抹茶モンブラン

5−5 違う人

私は今どこにいるの、何をしてるの?

自分でもあり得ない展開だった。

小山内さんに連れられて入ったのは、光一さんとも入った事の無い内装の変わったホテルだった。これがラブホテル…?
生まれて初めて入るラブホテルが、こんなパターンになろうとは全く予想していなかった。
第一、何で私はあっさりこんなところに小山内さんと入ったんだろう。
ベッドの縁にボーっと座って、私は自分のやろうとしている事のとんでもなさに心臓が破裂しそうになっていた。

「大丈夫ですか?」
私が固まったまま動かないのを見て、ネクタイを外した小山内さんが隣に座ってきた。
フワッと香るタバコの香り。
男性にはそれぞれ固有の香りがあって、光一さんの香りは少し甘い感じだ。
別に飴のような甘さではなくて、何のコロンも使わない彼特有の清潔な香り。
私はあの人の香りも好きで、だから傍に眠ってくれるだけで落ち着いていた。

タバコの香りの小山内さん。
やっぱり何となく違和感があった。
でも、私はこの強引な展開によって、小山内さんを少しは男性として受け入れられるかもしれないという賭けをしようとしていた。
光一さんより好きな人は絶対現れないと思っているけれど、小山内さんの優しさに甘える事で彼との別れをハッキリと自覚出来るのではないか…そんな無謀な事を思ったりしていた。

「シャワー使いますか?」
そう聞かれて、私はフルフルと首を横にふった。
今何か行動をしろと言われても、何も出来そうにない。

私がもう今にも泣きそうなのを見て、小山内さんも困った顔をした。

「帰りましょうか。こんなつらそうなあなたを抱こうなんて思ってませんよ、僕だって」
「いえ、ちょっと慣れるまで時間がかかるだけです」
私は光一さんを忘れるのに必死だった。
小山内さんと男女の関係になる事で何か変化が出るなら、大人の女だもの…そういう選択だってありだわ。

私らしくない虚勢を張った言い訳を自分に何度もささやきかける。

「じゃあ、キスくらいならどうですか?」
優しくそう言ってくれた小山内さんの顔を見ると、彼の大きめな黒い瞳がライトでキラキラ光っていた。
彼自身は紳士じゃないと言っていたけど、私が嫌だと言えばキスもしないで帰ろうと言うに違いないというのは何となく分かった。

少し考えてから、私は無言のままコクンと頷いて彼のキスを受ける事を承諾した。
「そんなに固くならないでください…本当に嫌ならすぐ止めますからね」
ガチガチの私の肩を抱いて、小山内さんはそっと私を仰向けに寝かせる。
「……俺はこういうの、本気で好きな人にしかしませんから」
真剣な眼差しを向け、彼はそんな事をつぶやいた。

そっと唇を寄せられて、キスの感触が脳に伝わる。
光一さんとのキスは、とろりと甘くとける感じだ。
なのに、小山内さんとのキスは完全に別の人間の唇だと分かってしまう違和感を感じた。
次の瞬間、私の体全体が「違う!」という信号を発信させた。

「待ってください!」
私はそう叫んで、ベッドからガバッと起き上がった。

「鈴音さん…」
「ごめんなさい。やっぱり駄目。駄目です」
そう言って、小刻みに震える自分の体をぎゅっと抱きしめた。

                     *

小山内さんはそれ以上何かしてくるという事も無く、落ち着く為に冷たいペットボトルの水を一本買ってくれた。
「もう何もしませんから、すぐにここを出ましょう」
カラカラの口と喉を水で潤し、私はあと少しで泣いてしまいそうだった
「…ごめんなさい」
「あなたが謝るような事は何もありませんよ。好きな人と可能な限り近くいたいって、俺が勝手に思いを強めてしまっただけです…」
そう言って、小山内さんは全く私を責める様子無く、優しい顔をした。

好きな人とは可能な限り近くにいたい。
当然の事だ。
小山内さんを嫌いな訳では無い。でも、さっきの自分の反応を考えると、多分異性として受け入れる事は出来ないみたいだ。

