抹茶モンブラン

4−3. アプローチ

鮎川さんが入って何週目かの、ある日のお昼時。

彼女とは何度か一緒にお昼を食べるようになった。
何となく若い女性同士仲良くね…っていう雰囲気があって、それに逆らえなかった。
お弁当を前に、私達は使っていない会議室で隣り合ってモクモクと食事をする。
鮎川さんもあまりおしゃべりな人ではないから、時々どうやって間を持たせようかと悩むんだけど、彼女はそれほど気にしていないようだ。
年齢は25歳で、光一さんとの関係は「親友の妹」だと言っていた。

「私の兄は鹿児島の大学で堤さんと知り合ったんです。事故で急に兄が亡くなってからは、何かと堤さんが兄の代わりみたいに力になってくれていて…。結局仕事まで彼のお世話になってしまいました」
そう言った鮎川さんの顔は、光一さんを一人の特別な男性として見ているような、照れたような…はにかんだものだった。

「ご両親は鹿児島に?」
私は流れでそんな質問をした。
すると、鮎川さんは少し悲しそうな表情をして、首を横に振った。
「両親は小さい頃に離婚していて。兄と私を必死で育ててくれた母も苦労のしすぎで、5年前に亡くなりました。だから…私には堤さんしかいないんです。家族みたいに大切に思える存在は」

「…そうですか。ご苦労されたんですね」
余計な事を聞いてしまった気がした。
鮎川さんのプライバシーを掘り起こしてしまったという罪悪感もあったし、彼女にとって光一さんは家族ほどの近い存在だという事を知ってしまったショックもあった。

鮎川さんは口にダイレクトに出さなかったけれど、私と光一さんの関係を知っていて、それでもなお彼を言葉に出来ないほど慕っているというのを感じた。

要するに…私が一番そうなって欲しくないなという展開になってしまった。
私と同じか、それ以上深く光一さんを愛する女性がもう一人いるという事を…知ってしまった。

                              *

「光一さんって…愛情に飢えてるんじゃないのかなあ」
久美との雑談タイム。
彼女に光一さんの事を打ち明けてからというもの、何度か相談をするようになっていた。
彼女の指摘は短くて的確だ。
「うん、そういう節はあるね」

一見厳しく見える外見に反して、恋人にに対しては子供のように甘えたがりなのは感じていた。
その存在を失う微かな可能性に、とんでもなく嫉妬してしまうのも、好きなお母さんを奪われてしまいそうな小さな男の子のように見えたりすることもある。
そんな彼だけれど、鮎川さんに対しては懐大きく接しているようで、彼女の事は親友の妹さんという事もあって大事に守っておきたいのかな…という印象だ。

「で、肝心の鈴音はどうなの」
コーヒーカップをカタンと皿に戻し、久美が強い目線で私を見た。
「え、私?」
「そう。その同業の高田さんっていう人の事はどうも思わないわけ?」
高田さんをどう思っているか…あまり考えていなかった。
一緒に居ると安心だし、言葉を多く語らなくても居心地が悪くないというのはあるけど、この安定した気持ちって何だろう。

「寝てみれば」
「え!?」
私は驚いて手にしていたクッキーをまるごと床に落とした。
「な、何言ってんの?」
「男としてどうなのか…って、多分寝てみれば一発で分かるよ」
久美の提案はとっぴ過ぎてついていけない。
なるほどと思う事がある反面、飛躍しすぎじゃないの…と思う事もある。

「それが無理なら、せめてキスぐらいしてみれば。どうせ今の彼氏とは距離を空けてるんでしょ?バレなければ浮気にならないわよ。私ならそんな不安定な男と一緒に暮らすなんてやっぱりあり得ないなあって思っちゃう」
ものすごく素直な意見だった。
ずっと先の生活を思う時、私が満足して暮らせるのは光一さんだろうか、高田さんだろうか…と考える。
何を満足と言うのかによるけれど、私は自分を手放したくないと抱きしめていてくれる人の傍にいたい。
馴れ合いによっていつでも離れられるような薄い愛の中では生きていたくないと思ってしまう。

そう思うと、多少束縛感のある光一さんだけど、あの人は仕事も手放さない状態で私を狂愛とも言える感情で求め続けてくれそうな気がする。
そして、うずくまって泣いている少年のような彼の心にずっと寄り添っていてあげたいと思ってしまう。

「はあ。鈴音って本当に計算低い女だよね」
計算高いというのは聞いた事があるけど、計算低いっていうのは初耳だ。
久美の造語らしいけど。

「仕事虫の子供っぽい内面を持った変人を愛しちゃったのね。その人に比べたら、確かに仕事とオフを分ける完璧な家庭人に向いた高田さんっていう人は鈴音が守ってあげたいと思わせる要素が少ないかもしれないわね」
「そう言われると、何か私かとんでもない人と付き合ってるみたいじゃない。彼は時々屈折するけど、すごくデリケートなだけ。あの人が優しい人だっていうのは、十分過ぎるほど分かっているもの…」
気が付くと、私は必死で光一さんを庇っていた。
見てもいない、会ってもいない久美に光一さんの何が分かるのよ…という反感もあった。
私のこの様子を見ていて、久美は声をたてて笑った。

