抹茶モンブラン
4−1. 愛憎 (SIDE光一)
「光一さん?」
鈴音のやや怯えた声が聞こえる。
ベッドの中で鈴音を抱きしめていると、止まらない欲望がどこまでもわいてくる。
「鈴音、高田と何があった?」
どう考えても高田が僕に言った言葉は、一社員としての枠をはるかに超えたものだった。
いくら鈴音に個人的好意があったって、あんな言葉を僕に投げるっていうのは相当あいつなりに感情が高ぶっていた証拠だ。
「何…って。何もないですよ」
「もうその敬語もやめて、鈴音の本当の心を聞かせて欲しいんだけど」
僕は鈴音のさらりとした髪を手ですきながらそう呟く。
こういうモードになった自分は僕自身にも手に負えない。
これから鈴音を際限なく責め立ててしまいそうな予感があった。
愛していると実感した鈴音との夜。
あの日以来、僕達は何度となく体を重ねていた。
それでも…僕は、高田と鈴音の間に何があるのかずっと気にかかっていた。
嫉妬。
この猛烈な黒い感情は、本当に恋愛にもれなく付いてくるものなのか。
安心とは正反対の場所にいるくせに、恋愛っていうのはこの二つが同居していないと成り立たない。
安心だけの恋愛っていうのものあるんだろうけど、それはある程度の困難を乗り切った先にあるものだろう。
僕と鈴音の間には、まだまだ深い溝がある。
安心という場所に到達するには、どれだけの困難を乗り切ればいいのか分からない。
「本当の事言って。怒らないから」
僕は嘘つきだ。
真実を聞いたら、鈴音をどうにかしてしまいそうな気持ちがあるのに、こんなセリフを吐く。
「本当の事…、っていうと。高田さん宅のホームパーティに行った事ぐらいよ」
そう言いながら、まだ鈴音は僕の目をちゃんと見ようとしない。
「まだあるだろう?高田のパーティに行って…それから?」
もうその先は無いと言って欲しかった。
嘘でもいい、上手に嘘をついて欲しかった。
なのに、鈴音は正直にありのままを言った。
「ワインで具合が悪くなっちゃって…その晩高田さんのお部屋に泊めてもらったの。それだけ。次の日の朝一番の電車で帰って来たし、それだけよ」
敬語を外して語る鈴音の言葉は、今まで聞いた声よりも若干近く感じた。
真剣に僕の顔を見つめ、鈴音はよどみのない瞳を潤ませている。
本当の事を語ったのが分かった。
鈴音は高田の家に泊まった。
事情はどうあれ、あの男のアパートで一晩過ごしたのか…。
大きなため息とともに、自分の苛立ちが消えるのを願った。
子供じゃない。
僕はもういい年をした大人だ。
恋人が事情があって他の男の部屋に泊まったと知っただけで狂ったように嫉妬にまみれるなんて…あり得ない。
なのに、僕の心は清らかなものとは全く正反対に向いていく。
「光一さん?」
「光一だ。呼び捨てにして。鈴音が何でそんなに僕に距離を保つのか理解できないよ」
語調が強くなり、鈴音を責めるような雰囲気は避けられない。
「怒ってるの?高田さんは別の部屋で寝てくれて…本当に何も…」
「分かってる!」
思わず叫び声に近い声で僕は起き上がった。
「分かってるさ…あの男がそんな常識外れな事するなんて思ってない。でも、そういう事実よりも僕の今の心を静める方法はどこにあるんだ?」
見下ろすと、真っ白な餅のような肌をした鈴音の上半身が見える。
僕の…僕のものだ。
この女性は、僕が命をかけても守りたい人なんだ。
「こ…光一…さん」
僕が乱暴に鈴音の首筋に強くキスをしたら、痛がって彼女は体をよじった。
「何でだ、どうして僕と会えない時間に別の男との時間なんか過ごすんだ?」
めちゃくちゃな理論だ。
鈴音にだってまだまだ別の男を探す権利はある。
僕と結婚したわけでもなく、確実な愛のしるしなんか何も無い。
指輪とか、ペンダントとか…それなりに愛を表す道具はあるのを知っているけれど。
僕にはそういうアイテムを使いたくないという変なポリシーがある。
出来るなら結婚証明書とか、そういう紙切れにも頼らないでいられる確実な愛が欲しいと思っている。
たとえ結末に結婚があったとしても、それは一つの通過点に過ぎなくて、その前から愛情っていうのは確実につながっているものであって欲しい。
特に一度結婚の選択を間違ってしまった鈴音には、今度こそ確実な未来への道を歩いてもらいたい。その相手が僕であったら、いや、僕しかあり得ないと言って欲しいっていうのが正直なところだ。
海外なんて遠いところへ行かないでくれと泣いてすがってくれてもいい。
仕事ばかりで放ったらかしな気がするから寂しいと怒ってくれてもいい。
鈴音にとって僕は離れられない存在なんだと証明して欲しい。
僕は鈴音に夢中だという事を、嫌でも今から証明する事になるだろう。
どんなに嫌がっても、彼女の体は解放してやらない。
これは「愛」というより「愛憎」だ。
愛の中に憎しみが混じっている。
僕一人をしっかりと見てくれない鈴音に対する憎しみ…。
どうしてこんな気持ちにさせるんだ。
鈴音…悪魔なのは君か?それとも僕か?
