二度めの恋は大胆に


1. 王子様

 恋に興味がありながら臆病になりすぎている佐奈を心配した妹の瑠奈(るな)が、唐突に『土曜の夜は空いてるか』と、電話してきた。
「特に用事は無いけれど……」
 佐奈が言いよどんでいるうちに、瑠奈は「じゃあ、駅前6時集合。よろしくね!」こんな強引な言葉で通話を切ってしまった。
 瑠奈は佐奈とは違い、かなり社交的で派手な雰囲気を持っている。中身は案外優しくて柔らかいものを持っているのだけれど、男性気質なところもあり……妹なのに姉御といった感じで佐奈に接している。
「まあ、つまらない土曜日を過ごすより刺激的かしら」
 一緒にいるのが妹だという事もあって、佐奈はどこに行くのかという事は追求しなかった。以前同じように誘われた時は映画だった。あとは適当に居酒屋で少し飲んだり会話したり…その程度だ。
 瑠奈とい一緒にいるのは居心地がいい。ちょっとおせっかいが過ぎる事もあるけれど、いつも姉の佐奈を気にかけてくれる。本当は姉の方が世話やきの事が多いのだろうけれど、この姉妹はそうではないようだ。

 約束した土曜日。
 佐奈は遅刻を嫌う性格で、待ち合わせ時刻より十五分も早く駅に到着してしまった。
 こういう時は音楽でも聞いて、ぼーっと人の群れを眺めるのがいい。
 そう思って改札前の塀にもたれかかっていると、目の前を見た事のある男性が通り過ぎた。
「あれ?」
 相手も一度通り過ぎてからもう一度佐奈の方を振り返った。
「結城さんじゃないですか」
 なんと、偶然にも通りかかった相手は恵一だった。スーツではなく、喫茶店で見かけた時と同じようにラフな私服姿だ。やはりこうやって見るとかなり若い。
「こ、こんばんは!」
佐奈は突然の事に慌てて耳からイヤホンを慌てて抜いたものだから、片方のキャップが床にポトリと落ちて駅の床をコロコロと転がった。
 恵一は喫茶店でハンカチを手渡してくれたのと同じ調子で穏やかにそれを拾い上げ、佐奈の手にのせてくれた。
「ありがとう…ございます」
「いえ。それにしても、偶然ですね……待ち合わせですか?」
「はい。妹と約束をしていて」
「そうですか、楽しい土曜日を過ごしてくださいね。では、また」
 あまりのスマートさに、佐奈も警戒心を抱く隙が無いほどだ。
 恵一と入れ違うように、妹の瑠奈も駅に到着した。佐奈がボウッとしているのを見て、不思議そうな顔をしている。
「佐奈ちゃん、どうしたの?」
「え?あ、瑠奈…来てたの。ちょっと知り合いに偶然会ってしまって……ビックリしてたとこ」
 拾ってもらったイヤホンのキャップを元通りに戻しながら佐奈は今起こった出来事を簡単に説明した。
「へぇ、こんな雑踏の中で知り合いにねえ。その人と縁でもあるんじゃないの?」
 意味ありげにニヤニヤしながら、瑠奈がそうからかってくる。
「違うわよ。だいたい、相手は私よりずーっと年下だし……絶対もう彼女とかいると思うし」
 恋愛対象外なら、こんなムキになったりしない。瑠奈は敏感だから、佐奈がその偶然会ったという相手に多少心が揺れている事は察知している。でも、奥手な姉をこれ以上追い詰めてもしょうがないと思い、計画していた通りの場所へ案内する事にした。

 連れていかれたのは、ちょっとカラフルなネオンが眩しいバーだった。
「お酒飲むの?」
「それもあるけど、ここってすごいのよ。王子様が接待してくれて、私達はお姫様になれるの」
「えぇ!?」
 あまりにも突拍子もない事態に、佐奈は入り口前で足を止めた。普通のバーだったらまだ良かったけれど、そんな大げさな芝居をされるのは苦手だ。
 そういえば店の名前は「Princesse」となっている。これはフランス語読みで「プランセス」つまり、「お姫様」という意味だ。
「大丈夫。私、一回来た事あるけど、誰も髪を染めたりしてないし、上品で丁寧な接待をしてくれるのよ」
 瑠奈はノリノリで中に入ろうとしている。
「待って、待って!こういうお店って高いんじゃないの?」
 必死で瑠奈を引きとめつつ、佐奈は帰ろうと足を逆方向に向けた。でも、瑠奈はまだ頑張る。
「普通の飲み屋と変わらないわよ。まあ、王子様を指定すると『指定料金』みたいなのが加算されるみたいだけど」
「……」
 執事喫茶とか。そういうのは聞いた事がある。
 でも、お姫様として夜の舞踏会でも開くかのようなバーが存在するとは……佐奈は知りもしなかった。

