抹茶モンブラン

5−1 つかの間の幸せ

田舎の両親が唐突に「鈴音、お見合いしなさい」と言ってきた。
私が東京で暮らしているのをあまり良く思ってなくて、早く故郷の秋田へ戻れというのが本心らしかった。
「私にだって仕事とか色々都合があるのよ。お見合いなんかして駄目だったらそっちだってきまりが悪いでしょう?」
恋人がいる事は言わず、私はそう言って何とかこの話を誤魔化そうとした。
光一さんは立派な人だけど、両親に会わせたら、東京で仕事にまみれた男は駄目だと言う予感がある。彼らの条件は、秋田に戻って一緒に暮らすか、近くに住むかという選択肢しかない。
前の結婚で駄目になってからというもの、とにかく私一人をこっちに住まわせるのは心配だというのが口癖になっている。
「心配かけて申し訳ないと思ってるけど、ちゃんと仕事にも就けたし。大丈夫だから」
「そんなこと言って、また変な男にひっかかるんじゃないかってこっちはヒヤヒヤしてるんだから。出戻りのあんたをもらってくれようって言ってくれる人がいるだけでもありがたいでしょう」
娘をそんな不良品扱いするなんて、親といえども腹が立つ。
私はとりあえずその話は受けられないとだけ強く言って、電話を切った。
母の事だから、きっとしつこく電話で説得してくるに違いない。

                       *

光一さんとは、最近きちんと会えるようになっている。
出張じゃない日は夜に彼が私のアパートに寄ってくれて、一緒に眠る。
本当に眠るくらいしか出来ない程遅い時間に来るから、私はパジャマ姿で待っている。
簡単な寝巻き用の服も用意してあって、何だかすでに半同棲してるみたいだ。
彼の温もりを感じながら眠れる日々というのは、本当に幸せで、私は何があってもこの人とは離れたくないと強く思っていた。

出張で彼がアパートへ来られない日には、職場の最寄り駅前にある24時間営業のコーヒーショップで待ち合わせをする。
だいたい9時ぐらいに彼は帰ってくるから、私は一度家に戻って夕飯を済ませてからもう一度出かける。
面倒な感じだけど、彼の顔を見られる為ならこれぐらいは全く苦ではない。
それよりその日あったお互いの出来事を少しずつ語らいながら笑ったりするのが何よりも嬉しくて、私はやっと私達は安心して恋人関係になる事が出来てるんだなって感じている。

平日の9時という時間でも、それなりに店の中には客がいて、私一人が多少長くそこで本を読んだりしていても全く違和感が無い。
メールで知らされた電車の到着時刻より必ず30分ほど早くついてしまう私。
光一さんがお店に入って来たら、別に長く待ったそぶりは見せないようにしている。何だか自分が彼にどれだけ夢中なのかを知られるのが恥ずかしいからだ。

「鈴音は最近よく笑うようになった」
ホットココアを飲んでいた光一さんが嬉しそうにそう言った。
甘党の彼はコーヒーショップにいても飲むのはココアかチョコシロップの入ったカフェモカだ。
「そう?光一さんも何だか性格が柔らかくなった気がするわよ」
「何かね…仕事を少し切り離して自分の大切な時間を持とうと決心してみたら、案外出来るようになったし。鈴音との時間が増えたのも心を穏やかにさせていると思う」

本当に…。
仕事に追われて目の色が変わっていた頃の彼とは、随分違う。
高田さんほど完璧に割り切ってはいないんだろうけど、私と会う時は仕事の事は忘れる努力をしてくれているようだ。

こうやって私達は11時くらいまでお互いの心を確認するように会い、「また明日」という決まり文句で別れる。
今までは「また来週」とか「次はいつ会えるかな」なんて言ってたのに、毎日のように会えるっていうのは本当に嬉しい。

次の日は光一さんがアパートに来てくれる約束で、私は一緒には食べられないかもしれないと分かっていても二人分の夕飯を用意する為に食材を選ぶ。
たまに俊哉にも会うけど、お互い笑顔で「お疲れ様」なんて言って、私達が以前夫婦だったのが嘘のような空気が流れるようになった。

「何にしようかな…揚げ物はタイミングが難しいし。結局煮込み物になっちゃうなあ。でも、光一さんはわりと煮物が好きだから、それでいいか」
こんな独り言をいいながらレンコンとかこんにゃくを買って、自分の食事を作る時よりは明らかにメニューを詳しくイメージしている。
光一さんに「鈴音の料理は最高だね」なんて言ってもらえるのを想像して、ちょっと鼻歌が出てしまいそうな私。
普段の夕飯は適当な駅弁とかで終わらせているに違いないから、せめて私と一緒の夕飯ぐらいは栄養のあるものを食べて欲しい。
私ってやっぱり母性が強いのかな。成長を気にかけるお母さんの気持ちと似ている気がする。
きちんと食べてるの?
ちゃんと眠れてるの?
こんな言葉がつい出てしまいそうで、それは抑えている。
口うるさい恋人はあまり可愛くないと思うから。
今まで可愛いと思われようなんてあまり意識してなかったけど、光一さんから何度も「鈴音は可愛い」と言われているうちに、そう言われるのも嬉しいものなんだなって感じるようになった。