その境目すらボンヤリしていて、僕はただただ愛しい彼女の体をまさぐる。
「いや、痛い。やめて…!」
悲痛な声を出す鈴音にかまわず、僕は悪魔が乗り移ったように彼女をめちゃくちゃに抱いた。
愛してる…。
愛してる。
いや、こんなに苦しい感情が愛なはずないだろう。
そうだ、やはりこれは憎しみなんだ。
嫉妬という魔法にかけられ、愛は憎しみに変化する。
涙に濡れた鈴音の顔がますます魅力的に見えて、唇を何度も塞ぎ、髪ももみくちゃだ。
「はあ…はあ」
何度目かに果てた僕は、とうとう全身の力が抜けてしまい、鈴音の体に自分の体を重ねて目をつむった。
「ひどい…光一さん。こんなの全然愛じゃないわ」
鈴音はそう言って泣いていた。
僕の憎しみが、彼女の体を貫いていた。
謝罪の言葉も出てこない。
僕自身が泣きたい衝動に駆られていて、どうしたらいいのか全く分からない。
こんなに近くにいる愛しい人を、僕は暴力とも言える性衝動で怯えさせている。
最低だ…。
心が敏感な鈴音の精神をさらに蝕むような事をしている。
僕を嫌ってもらってもいい。
こんな男からは離れた方がいい。
そう思うけれど、口には出来ない。
鈴音は僕に別れの言葉は言わなかった。
ただ、悲しみに打ちひしがれたように静かに泣いている。
「どうして…私が愛しているのは光一さんだけなのに…」
彼女の声が僕の心をますます強烈に締め上げる。
悲鳴を上げそうになっているのは、僕も同じだった。
シャワーを浴びて、鈴音は静かに着替えを済ませ、無言のままアパートを出て行った。
夜眠れないと言う彼女が、僕の隣で寝るのを拒否した。
恋愛の初めに感じたあの暖かい気持ちはどこへ行ってしまったんだ。
鈴音に対する独占欲が増すに従って、僕の心はどんどん狭くなる。
彼女は僕との関係を大事にしたいと思ってくれていて、だからこそゆっくり近付こうとしていた。
それを分かっているのに、高田の部屋に泊まったという彼女を許せなかった。
何て心の狭い、子供じみた男なんだろうか。
ベッドサイドで頭を抱え、僕は泣きたくても泣けないほど胸が苦しくなっていた。
好きな女性の一人も満足に幸せにしてやれないのか、僕は。
仕事なんて全部言い訳だ。
それを高田は証明している。
あいつは今僕が抱えている仕事の量が入ってきても、きっとどれか仕事を犠牲にしてまで愛しい人の為に時間を割くだろう。
それが高田という人間で、仕事はそういう割り切りも必要だ。
結局…僕は仕事というジャンルに甘えきっているのかもしれない。
実際、海外で僕が仕事をしている様子を見て「クレイジー」と言っている同業者もいた。
肌を合わせたら全て解決すると思っていた僕は、相当な恋愛初心者だ。
まさか肌を合わせた事によって、より一層の独占欲が沸くとは予想外だった…。
もう鈴音は僕から心を離してしまうだろうか。
泣いてでも彼女にすがってしまいそうだ。
許して欲しいと、素直に口にするにはどうすればいいんだろう。
鈴音…鈴音。
君の涼やかなその声をまた聞かせて欲しい。
こんな男だけれど…君を本気で欲しているのだけは間違いない事なんだ。
僕は彼女の忘れていったネックレスを手に、ただただ自分のしてしまった事を後悔していた。
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