「落ち着きましたか?じゃあ…帰りましょう」
ようやく私の震えが止まったのを確認して、小山内さんは私を優しく立ち上がらせてくれた。
ごめんなさい。
私は心でもう一度彼に謝った。
小山内さんは本当に私に好意を持ってくれていて、お見合いしたせっかくの縁を大事にしようと言ってくれていたのだ。
なのに…私は、彼の心を利用して光一さんを忘れようとしていた。

外に出て解放感のある世界に戻れた事で、無意識に心がホッとしていた。

「強引過ぎました、許してください」
一度軽くキスしただけの彼が、逆に私に謝ってくれた。
「…私の方が失礼でした。すみません」
「いえ。鈴音さんが俺の事は異性として見れないんだという事を嫌というほど思い知りました」
答えにつまって、何も言えない。
「鈴音さんの心にはまだ愛する方が生きているんですよね?」
責める口調ではなかったけど、私の態度で小山内さんには心を完全に読まれているようだった。

私は仕方なく、まだ愛する男性がいて事情があってその人に思いを残したまま別れる決意をした事を伝えた。
すると、小山内さんは「そうか」と一言つぶやいて、天を見上げた。そして次に私の顔を見てニコッと笑って見せた。
「そういう人がいるなら、その気持ちを大切にすべきでしょう。無理に忘れようとしない方がいい」
「……」
「まだ好きな男性を思う気持ちをごまかそうと、あなたが必死になっているのがすごく伝わってきました。でも…愛してるなら、そのままでいいじゃないですか。どうして自分に嘘をつこうとなさるんですか?」

すごく最もな言葉だったけど、私はまだその考えに流されまいと頑張った。

「自分の気持ちを貫く事で、誰かが不幸になるのは嫌なんです」
まだ私は自分の選んだ道は正しいと言い張ろうとした。
でも、小山内さんは私に痛烈な言葉を発した。

「では逆に鈴音さんが心を閉ざす事で、誰か幸せになりましたか?」

「……」

私は答えを返せなくなった。

鮎川さんと私の存在に挟まれて苦しむ光一さん。
光一さんを忘れられない私。
私に罪悪感を抱きながら、光一さんへの恋心で苦しむ鮎川さん。

…誰も幸せになっていない。最初から分かっていた事だ。

「誰かを助ける為に、鈴音さんは自分の心を殺してるんですか?心は誰にも縛れませんよ…ましてや自分の心には一番正直でないと。本当の思いやりっていうのは、自分の心も大切にしている人にしか持てないものですよ」

事情をほとんど知らない小山内さんの客観的な意見は、かなり核心を突いていた。この人の洞察力には本当に感服させられる。

誰にでも人を好きになる権利はある。
だから、鮎川さんが光一さんを好きになるのも当然の権利。
同じように私も光一さんを好きでいてもいいはずだ…。

無理に彼を忘れようとしたから苦しかったのかもしれない。

「小山内さんの言う通りと思います」
私がやっとそう言葉にしたところでタクシーが1台止まった。
小山内さんは”一人で大丈夫ですか?”と確認してくれ、私が頷くとそのまま後部座席に私だけを乗るように言った。
「出すぎた言葉、すみませんでした。では、おやすみなさい」
「おやすみなさい」


多分もう二度と会わないだろう事を、二人とも何となく察知していた。
大事な事を小山内さんはとても簡潔に私に教えてくれた。
キス以上は無理だったけれど、あの人の事はやっぱり嫌いにはなれない。
せっかくの縁だったのに…私は自分の本心をごまかすのは無理なんだと分かった。

                       *

もう時間は1時をまわっていて、緊張とアルコールのせいでかなり強い頭痛がしていた。

タクシーから降りて少し夜風に当たる。
私はこれからどうすればいいんだろう…もう別の男性を好きになろうなんて無茶な事は考えない方がよさそうだという事ぐらいしか思い付かない。
アパートの鍵を出そうとカバンに手をかけながら歩いていると、玄関前に黒い影が見えた。

「…光一さん?」
いつからそこに立っていたのか、スーツ姿のままの彼が私を見つけてフラフラと近寄ってきた。
「鈴音……」
今にも消え入りそうな声で彼は私の名前を呼び、息が出来ないほど強く抱きしめてきた。
「何で僕の前から消えようとしているの。本当の事を教えて。そうでないと僕は明日にも死んでしまいそうだ」

彼の悲痛な声に、私の胸も張り裂けそうに痛んだ…。

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