抹茶モンブラン

5−6 愛してもいいですか…?(ミックス)

SIDE鈴音

光一さんの腕の中は、やっぱりどんな高級なベッドの中にいるよりも心地よくて、私はどうせならこのまま時が止ればいいのにと思った。
ドラマなんかでこういうセリフを良く聞くけど、本当にそう思った。
瞬間的な甘美さをポラロイドカメラに写すように、時間も切り取って永遠に残す事が出来るなら、どんなにいいだろう。
でも、残念ながら時間は残酷なまでに淡々と「現在」をどんどん「過去」へと押し流す。

「光一さん…ごめんなさい」
愛しくて愛しくて…泣きたいぐらい愛しい彼の腕の中で、私はそう言った。
「別れたいと思っている男の腕の中で、どうしてそんな悲しそうに涙を流しているの…」
ごまかしきれず、私はとうとう涙を流してしまった。
彼を愛しているという事を抑え込むのは限界だった。

「鮎川さんはあなたを異性として愛してるの。あなた無しでは一日も生きていられないほど、あなたを愛してる。その強さは私も同じだけれど…やはり光一さんを彼女から奪うなんて出来なくて…」
ごまかしは止めて、私は正直な気持ちをあえて冷静に伝えた。

光一さんは、やっぱり鮎川さんの本心に気付いてなかったようで、かなり驚いた顔をした。

「紗枝が…?彼女がそう言ったの?」
私はその質問に軽く頷いてみせた。
「……」
光一さんもショックだったみたいで、黙っている。
私以上に、彼は鮎川さん
の心を無視する事は出来ないはずだ。

私達は二人とも寒い夜風に当たりながら、沈黙した。
アパートに彼を入れてしまったら、自制を利かせる自信が無かった。
だから私は、あえて外で会話をしていた。

そんな私の意志をくみとったように、光一さんは私の体をそっと離した。
数センチ離れたただけの体だったけれど、私にとってはもう永遠に手の届かない距離に彼が行ってしまったような感じがした。

「少し考えさせて。僕の中でも整理しないと、冷静に状態を把握できない」
そう言って、一度私に背中を向けた光一さん。
あまりに寂しそうなその背中に、私は抱きついてしまいそうだった。

「鈴音」
もう一度振り返って私を見る。
そして再び私を自分の胸に抱きかかえ、震える声で言った。
「僕は…君だけを愛してる。…愛してるんだよ」
「……」
何か言葉を口にしたら、私は号泣してしまう。
それが分かっていたから、私は彼の腕の中でじっと泣くのを耐えていた。

数分そのまま私達は抱きあっていたけれど、ふいに光一さんは私をドアの方へ押し出すように体を離し、そのまま寒い風に当たりながら歩いて暗い道路の向こうへ消えて行ってしまった。

                      *

涙を拭きながら冷えて真っ暗なアパートに戻った。
彼をこの中に入れていたら、間違い無く私は鮎川さんを裏切っていただろう。
人間の私欲というのは、そう簡単に抑え込めるものではない。
私だってそれほど上質な人間じゃないから。

寒さを少し緩和する為にお湯を沸かし、久しぶりに自分でコーヒーを入れた。
光一さん専用だったチョコレートシロップを少し入れてみる。
ホワッとチョコの甘い香りがコーヒーの中に溶け込んでいく。

光一さんの好きなチョコレートシロップの入ったカフェモカ。
これを、彼が美味しそうに飲む姿を思い出す。
甘いものが大好きな光一さん。
子供のように嬉しそうに、私の焼いたケーキを食べていた。

可愛いねって…私を優しく抱きしめてくれた彼の温もり。

鈴の音のように涼やかな声だねって私の声にうっとり目を閉じた彼。

私の心にはこんなにも彼への熱い思いが残っている。

「……」

気が付くと、マグを持っていた私の両手に大粒の涙がこぼれていた。
湯気が目の中に入ってしみているのかな…それとも…本当にこれは私の心の涙なのかな。
そんな事を思っている間にも、次々に涙が出てくる。