「何がおかしいの!?」
笑う久美を見て、やっぱり悩み相談なんてうかつにするものじゃないなって、ちょっと後悔していた。
でも、久美は別に私の答えを笑ったわけではないようだった。

「ううん、ごめんね。誘導尋問してみたのよ…鈴音が誰を一番好きなのか導き出してやろうと思って。そしたら、見事に本音が浮き上がってきたから、素直な人だなあって思ってさ」

「……」

誘導された。
私が光一さんを心の底から好きなんだというのが、久美の尋問によって導かれてしまった。

「鈴音は母性の強い愛したいタイプの女で、光一さんという人は一見攻撃性があるように見えて実は受身の愛されたい男なのね…いいじゃない。相性いいと思うよ。ただ、鈴音はもう少し本音を彼に伝えた方がいいと思う」
落ち着いた表情に戻り、久美は静かにそう言った。

「本音?」
「仕事が大変でしょうとか、体が心配だとか。そういうのを考えないで、もっと鈴音も我がままになればいいんじゃないの?彼もきっと鈴音のそういう気持ちを待っているんじゃないかな」

そういう気持ちはあまり外に出したくない人間だった。
だから、どこか冷めた女のように見られがちで。
光一さんも常々私が距離を空けて付き合っている事を不満に思っている様子があったのを思い出す。

いいんだろうか。

本音を彼にぶつけてしまって…本当にいいんだろうか。
ずっとそういう気持ちを我慢する事で心地いい関係が続けられると思っていた。
でも、そのせいで光一さんは不安になっていたのかもしれない。
私が離れてしまう可能性を常に匂わせてしまっていて、仕事で会えない上に留守中にいつ別の男性に揺れてもおかしくない私の状況が心配だったのかも。

それを考えると、私も実は勝手な人間なんだな…と反省させられた。
自分では見えない事も、第3者には良く見える事があるんだな。

「ありがとう久美。今まで悩み事って自分で解決するのが当たり前だったんだけど、たまには自分以外の人の意見も聞いてみるべきだね」
私がホッとため息をつきながら笑顔でそう言うと、久美も嬉しそうな表情をした。
「鈴音が私にこうやって相談してくれるの、すごく嬉しかった。だからこそ、うまくいって欲しいなって思ってるの。素直に気持ちを伝えられるといいね」

こうして、私は再度光一さんを好きな自分を確認し、積極的になるべきなのは私の方なんだと思った。
忙しい彼に遠慮せず、会いたいくて眠れないぐらいの時は素直に「会いたい」と伝える事も必要だったのかもしれない。

私からのアプローチ…光一さんはどう受け取ってくれるだろうか。

                         *

しばらく顔も見ていなかった。
出張続きで連絡もあったり無かったり。
私の心は日を追うごとに弱くなり、人の温もりが無い生活というのがいかに寂しいかを思い知っていた。

それでも、もう薬に頼るのをやめようと、少しずつ飲む量を減らしていて、眠れない夜にもあまり深く考えずに眠くなったら寝ればいいと考えるようになった。
俊哉に会った事で過去へのわだかまりが若干薄れ、今は光一さんの手をもう一度握りたいという気持ちが強くなっていた。

行動を積極的に起こそうと思うんだけど、きっかけがつかめない。
もともと光一さんは強く迫ってくるタイプの男性ではない。
あの海ほたるでの一件があったからこそ、彼は私にそれとなく好意を伝えてくれた。

思い出の場所。

私は漠然と「もう一度海ほたるに行きたい」と思っていた。
車を持っていない私には行けない場所で、だからこそ、もう一度光一さんと一緒に行きたい。

そう思っていたある日、私は鮎川さんからショックな事を聞かされた。

「海ほたるって初めて行ったんですけど、本当に海の上に浮かぶ小島みたいで素敵でした」
お弁当を食べ終えて、二人でお茶を飲んでいた時だ。
鮎川さんは嬉しそうに微笑んでそう言った。
「そうですか。東京を案内してくださる方がいるんですか?」
この時私はまさか相手が光一さんだとは思わなくて、雑談の流れとして彼女を案内した人の事を尋ねた。
「ええ、堤さんが。私が我がままに色々注文つけて、結局朝から夜まで付き合わせてしまって…」
私と彼が今あまり密接に会っていない事を知っているのか、多少遠慮気味な口調だった。

この時の私の気持ちは何と表現したらいいんだろう。
鮎川さんが光一さんに近付いている事より、何故光一さんは彼女を海ほたるへ連れて行ったのかという事が、ものすごい衝撃と供に私の心をズタズタにしていた。


思い出の場所を汚されたような…そんな気分だった。

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