抹茶モンブラン

3−4.会いたい…

光一さんの仕事の幅が広がり、海外出張というのも時々入るようになった。
国内出張と違って、連絡も途絶えがちだし彼がどういう環境にいるのかさっぱり分からない。

忙しいんだろうけど、3日ほど音信不通になる事もあって、何かあったのかなって余計な心配をしてしまう。
夜眠れなくなる症状は続いていたし、日頃飲む薬の副作用と睡眠不足のダメージも重なって、仕事中にコックリする事も度々で。

「具合悪いんですか?」
私が顔色も悪く眠そうにしているのを見て、高田さんが心配してきた。
外から私の状態が悪い事がバレてしまうっていうのは、すごくピンチな証拠だ。
「いえ、ちょっと季節の変わり目で体調がついていかないだけです」
私は秋になりかけの9月後半という時期のせいだと言った。

実際、残暑から秋の涼しい季節への温度変化についていくのに、体がちょっとしんどいのは確かだった。
乾燥のせいで喉も痛めたりして、あまり調子がいいとは言えない。

それでも高田さんに必要以上に心配かけたくないから、私は無理にでも笑って仕事はミスの無いように努めた。

「元気ならいいんですけど、食べるものちゃんと摂ってないんじゃないですか?お昼も何だか小さなお弁当だけみたいですし」
一緒に外食しなくなってから、高田さんは私のお弁当に合わせて自分でお弁当を作ってくるようになっていた。
彼のお弁当は相当本格的で、自分で作ったとは思えないバリエーションのあるものだった。
私のは本当に恥ずかしくて、ご飯に梅干と、シャケとウィンナーとか前の夜に残った煮物程度を添えるぐらいだった。

「そろそろ食欲の秋ですからね。多分だんだん食べたくなると思いますよ」
「そうですか?ならいいんですけど」
そう言いながら、彼はまだ心配そうにしている。

「そうだ、今度秋の味覚を先駆けて僕のアパートで小さなパーティやるつもりなんです。知り合いが居ないと顔出しにくいかもしれないですけど、参加してみませんか?」
思いついたようにパーティに誘われた。
週末になると、どうしても出かけたい気分にならなくて引きこもりがちな私だった。
外出するきっかけが欲しいと思っていたから、私は高田さんの誘いを受けて、海外の人が入り混じるというそのパーティに顔を出す事にした。

「皆日本語は結構話せますし、すごくフレンドリーだから大丈夫ですよ」
私の不安を先読みして、高田さんはフォローしてくれた。
「良かった。私英語はほとんど分からないんで」

こんな成り行きで、私は彼の本格的だという料理を食べさせてもらいにパーティに参加した。
自分の手作りを持って行く勇気がなくて誰の口にも合うような赤ワインを選んで、それを持参した。
私自身は薬も飲んでいるし、アルコールとの併用は絶対駄目だったんだけど、まあ食前酒程度に口にするのはかまわないだろうと思って自分も少し飲むつもりで2本買った。

「こんにちは」
高田さんのちょっとお洒落なアパートを恐る恐る訪ねた。
「いらっしゃい」
明るい笑顔で迎えてくれた彼の後ろには、確かに日本人じゃないというのがすぐ分かる人たちが数名集まっていた。
「皆には乙川さんの事は簡単に説明しておきましたから、大丈夫ですよ」
玄関で私がもじもじしていると、彼は私の手をとって遠慮は要らないよっていう雰囲気で強引に部屋の中に案内してくれた。

「HI、SUZUNE!」
そう言って、誰もが私のファーストネームを呼んで親しげな笑顔を見せてくれた。

「はじめまして。乙川です」
ぎこちない挨拶の後、私の持参したワインの他にもシャンパンなんかが振舞われていて、私は流れに任せてそれらを少しずつ口にした。
高田さんの作った料理がバイキング形式で自由に食べられるようになっていて、綺麗な色合いを残しながらの秋をイメージさせる料理が並んでいた。

「本当にすごいですね。シェフも出来るんじゃないですか」
そう言いたくなるほどの腕前で、私は遠慮なく彼の料理をどんどん食べた。
「そう言ってもらえると本当に作り甲斐がありますよ。こんな風に他人に喜んで食べてもらえると思うと、ますます料理研究に熱が入ったりするんです」
高田さんもワインでほろ酔いになっているみたいで、いつもより頬を赤くして私が孤独にならないように何かと声をかけてくれた。

食前酒程度にするつもりだったワイン。
…気付くと、私はシャンパンも含めて軽く3杯は飲んでいる状態だった。
最初はほろ酔いだった程度の感覚も、時間が経つに連れて目の前がグラグラしてきた。
薬の効果が強烈に利き始めていて、軽く吐き気さえ出てしまっていた。

「乙川さん…?」
私の異変に気付いて、高田さんが素早く私を目立たないように静かな寝室に連れていってくれた。
「シーツ取り替えたばかりだし、綺麗ですから。ここでゆっくり休んでください。また様子見に来ますけど、本当につらかったら遠慮なく呼んでくださいね」
「…すみません」
情けないほど立っていられなくなった私は、日頃の寝不足も重なって初めて訪れた高田さんのお宅でぐっすり眠ってしまった。