「どのへんが可愛いの?」
食事が終わってお茶を飲んでいる時、また彼が私を可愛いと言ったから、その理由を聞いてみた。
「ん?どのへんが…って言われると答えにくいけど。何ていうか、甘え下手な鈴音が時々恥ずかしそうに笑ったりするところかな。それとか、不機嫌そうにしてる時にちょっかい出すと本気で怒ったりするのも可愛いかな」
「え、そういうポイントなの?」
私は想像していたのとは全然違う場所を言われたから、ちょっとガッカリした。
そうか、私は普段クールな感じに見られてるから感情を表に出す瞬間って光一さんにとっては嬉しいものなのかもしれない。
「大人の女性に対して可愛いっていう言い方は失礼かな。でも素敵とか綺麗とかとも違って…やっぱり可愛いって思うんだよ」
「そう」
彼の言葉を聞きながら、“光一さんも寝顔が可愛いわよ”と思っていた。


「ねえ、先に寝ないでね」
私は布団に入ってからこんな注文をつける。
疲れている彼がすぐ眠ってしまうのは仕方ないんだけど、先に眠られると何だか妙に寂しいと思ってしまうのは、私の心が完全に光一さんに甘えている証拠だ。
「鈴音が僕を眠れないほど誘ってくれたら、僕だって起きてるよ」
そう言って、彼のひんやりした手がパジャマの裾からスッと入り込んでくる。
「ん…」
彼の手が自分の胸を包み込むと、何とも言えない刺激が伝わってくる。
「たまには平日でもいいかな」
「光一さん、やらしい目になってる」
「そうだよ、僕はこういう人間だから。好きな女性の事はいつだって抱きたいと思ってる」
そう言って、彼は遠慮なく私の体をどんどん刺激してきて、やがて頭が真っ白になるほどキスをされる。

甘いキスに加えて、甘いセックス。

こういう夜が時々訪れる度に、ああ…こんな幸せな時間は長くは続かないのではないかしら、と、不要な心配事があたまをもたげたりした。
幸せ過ぎると怖くなるというのは本当で、次にくるかもしれない悲しい出来事が何なのか想像もできないけれど、確実に何かが起きそうな予感がして…私は光一さんに抱きつきながら少し泣きそうになるのだった。

                      *

予感が的中したとは言えないのかもしれないけれど、数ヶ月光一さんとの甘い生活が続いた3月のある日、とんでもない事が起こった。
いつも到着する電車の時刻を教えてくれる光一さんからのメールがなく、私はアパートで心配していた。
もう日も暮れて7時になろうかという時間、携帯に電話が入った。

「もしもし、光一さん?どうしたの?」
電話の向こうの彼は、少し動揺しているようだった。
「鈴音…今日はちょっと会えそうにない」
「何があったの?」
私は彼の身に何か起こったのかと思って、そう聞いた。

「紗枝が事故にあった。今救急病院に呼ばれて手術中なんだけど…、とりあえず様子を見ないとなんとも言えないから。また後で電話する」

全く予想外のものだった。
鮎川さんは今日普通に仕事をしていて、いつも通り「お疲れ様でした」と言って帰っていった。
なのに…事故?
私の頭の中は鮎川さんへの心配と、これから光一さんはどうするつもりなんだろうという二つの思いで揺れていた。

「命は助かったんでしょう?怪我程度ではないの?」
「それも良く分からない。腰を強く打ったみたいで…もしかしたら下半身麻痺の可能性もあると言われてるんだ」
「そんな」
これ以上何と言葉を続けていいのか分からなくて、私は押し黙ってしまった。
光一さんも今はどうにも出来ないという事が歯がゆいみたいで、「また連絡する」とだけ言って電話は切れた。

「……」

いつだってそうだ。
幸せな時間は、突然の出来事で全く予想のつかないような方向へ流れる。
人生はそういう理不尽な事でいっぱいだ。
鮎川さんの人生が今大きく変わろうとしている。
だいたい、彼女の人生にどうしてこんなに不幸が重ならなければならないのか。
両親の離婚、お兄さんの事故、お母様の死。
そして、健康だった自分の体までどうにかなりそうになっている。

私は少し自分勝手な妄想を抱いていた。
この事がきっかけで、光一さんの心の重心が鮎川さんに置かれてしまうのではないか…。
愛する対象が変わるというのでもなくて、とにかく彼女を立ち直らせる為にきっと光一さんは全力で力になるだろうというのが予想された。

怪我をして苦しむ鮎川さんに対して私も人間として失礼な考えを抱いているなと分かっていたけれど、そういう心配が出ているのは事実で…こんな事を思っている自分も嫌いだった。

二度目の電話で、とりあえず手術は無事に終わって、安定しているという事を伝えられた。
あとは怪我の回復を待って、リハビリ時にどれだけ歩行が可能になるのかを見るという事だった。
「とりあえず命は無事で良かったわね」
「うん。ホッとした。でも、仕事は当分復帰できそうも無いし。鹿児島の親戚に連絡したけど誰も来てくれそうもないんだ。僕がしばらく家族の代わりに看病をしなければいけない。ごめん…鈴音とはしばらくきちんと会えなくなるかもしれない」

……状況を考えたらいたしかたのない事だった。
彼に鮎川さんに対する態度が深入りしすぎだなんて言葉も言えない。
かといって、私が看病に加わって一緒にお世話をするというのは鮎川さんが嫌だろうなと思った。
私はたまに病室に見舞いに行く程度がちょうどいい距離なのに違いない。

「早く回復して歩行も問題なく出来るようになるといいわね」
「うん。それを一番に願ってるよ」

こうして、私と光一さんの間に築かれた空間は歪められた。

二人の時間がいつ戻るのか…果たしてどういう未来が待っているのか。分からなくなった。
神様は本当に意地悪だ。
鮎川さんへの試練をあまりにも強く与えすぎなのではないですか。
こんな弱い立場になった彼女は、光一さんしか頼る人がないじゃないですか…。

私はどこへ行けばいいんですか。

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