「光一さん…好き。やっぱり…好き…」
私は耐えられなくなって、彼を好きだと口に出してしまった。

苦しくて、苦しくて…吐き出せずにいた気持ちが止まらない。

光一さん……私、やっぱりあなたを愛してる。

あなたを忘れる事なんか出来そうもないわ。


SIDE光一

突然の事だったから、僕は最初鈴音との別れを拒んだ。
でも、鈴音の真意を直接聞き、僕は彼女の決断を否定出来なくなった。

紗枝の僕に対する気持ち…。
それが男女を意識するものだったと、今まで気付かなかった自分の鈍さに呆れた。
兄、鮎川の代わりと思って慕ってくれているものと思っていたし、彼女ほどの容姿なら素敵な恋人を見つけるのも苦労はしないとも思っていた。
でも、言われてみると、彼女から付き合っている男の話というのは聞いた事が無かった。

紗枝が今僕を唯一の生きる支えとしているのを知り、その為に鈴音が身を引いたのが分かった。
鈴音という大切な存在の消えた僕の心には、大きな穴が空いた。
それを埋めるものはもう一生見つかりそうもない。

紗枝がいつごろから僕をそういう対象として見ていたのかは分からない。
ただ、鈴音は心の敏感な女性だ。
紗枝の心を、きっとずっと前から気付いていたに違いない。


紗枝は車椅子の生活になり、病院を退院した後のケア問題などが深刻になってきている。
今後彼女をフォローするには、どうしても彼女を近くで介助する誰かが必要だ。僕が血の繋がった家族なら、一緒に住んでどうにかしてやれたのに…。

異性として愛しているのは鈴音だけだ。
この気持ちは多分一生変わらない。
彼女が僕を受け入れないと言っている以上、僕は一生この気持ちを抱えて生きるしかない。

                      *

鈴音に会えないのが分かっていながら、僕は毎晩病院の帰りに彼女と待ち合わせしていたコーヒーショップに立ち寄る。
普段の自分なら仕事関係の書類でも眺めていそうなんだが、そこに座っている時だけは仕事をする気にはなれなかった。
僕のつまらない冗談にも笑ってくれた鈴音の優しい笑顔が思い出されて、思わず胸に悲しい気持ちがこみ上げてくる。

男は泣くものじゃ無いと小さい頃から叩かれて育った。
本当は弱虫でいつでも泣いてしまいそうな弱い僕を「男」にしようと、両親も必死だったんだろう。
叩かれた頬は痛かったけれど、叩いた母の顔が泣きそうだったのが余計悲しくて、僕は涙をこらえた。
僕が弱いと母が悲しむ。
強く、優しい男にならないと…。
本来の弱い自分を誤魔化しながら育った結果が、こういう中途半端な今の僕だ。

外に対する強がりとは逆に、どこか甘えられる存在を強く求めていて…。
そんな僕の甘えを受け入れてくれたのが、鈴音だった。
紗枝の前ではいつでも僕は年上の兄という立場を崩せない。
僕が紗枝に対して抱く感情は「兄妹愛」の何ものでもない。

どうすればいいんだ、僕は…。

もっと早く紗枝の気持ちに気付いていれば。
事故に合う前の彼女になら、もう少し違う言葉を言えただろう。
もっと違う道を見せてやれただろう。
そして、僕以外にも男がいるという事を教えてやれたのに……。

立つ事もままならない彼女に、今かけてあげられるべき言葉が見つからない。

僕がつらいのと同じか…それ以上に鈴音が苦しい思いをしているのを考えると、胸が痛い。

優し過ぎるっていうのは、結局誰かを徹底的に傷つけるという事と一緒だ。
僕が紗枝に対して見せている優しさも、本当は彼女を深く傷つけているのと一緒なんだろうか。

結局今夜も12時までコーヒーショップでボーっと過ごしてしまった。
一瞬呼吸が止まるかと思うほど冷たい夜風に当たって、思わず体を縮める。
白い息が、夜の景色に消えていく。

鈴音…苦しめてごめん。
紗枝…君の心に答えてあげられなくてごめん。

たくさんのゴメンを抱え、僕はノロノロした足どりで駅への道を歩いた。

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