抹茶モンブラン

5−3 鈴音の決意 その2

SIDE鈴音

久しぶりに戻った故郷には、まだ雪が残っていた。
迎えに出てくれた父の車に乗って、私はそのままお見合い相手がいるという料亭まで連れて行かれた。
「急にお見合いをしてもいいとか言うから母さんも驚いていたぞ?」
久しぶりに会う娘との会話に少し困ったようにしていた父がそう口を開いた。
もう定年して、趣味の山登りをしているという父の顔は雪焼けして真っ黒だった。
「もう私も年齢的にのん気にしてられないし。母さんの言う事もあながち嘘じゃないなあって思ったの」
私は適当にそんな言葉を口にしていた。
死ぬほど好きな人と別れる覚悟で来たなんて、両親とも夢にも思わないだろう。
私が傍に住んでくれるかもしれないという可能性を感じて、父がどことなく嬉しそうなのを見ると、私はここに戻って来てもいいかな…という気分にすらなっていた。

「お相手は実は今転勤で埼玉にいるんだ。だから、本当は東京で見合いにしても良かったんだが、相手の方のご両親がどうしても東京に出るのは嫌だというんでね…結局こっちで見合いの席を用意したよ」
「そうなんだ」
父の声をぼんやり遠くに聞いて、私は今から会う人に対しては何も期待していなかった。
光一さんを忘れられるなら…という極めて不真面目な考えでここに来た。

                    *

「小山内真澄(おさないますみ)です、どうぞよろしく」
想像していたよりずっと若い雰囲気の痩せた男性が、そう言って深々と頭を下げた。
確か32歳だと聞いていたけど、パッと見はとても30代には見えない。
逆に私の方が老けて見えてしまわないか気になるほどだ。
「真澄は鈴音さんのお写真を見て、すぐにお見合いしたいと言いましてね」
相手方のご両親がそう言って微笑んだ。
外に出るのが苦手らしいご両親は、料亭の雰囲気にも少し恐縮している様子だった。

「うちの娘はこの若さですけど、もうバツがついてしまってますの…本当にそれはご承知なんですよね?」
母がどうしてもそこが気になるようで、念押ししている。
「関係ありませんよ、事情は伺ってますし。全く鈴音さんには非が無かったと聞いております。だいたい、こんな綺麗な人の縁談を断る人はいないかと…」
ハキハキとした気持ちのいい声で小山内さんは、そう言って私に少し微笑んで見せた。
「やめてください。全然私はそんなんじゃないですから」
私は初対面の人から突然「綺麗な人」なんて言われて、やや慌てた。
もっとどうでもいい人を想像していた。
再婚だと聞いてもお見合いを申し出てくる初婚の男性だ、それなりの理由があるのかと邪推していた。
なのに、小山内さんは全くそういう裏を持った人ではない印象だった。
こざっぱりとしたスーツ姿がとても似合っていて、営業の仕事をしているというのを聞いて納得した。
人と接するのに慣れている感じがしたのは、そのせいだ。

食事が終わって、私達は典型的な「若いお二人でどうぞ会話を楽しんで」というシチュエーションに持ち込まれ、その料亭にポツンと残された。
小山内さんは、それほど二人の空間に緊張している様子は無くて「あ、タバコいいですか?」なんて聞いた。
「どうぞ」
光一さんは神経質なほどタバコ嫌いだったから、小山内さんのちょっと大雑把な仕草や人好きする笑顔なんかは彼とは逆だなと思ったりした。
高田さんともちょっと違う。
高田さんは明るいけれど、折り目正しい真面目な人だ。
でも、小山内さんはもっとそういうのを崩した感じが見える。
なんていうか…冷めてるっていうのとも違うけど、どこか人生を達観してしまっているような。
そういう感じがした。

「鈴音さん、正直俺との縁談ってどうでもいい気持ちで来たんでしょう?」
「え!?」
唐突に図星をさされ、私は思わず動揺を顔に出してしまった。
すると小山内さんはタバコの煙をフーッと吐いた後、ニッコリ笑った。
「俺、人の表情を読む天才なんです。だから会社でも成績は悪くない方ですよ?」
冗談っぽくそう言って、彼は私が真面目にお見合いをする気じゃなかった事は責めなかった。

