ワンルームで甘いくちづけを

3誘惑

3−1

「なんてね……驚いた?」
 殺気を感じるほどの目つきをしていた優耶くんが、私の怯えている様子を見てニコッと笑顔になった。
「え?」
(今見た悪魔みたいな優耶くんはどこに行っちゃったの?)
「菜都乃ちゃんって本当に男に免疫ないんだね」
 近づいていた顔を離して、彼はクスクスと笑う。
(からかわれた!?)
 確かに私は男性に免疫がない。それは図星だったから、何も言い返す事ができなくて、真っ赤になって俯くしかなかった。
「兄貴って……まじ、女にも男にも分け隔てなく冷たいからなぁ」
「分け隔てなく……の、使い方を間違ってる気がするけど」
 そう言った私の顔をチラっと見て、優耶くんはその人懐っこい表情で再び迫ってきた。
「僕が恋愛の手ほどきしてあげようか?」
「え?」
「他の男を好きになれれば……付き合う相手は兄貴じゃなくていいんでしょ?」
 この言葉に、私はまた混乱に落とされる。
 尾行でもしていたんだろうか。私がどういう理由で斗真さんと付き合う事になったのか、優耶くんは知っているみたいだ。
 しかも、恋愛の手ほどきって……彼は女性と恋愛が出来ない人なんじゃなかったの?
 この気持ちを察したのかは分からないけど、優耶くんは遠慮なく私の手を握ってきた。
「ここでバラしちゃうけど。僕が性同一性障害っていうのは嘘」
「えっ……」
 斗真さんですら、優耶くんがゲイだという事は信じて疑ってない様子だったのに。その嘘を何の事はない……という感じでペラッと話してしまう優耶くんの気持ちが分からない。
「兄貴の前ではそういう設定にしてある。普通に女を抱けるなんて知ったら、それこそ僕はお払い箱になっちゃうからね」
「……」
「菜都乃ちゃんはさ、いいじゃん……相手が異性なんだからさ。極上の男を知ればお兄さんの事なんか忘れるよ」
 私が兄を超える男性はいないと胸に刻んでいる事実さえ優耶くんには全て知られている。
 もう、何だかすぐに言葉が出てこない。
「僕は何せ相手が同性な上に兄貴だからね……おまけに相当複雑な怪物だ。一生独身貫くと思ってたあの怪物が”結婚する”なんて言い出したから、僕の耳が壊れたのかと思ったよ」 
 優耶くんも私と似たものを持っているのが分かった。
 この世で愛されたい人はただ一人で……それが、悲しいことに血の繋がった兄弟だった。
 斗真さんにそれを納得させるには、自分がゲイだと言わないと説明がつかなかったようだ。
 でも……。
「極上の男を知れば……なんて、そんな簡単に言わないでよ」
(簡単に祥平兄さんを超える人なんか現れやしないわよ)
(私なりに斗真さんの複雑さは理解しつつ、付き合おうと思ってるんだから)
 こんなふうに私は思っていたんだけど、優耶くんは挑戦的な表情を崩さない。
「君はまず男を知らないといけないね」
「は……?」
「兄貴は君を愛そうなんて微塵も思ってないよ……そんな男でいいわけ?」
 確かに……その事が今の私を悩ませている。
 この悩みが頭に浮かんでいた私に、優耶くんはさらに無茶な事を言ってきた。
「菜都乃ちゃんを極上の女にしてあげるよ」
「え、どういう事?」
「僕の言う通りにすればいいの」
「……」
 これは罠?
 私と斗真さんを引き離そうという優耶くんなりの作戦なの?
「決まり!じゃ、僕は今日から菜都乃ちゃんの部屋で暮らすから」
「は?」
 返事できずに固まっている私の手を引いて、優耶くんは駅の方へ歩き出した。当然私は慌ててその足を止めようとする。
「ちょ、ちょっと待って。何言ってるの?」
「嫌だとは言わせないよ……お兄さんの為に幸せな結婚をしたいんでしょ?」
「え?」
「愛されないで結婚するなんて空しいだけだと思うよ」
 しばらく影を潜めていた悪魔みたいな笑顔を見せ、彼はニヤリと笑った。
「なっ、なんでそんな事を!?」
「どうでもいいじゃん……そんなの。それより、さっ、菜都乃ちゃんちに帰ろうよ」
 無茶苦茶な理由で、優耶くんが私の部屋に転がり込んで来る事になってしまった。
 彼の目的は一つ。
 斗真さんと私を引き離す事。
 でも、優耶くんの本性を斗真さんに告げたら殺されかねない危なさを感じる。

(どうすればいいの……私!?)


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