抹茶モンブラン

3−5.不安 (SIDEミックス)

SIDE鈴音

「この子、鹿児島の子よね。確か堤さんの知り合いだとか言って、コネで入ったって聞いたわよ」
「あら、随分若いのね。堤さんとはどういう関係なの?」
「さあ…、親戚とかそういう関係なのかしらね」

そんな事務の女性の声が聞こえてきて、私は無意識にその集団の見ていた写真を覗き見した。
「あら、乙川さん」
「お疲れ様です。何ですか、写真ですか?」
私はそっけないふりを装って、彼女達が手にしていた写真に目をやった。
「見ますか?鹿児島での様子を色々写真に撮ったみたいで、現像頼まれたんですよ」
「ああ、そうなんですか」
そう言いながら、私は光一さんと親しげに会話する様子の若い女性に目が釘付けになった。
明らかに私より3つは若そうだなっていう雰囲気の、ちょっと綺麗系の女性だ。
「あの堅物堤さんが笑顔で写真に写ってるなんて、めずらしいわよね」
そんな事を誰かが耳元で言っていた。
私はその写真から目が離せなくて、しばらく二人の向かい合って笑顔になっている写真をじっと見てしまった。
他の写真は、施設の写真や機械の詳細部分を写した資料で、人物が写ってるのはそれ1枚ぐらいだった。

私はそれらを事務の方に返して、心臓がバクバクするのを抑えて事務室を出た。

見てはいけないものを見てしまった。
見なければ不安になったりはしなくて済むと思っていたのに、ああいうのを見ると自然に不安がこみ上げる。

「あ、乙川さん」
廊下で向かいから歩いて来た光一さんが私に声をかける。
長期海外出張から帰った彼は明らかに痩せていて、日々の生活がとてもつらいんだというのは分かっていた。

「はい、どうしました?」
「ちょっとワークステーションが不安定だから、しばらく触らないでくれる?他にやる仕事なかったら、今日は帰っていいから」
「…そうですか。分かりました」
あまりにも事務的でそっけない内容の話しだった。
社内では当然こういう会話になるんだけど、週末も会えない日々が続いていた。

彼の留守の間に高田さんのホームパーティに行った事も、具合が悪くなって泊めてもらった事も、うまく伝えられるチャンスが無かった。
内緒にするつもりもなかったのに、会話自体が少ないから、どうにもならない。

仕事が無い日、天気が悪くて太陽観測が無理だった日などに、私はあっさり「帰っていいよ」と言われる事が時々ある。
自主的に勉強したくて残る場合もあるけど、今日は何だかこのまま帰ってしまいたくなった。

“あの写真の女性は誰ですか”
“どういう関係なんですか”

彼女としては当然聞きたいこの言葉。
でも、それを聞いたとたん「信用してないの?」って切り替えされそうで聞けない。
私も高田さんとの事があるから、あまり強い事も言えない気分になっていて。
言いたい事が少しずつ積もって、軽く『不満』っていうジャンルにその気持ちが移行しそうになっていた。

こういう気持ちになりたくないから、私は光一さんを好きになるのを一生懸命セーブしていた。
ドライ過ぎても可愛げの無い女に見られるし、好きになり過ぎると「不安」っていう敵が顔を出してくる。
本当にやっかいだ。

机でしばらく頭を抑えて俯いていたら、高田さんが私の様子を心配して声をかけてきた。
「どうしました?」
「あ、いえ。ちょっと考え事してただけですから」
私は高田さんの洞察力の鋭さに結構困っていた。
自分が弱っている事をごまかせない。
「…あの、言いにくいんですけど。堤さんとうまくいってないんですか?」
いつもはこういうデリケートな話題にはあまり突っ込んでこない彼が、唐突にそんな事を言った。
「え、何でですか」
「お昼も食べる量が少ないですし、顔色もあまり良くないですし。すごく不安を抱えてるように見えるんですよ。心の許せるパートナーがいる人は、こんな表情しないだろうなって思っていて…、もし堤さんとうまくいってないのなら…」

そこまで会話したところで、光一さんが部屋に戻って来ていた。
高田さんの言葉をどこまで聞いたのか分からないけれど、彼の顔は無表情で、明らかに私達の会話と途中から聞いていた様子だ。

何も言わずに席に戻ろうとした光一さんを、堤さんが止めた。

「堤さん。まだ昼休憩ですから、多少プライベートな事を言っていいですか」
「…何?」
「あなたには感謝してます。仕事の上ではすごく尊敬してますよ。でも…、大事な人を安心させられないような生活ってどうなんですか?僕は何があっても好きな人を苦しめたりしないですよ。仕事での苦労を好きな人に背負わせるような事はしたくないです…」
高田さんのやんわりとしながらも、ちょっと攻撃性を思わせるような言葉に、光一さんも顔色を変えた。

私は、高田さんがこれ以上何も言わないで欲しいと思って、目線で必死に「もうやめて」というサインを送っていた。
でも、高田さんも興奮しているのか、私の思いは届かなかった。

「お前にそんなプライバシーに関わる事を言われる覚えないんだけど」
「ありますよ、僕は乙川さんの幸せを望んでるんですから」
「……あ、そう」
そっけない返事で、そのまま光一さんは口を開かないで席に着いてしまった。

