってくる」
私の心を言葉無しで理解してくれたのか、光一さんはもう一度軽く私の額にキスをすると、そのままアパートを出て行ってしまった。

弱虫鈴音…。
外に向けて見せてきた「泣かない強い女」なんて、どこにもいない。
私は隣に愛しい人の寝息が聞こえない環境では、安眠出来ない程の弱虫だ。

仕事に行く仕度をしなくてはいけなかったのに、彼の握ってくれた手の感触を忘れないよう、頬に手を当ててしばらく目をつむっていた。

SIDE 光一

夜が怖いという鈴音の傍で眠った。
こんな添い寝でいいなら、毎晩でも彼女の隣にいたい。
なのに、自分の環境がそれを許さない。

何度でも、いつまでも、鈴音との甘いキスを繰り返していたい。
お互いの吐息しか聞こえなくなって、頭が真っ白になる。
ディープキスに溺れるにしたがって、自分の欲求がエスカレートする。

鈴音の中でもその気配は感じているらしく、嫌がっているというよりは、先に進むのがちょっと怖いという雰囲気だ。
もちろん抑えるのは相当つらいんだが、僕も一応30歳という年齢だ。
がむしゃらな気持ちで女性を抱こうとは思わない。

それでも僕が鈴音の事を全部支配してしまいたくなっているのは、普通に彼女を好きだという気持ちの他に、高田という強力なライバルが出現したせいもある。
要するに…僕はごく自然なかたちで鈴音に接近しているあの男に嫉妬している。

高田の事は心から信頼している。
性格も頭もいい。
申し分のない人材で、そのせいで余計自分の不安が強くなるという逆現象が起きている。

あの男の方が鈴音を幸せにしてやれるんじゃないだろうか。
そんな事をふと思ったりして、慌てて自分の考えを否定する。

高田が鈴音を気に入っている事に気が付いたのは、何度かランチを二人でとるようになったのを知ってからだ。
普通に雑談しているだけのようだったけれど、高田のさり気ない瞳の動きが鈴音を追っているのが分かった。
僕が鈴音に惹かれた時と同じように、彼もあの子の持つホンワリしたムードに癒されているんだろう。
とかく研究者っていうのは孤独だ。
心の支えが欲しいと思うのは、人間としては普通の事だろうと思う。
僕ほどの変人ですら、仕事だけでは人生に何かが欠けていると思ってしまう。
だから、鈴音の存在は僕にとってかなり重要なものだ

その鈴音の本当の幸せは何かと考える。
一度結婚に失敗していると言っていたけれど、その事で異性への変な猜疑心を深めてくる事も無くて、最初の抵抗を乗り越えたら本当に純粋に僕を好きでいてくれるのが分かる。
だから、僕も彼女をどんどん手放したくなくなっている。

精神的に追い詰められると手がつけられないほど子供じみた状態になる自分に、ほとほと嫌気がさす。
余裕のある時は鈴音が誰と会話していようと平気なのに、仕事に追われている最中に高田と笑顔で話す鈴音を見ると、本気で危険な精神状態になる。
俺は2重人格者か?そう思ってしまうほど、愛しい鈴音に怒りというか憎しみというか…そういう黒い気持ちがわいてきたりする。

僕の性格を突き詰めると、いわゆるストーカーにいるタイプの性格にそっくりだ。

こんな人間と付き合っていて、鈴音は幸せだろうか。
僕以外の男に笑うな…とか、そんな注文をつけそうになる。
仕事の相談をするのに、あんなに至近距離で話す必要ないだろ…とか思ったりする。

二人きりの時に僕に見せる鈴音の甘えた顔、声、全てを僕だけのものにしたい。
こんな強い独占欲を抱く自分も確かに存在している。
でも、それとは別に冷静な自分が「お前に鈴音を幸せに出来るのか?」と言っていたりする。

“光一、お前はあの子の笑顔を絶やすことなく、いつでも大きな気持ちで見守っていてやれるか?”

こんな質問を誰かに言われている気がする。
それにすぐ「はい」とは答えられない自分。
仕事は一生続けていくつもりだし、ある意味仕事で命を落としても仕方ないと思ってるぐらいだ。
こんな男と一緒に居て、果たして鈴音は幸せなのか。

高田を見ていると、あいつと一緒になる女性は間違いなく幸せになるだろうなと思う。
陰湿な部分も無いし、誰とでも公平に笑顔で接する事が出来る。
持って生まれた愛嬌みたいなものがあって、誰にでも愛されるタイプだ。
そんな高田は僕を慕ってくれていて、一緒に仕事をしないかと言った時は相当感謝された。

だから、僕は高田を可愛い後輩だと思っている。
さらに、鈴音の本当の幸せを願うなら、あいつみたいな男と再婚してもらうのがいいんじゃないかと思ってしまう。

苦しい…。
自分の持って生まれた曲げられない性格。
職場で鈴音が僕に相当気を使っているのは分かっているのに、機嫌が悪いと、子供のようにふてくされた態度になるのがどうにも止められない。
彼女に非が無い事がほとんどなのに、八つ当たりみたいな状態の時もある。

こんな自分が嫌いだ。
でも、こんな自分だからこそ、ここまで研究成果を上げて来られた。
優しい男には到底なれそうもない…。
鈴音を不幸にしてしまうかもしれないのに、彼女を手放したら僕が崩壊するのは目に見えている。

僕は、鈴音と一緒にいる資格がある男だろうか。

こんな事を延々と考えながら、その日の出張先へ向かう電車に飛び乗った。



INDEX ☆ NEXT
inserted by FC2 system