何日か分の睡眠を取り戻すように私は相当な長さ寝てしまったようで、気が付くと部屋は真っ暗で、にぎやかだったお客の声も全く聞こえなくなっていた。
枕元に置いてあった携帯を見たら、11時になっていた。

「うわ、もうこんな時間だ」
私は驚いてすぐに起き上がろうとしたんだけど、頭が痛くてすぐにまた枕に頭を戻した。
慣れないワインを調子に乗って飲んだせいもあるし、寝不足とか薬の副作用とか・・・原因は色々重なっていた。

携帯を見ると、着信ありの信号がチカチカしている。
光一さんからのメールや電話がお昼ぐらいから数回入っていた。
タイミングが悪い事に、それを全部無視したかたちになってしまった。

コンコンと部屋がノックされて、エプロンを外した高田さんが暗い部屋にそっと入って来た。
「…乙川さん?目が覚めたんですか?」
「あ、はい。すみません、起き上がろうとしたら頭が痛くて…」
「無理しなくていいですよ。もう客は帰って、片付けも済んだんで、体調が戻るまでゆっくり休んでいってください。僕はあっちのソファに寝るんで、ゆっくり朝まで寝てください」

自分用の枕とタオルケットを持って、そのまま部屋を出ようとした高田さんをおもわず引き止めた。

「あの、すごく申し訳ないんですけど…部屋の電気つけて寝ていいですか」
真っ暗な部屋に取り残されるのが怖くなって、私はそんな事を言った。
可能なら今からでも帰りたかったけど、自力で歩いて帰るには体がフラフラだった。
せめて部屋に電気をつけた状態で起きてるしかないなっていう感じだ。

「暗いの苦手ですか?」
「この時間に目が覚めちゃうと、そこから先の睡眠が浅くなってしまうんですよ。暗所恐怖症で…、本当に情けないんですけど」
私がしきりに自分の駄目さを説明していたら、高田さんがそっとベッドサイドまで近付いて来て、軽く私の手首をつかんで脈をとっていた。
「…アルコールの影響はほとんど無いみたいですけど、そんなに不安なんでしたら、部屋の電気はもちろんつけていてかまいませんよ」

「すみません。明日朝いちで帰りますから」
私は高田さんに何度も謝って、調子に乗ってワインをいつもより多めに飲んだ事を後悔していた。
正直、光一さんと思うように連絡もとれなくて、会うことも出来なくて、相当な不満というか、不安が溜まっていた。
忘れられた訳じゃないんだけど、海外というのはやっぱり遠い。
気を許せる場所もなく頑張っている彼を応援するのが私の役目だって分かっている。
でも、目の前で優しくしてくれている高田さんが光一さんだったらどんなにいいか…なんて、失礼な事を思ってしまう。

「ゆっくりお休みください。明日も日曜だし、そんなに急がなくていいじゃないですか。あなたは何でいつもそんなに色々気持ちを張り詰めていらっしゃるんですか?」
部屋のドアに手をかけた状態で、高田さんはそんな事を言った。

「え、張り詰めてますか?」
「ええ。何だか…そこまで遠慮しなくてもいいのにっていう部分にまで色々気を使ってるのが分かりますよ。こんな事言いたくないですけど、堤さんが乙川さんを安心させてあげられていないなら、僕はそれなりにあなたへのアプローチは続けるつもりです。恋愛はフリーなのが特権ですからね…僕にまるっきり魅力が無いのなら仕方ないですけど」
優しさの中にも強い芯を持った瞳を私に向けて、彼はそう言った。
繊細な光一さんとは対称に、高田さんは見かけも内面も簡単には崩れない強いものを持っている。

私が何も答えないでいると、彼はそのまま「おやすみなさい」と言って、部屋の明かりをつけたまま出て行った。

「……」
光一さんが居ない間に何だか妙な展開になってしまった。

高田さんへの信頼感は結構大きくなっていて、恋愛感情とは言えないんだけど、この人と一緒なら不安を抱かずに暮らせそうだなという漠然とした印象があった。
仕事がどれだけ忙しくても、オフの時間は全く切り替えて趣味の事に没頭する。
趣味の時間が無ければ彼自身のアイデンティティーが成り立たないのかなと思えるぐらい真剣だ。

計算高い人なら、きっと高田さんの心を受けるに違いない。
彼と一緒なら安定した未来が待っている気がする。
でも私はそういう人生の計算ができない。
今好きなのは、光一さんなんだから…どうにもならない。

『光一さん、メールのお返事遅くなってごめんなさい。来週には帰国ですね。待ってます』
短い文面で、私は自分が心細くて不安になってる事をなるべく出さないように彼にメールした。
返信は来ないと思っていたのに、すぐにメールが戻ってきた。

『返事が無いから心配したよ。来週の水曜には戻るから。もう少し待ってて』

その返信内容を見て、私は思わず目が潤んでしまった。
会いたい…会いたい…。
これからこんな風に会えない事が増えるっていうのに、私は大丈夫なんだろうか。
なるべく冷静にいようと思っていた。
夢中になったら、相手にも重くなるし自分も苦しいだけだ。

分かっているのに、私の心はすっかり光一さんに握られてしまった。

傷つきたくなくて防御していた壁が、どんどん崩れ去るのが分かる。
私は心も体も光一さんを求めて止まらなくなっていた。

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