真面目な高田さんは、彼なりに光一さんからマイナスイメージを受けるのを覚悟で言ってくれたみたいだ。

「失礼しました」
それだけ言って、開いたドア越しにある彼一人の研究部屋に戻っていった。

気まずいのは、光一さんと残された私だ。

高田さんの言葉を聞けば、私と高田さんの間に何かあるようにとられてもおかしくない。
かと言って、いま変な言葉をかけて余計関係をこじらせても仕方ない。
私は軽く痛む頭を抱えて、今日はもう帰ろうと思い、そのまま帰り支度をして「お先に失礼します」と言い残して職場を去った。
もちろん光一さんから「おつかれさまでした」の声は聞けなかった。

SIDE光一

長期出張、海外出張、どうしてか最近研究室に篭っていられる時間が減っていた。
体の疲労が激しすぎて、週末に多少空いた時間にも鈴音に会えない日々が続いた。
自分のアパートの惨状を見ると、彼女をここに呼ぶわけにもいかなくて、結局電話で軽く状況報告する程度に留まっていた。

もちろん会いたい。
会いたくて、不必要なほどメールを送ったりしていた。
それでも、鈴音はいつでも冷静だ。
丁寧なメールを返してくれて、決して取り乱したような言葉は使わない。
会えなくて寂しい事は伝えてくれるけれど、「どうして会えないの?」なんていう感情的な事は一切言わない。
これが彼女の強い部分だと思うし、思いやりの深い証拠だろうと思う。

分かっているんだが、本当はもっと「会いたい」と泣きついて欲しいと思ってしまう。

留守中に高田と何かあったような様子を感じて、僕は軽く切れかかっていた。
別に浮気したとか、そんな事ではないだろう。
それでも、もう飽和状態もとっくに過ぎた今の自分にとって、唯一の安らぎである鈴音を他の男が奪おうとしている。
この状態に、僕は情けないほどの危機感を覚えていた。

鈴音に優しい言葉をかけたいと思っていたさなか、高田に「宣戦布告」とも言える言葉を投げられた。

仕事は割り切れる。
あいつも大人だし、仕事モードになれば鈴音の事なんか一度も口にした事はない。
それでも、高田が鈴音に本気になっているんだなというのは分かった。
鈴音が簡単に心変わりするような女ではないという事を理屈では理解しているんだが、会える時間が少なすぎて信頼関係が揺らぐのはどうしようもない。

こんな些細な事でも、高田にとんでもない攻撃的な意識が働く自分を持て余す。

鈴音は誰にも渡さない。

これはハッキリした気持ちだし、偽りは無い。
なのに、真っ向から「彼女をあなたは幸せにできるのか」という言葉を投げられたら、逆上しそうなほどの怒りがこみ上げ、その次にどうしようもないほどの不安が押し寄せた。
高田の紳士ぶりにも軽く腹が立つ。
あいつはオフに仕事を一切持ち込まない主義だ。
僕みたいに四六時中仕事の事ばっかり考えてる仕事病ではない。
だからといって仕事のクオリティーが低いかというとそうではなくて、新しい論文が着々と仕上がっているのは何度か中間報告を受けて知っている。

僕は要領が悪いのか?
毎日、毎晩、外との交渉に追われ、その一方で自分の研究も進めなければいけない。
成果が上がらなければ会社の経営そのものに響いてくると思うと、自分一人の問題ではないというプレッシャーもかかる。

逃げ道が無くて、息苦しくなる。

こんな追い詰められた僕を救ってくれていたのは鈴音という存在だ。
彼女と一緒だと何も語らなくても安らげるし、他愛の無い会話も嬉しくて、繰り返すキスの味は常に甘い。

キス…。
鈴音とのキスもここしばらくおあずけ状態だ。

もう半年近く付き合っているというのに、鈴音は僕に対する敬語を外さない。
かなり近い存在にはなっているのに、いつ終わってもおかしくないという危うさの中で暮らしていて、僕の不安は際限なく広がる。

抱きしめたい。
彼女の暖かい体を直接感じられたら、この不安な気持ちは一瞬にして消え去りそうな予感がする。

なのに、別の自分が「高田の方が鈴音を幸せにしてやれるだろ」「仕事に埋没しないで、適度な息抜きも出来るあいつの方が人間として魅力的だろ」と訴えかける。
認めたくないのに、高田といると常に笑顔を絶やさない鈴音を見ていると、それも事実かなと思ってしまう。

鈴音を失ったら、僕は多分寿命を縮めてまで仕事をするようになるだろう。
それだけが自分が生きる証だと思うようになり、まともな人間ではなくなる可能性がある。
もともと危ない人間なんだ、僕は。
こんな男でもいいと言ってくれている鈴音には、心から感謝している。
でも、精神的にあまり丈夫じゃない彼女に、僕との付き合いを強要するのは、とんでもないエゴなのかなと思うようになってきた。

鈴音…君は僕と一緒で幸せになれるかい?
僕には命のように大切な君だけれど、君にとって僕はどれぐらい大事な存在なのかな。

肌を合わせる事をこんなに願っているのは、決していやらしい気持ちなわけじゃないんだ。

君を知りたい。
ただ…君という存在を魂ごと感じたい。

それだけなんだ…。


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