「人って生きてると色々ありますよね。俺も実は3ヶ月前に彼女にふられたばかりなんです。その後速攻、親が見合いしろって言ってきて。最初はそんな気になるかよって思いましたけど、鈴音さんの写真を見たら何か会ってみたくなったんです」
真面目な顔でそんな事を言うから、私は思わず笑ってしまった。
「そこ笑うところじゃないですよ」
「すみません、何か小山内さんの話し方が高校生みたいだなと思って」
「そうですか?」
実際彼の話し方にはどこか軽やかな響きがある。
きっと自由奔放に育ってきたんだろうなっていう感じがして、物事を明るい方向に考えようとする雰囲気を持っている。

「俺はあと1年は埼玉にいる予定ですし。東京でまた会えますよね。結婚は別にしなくてもいいですから、少し俺みたいな男もいるんだって知ってもらえたらいいと思ってるんですけど」

いきなり「結婚前提に」とか言われると、実は息苦しいだろうなと思っていた。
でも、小山内さんは全くそういう無理強いをする様子は無く、嫌になったら離れてくれていいよというフリーな態度をとった。

「あ、でも親には一応付き合ってるって嘘でもいいんで言っといて下さい。この縁談が駄目になったら、すぐに次のを用意してるみたいなんですよ。それもうっとおしいんで、いいですか?」
こんな軽くお願いをされると、特に「嫌です」と断る理由も見つけられなくて、私は彼の言う通りこのお見合いは一応成功して、それなりに連絡をとりあう事になった…という報告をする事にした。

あまりにも力が抜けるようなお見合いになった為、私は緊張していた心がドッとゆるんでしまった。
その晩は、お見合いがうまくいったと聞いて喜ぶ両親と一緒に夕飯を食べて久しぶりの実家で眠りについた。
小山内さんとの結婚が無くなったら、親が相当ガッカリするだろうなと思うと心が痛かったけれど、こればっかりはこの先の流れでどうなるのか全く分からない。
私と同じように前の彼女の幻影を取り払うように私と見合いをしたふうな小山内さんの心を考えると、実は心境は私と彼は一緒だったのかもしれない。

似た者同士、恋人にならなくても…気の合う友達になれそうな感じがしていた。

こんな予想外のお見合いを終えて、私は光一さんに感情を出さないよう強引に自分を抑圧したまま別れの言葉を告げた。
もちろん小山内さんと駄目になったとしても、私は彼と別れる道を選ぶつもりだ。
鮎川さんの気持ちをまだ知らない光一さんにとっては、私の言葉は「寝耳に水」だっただろう。
納得できないと言われ、結局別れを承諾してもらえないままになった。

仕事はすぐに次のものを見つけるのは困難だったから、苦しいけれど光一さんの下で働きながら公務員試験を受ける為の勉強を始めていた。
職歴が浅くても就ける仕事を考えたら、公務員くらいしかなかった。
将来ずっと独りで生きなければならないかもしれない私にとって、仕事は重要なものになる。
だから、私は光一さんとの中途半端な関係に揺れる気持ちを誤魔化す為に勉強に没頭した。

人は、好きな人を好きなまま手放す時、どうやったら自分を抑制して生きていられるんだろう。
大人になるというのは、こういう説明できないほどの痛みをたくさん抱えるという事なんだろうか。そして、その痛みを外に悟られないように強くいきていくのが…正しい道なんだろうか。

答えの出ない問題を考えながら、私はいつの間にか薬を必要としていない自分に気が付いた。
誰にも甘えられない、自分独りで立って生きなければと思った頃から私は薬を飲むのを忘れるようになった。勉強で疲れ果てるから、夜も何も考えずに寝る事が出来た。

独りに慣れるわけはない。
孤独は人間を殺すと、光一さんと話したばかりだ。
だから、今勉強する事で一時苦しさから逃げているだけなんだというのは分かっている。
でも、私にはそうするしか道が見えない。

こういう日々を過ごすうちに、もしかしたらまた別の道が見えるかもしれない。
そんな可能性を考えながら、私は痛む胸に気付かないふりをしていた。

INDEX ☆ NEXT
inserted by FC2 system