 結局、瑠奈の押しに負け…佐奈はそのきらびやかなバーへと入った。
「いらっしゃいませ。今宵のパーティへようこそ」
 入るなりそんな事を言われ、とりあえず二名の姫君がパーティに参加するという名目で店内に案内される。
 内装はそれほど派手じゃなく、青を基調としたシックな雰囲気だ。
 もっとガンガンに音楽が鳴っていて、雑然とした場所なのかと思っていた佐奈は、予想外に静かな空間に入れて少しホッとした。
「ご指名はございますか?」
 席について、飲み物を頼んだ後の質問がこれだった。瑠奈は迷わず「クロード様をお願いします!」と言った。
「かしこまりました。クロードは一番人気ですので、お客様はラッキーですね」
 丁寧に頭を下げ、給仕係り…なのか、バーの店員はその場を去った。

「ちょっと、指名は高くつくって言ったじゃないの」
 佐奈はお金の心配をしている。給料日前なのだ、あまり大金を出す事はできない。
「大丈夫。佐奈ちゃん、絶対気に入ると思うなー」
 瑠奈はどうやら、そのクロードという王子と佐奈を会わせたがっているようだ。
「気に入ったって、お店で仕事している人と客の関係なんだから意味ないでしょ」
「そう言わないで。つかの間の夢でもね、すっごくいい気分になれるのよ」
 ちゃんと彼氏もいる瑠奈だけれど、こうやって小さなよそ見はしているようだ。まあ、浮気とかそういう大げさなものでも無いのかもしれないけれど…佐奈と違って、瑠奈は恋愛体質なのだ。

「こんばんは、マドモアゼル」
 そう言って現れたのは、けばけばしくない程度に王子様風情を出した気品のある男性だった。
「クロード様、またお目にかかれましたね!」
 瑠奈はすっかり顔見知りのようで、嬉しそうにソファの上でキャッキャしている。逆に佐奈は、緊張でちゃんと相手を見れずにいたけれど、相手の方から声をかけてきた。
「おや、そちらの姫君にもお会いした事がありますね」
「え?」
 ビックリして顔を上げると、そこにはさっきまでラフな青年だった恵一がニコやかに立っていた。
「隣に座ってもよろしいでしょうか?」
「あ、はい!」
 会社での時と一緒だ。
 出会っている事はお互い分かっているのに、知り合いだという事を口にしない。
 しかも恵一の場合はこいう仕事をしているのはもちろん会社に内緒なのだろうけれど、特別焦っている様子はない。
「クロード様。私の姉なんですけど、恋愛恐怖症で彼氏ができないんです。恋愛上級者のクロード様が手ほどきしてくださらないかなって思って……連れてきちゃいました」
 瑠奈の言葉に、佐奈は真っ赤になってその場を去ってしまいたくなった。
 初めて会う人で、これっきりならまだよかった。でも、相手はオフの日にも会い、会社でも会い、かなり相手の存在が分かっている人なのだ。そんな人に恋愛恐怖症だなんて知られて……恥もいいところだ。
「瑠奈ちゃん……ひどいわよ。何も相談しないでこんなの」
 泣きそうになっている佐奈を見て、ようやく瑠奈がペースを落とした。
「あ、突然過ぎたかな。ごめんね?でも…佐奈ちゃんにも早く幸せになってもらいたくて」
 それで、こういう場所で擬似恋愛でもしてみればいいとでも思ったのだろうか。現実の恋愛に臆病だから、架空の恋愛で少し慣らしてみては……と。
「私…帰るね」
 恵一に自分の恋愛指数の低さを知られた事がショックで、佐奈は席を立った。でも、次の瞬間、恵一が両手で肩を軽くつかみ、佐奈を再びソファにそっと座らせた。
「何もお気になさらずに……プライバシーは絶対に守るルールですし。僕はあなたをもっと知りたいと思ってます。一緒の夜を少しだけ過ごしてみませんか?」
 とろけるような甘い声でそう言われ、佐奈は体の力が抜けていくのを感じ……結局そのままパーティに参加する姫君として数時間、夢のようなときを過ごしてしまったのだった……。


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