二度めの恋は大胆に


5.二度目の恋

 久しぶりの恋。
 初恋の猛烈な刺激を忘れかけた佐奈にとって、恵一の存在は「二度目の初恋」と言ってもいいものかもしれない。
 姿を見るだけでドキドキする。
 声を聞くだけで居ても立ってもいられない気分になる。
 またランチを誘ってくれないかと昼休みに期待する自分がいる。

 水曜日が佐奈にとって特別な日になって数週間経過した頃、佳奈美が佐奈の変化に気付いた。
「ねえ、今野くんと特別な関係でもあるの?」
 ダイレクトな突っ込みに、佐奈は飲んでいた紅茶を吹きそうになった。
「と、特別?」
「あーその反応。何か怪しいなあ……ていうか、佐奈が彼を気にしているのはバレバレだよ?」
 佳奈美の言葉を聞いて、佐奈は耳まで赤くなった。
 彼女に気付かれているということは、恵一だって当然そういう雰囲気を感じているはずだ。なのに、喫茶店で会う彼はいつでも自然体で……特別甘いムードに誘う事もない。
 佐奈の態度を見ていれば、彼女に彼氏という特別な存在がいない事はバレているのかもしれない。

「私……どうすればいいんだろう」

 恵一を好きな気持ちは日に日に増してゆき、水曜日の彼と日曜日の彼以外にも姿を見たいと思うようになっている。クロード王子を指名しに行きたい気持ちもあったのだけれど、どうしても一人であのバーに入る勇気が出なかった。
 瑠奈からは時々「クロード様とどうなった?」なんて探りが入るのだけれど、特別進展したわけでもないから……「どうともなってないよ」と答えるに留まっている。

「今野くん狙いの子多いからさ、社内では目立たないようにしといた方がいいよ」

 嫌味ではなく、本当に佐奈を心配して佳奈美はそう忠告してくれた。実際、彼が出社した日は佐奈のいる部署にやたら女性の出入りが多くなる。ほとんど無意味な用事で来ているのが分かるから、多分恵一をひと目見たいという目的なんだろう。
 どこでも、誰に対しても平等に接する彼は、皆に好かれる人材。
 人間に一番必要な「謙虚さ」と「愛嬌」がある。そんな恵一を見ていると、彼が自分をどうして好きになったのか……不思議で仕方ないのだった。



 晴れが続いていた天気も、春が近くなるにつれ……冷たい雨が降る日も多くなってきた。
 日曜日は必ず喫茶店に行くようにしていた佐奈だけれど、この日の天気はかなり荒れ模様で……電車で三駅先にあるその場所が少し遠い気がした。
「でも、今野くんに会えるんだし」
 異性に対してこんなふうに積極的になれる佐奈は珍しい事で、どれだけ恵一が彼女の心に侵入しているのかが伺える。もしかしたら彼は天気が悪すぎて来ない可能性もあるのに、佐奈は防寒着を完璧にして出かけた。

 気温が低すぎて、雨はいつの間にかみぞれに変わっていた……
 喫茶店に到着し、ドアを開けると…客は一人もいない。
「お客さん、こんな日によく来てくれましたね」
 マスターは寒さで呼吸も苦しくなっている佐奈を見て、ビックリ顔だ。
「アパートにいると寝てばかりなので…やっぱり休日はここに来たいんです」
 まさか恵一目当てだとは言えないから、こんないい訳をしてみた。マスターだって毎週二人がここで楽しげに会話しているのは見ているのだから理由は分かっているのだろうけれど、「そうですか。じゃあ特別美味しいコーヒーをご馳走しなくてはいけませんね」なんて気の利いた事を言う。

 こんな天気だ。恵一が来てくれない可能性は高い。
 それでも、彼と交わした会話を思い出したりして……喫茶店の空気に触れているのは気分が良かった。
 読書目的だった場所が、楽しいおしゃべりの場所になっていた。
 いつの間にか架空の恋愛小説を読まない日々を過ごしていた事に今更気付く佐奈。

 恋愛はやはり甘い砂糖菓子のように魅力的だ。
 しかも、相手はリアルに存在るす人間なのだ……手の届かない距離にいるわけではない。
 自分の方が七つも年上で、ジェネレーションギャップがありそうなものなのに……恵一と交わす会話の中には、そういう年齢の差が無いように思える。
「結城さんとは色々価値観が一緒みたいで、話していて楽しいです」
 こんな事も言われた。
 単純に異性として好きだというだけなら、こんな地味な付き合いを続けるはずがない。恵一は佐奈と一緒の空間にいるのが心地いいと言う。
 佐奈が出会ってきた男性は自分の話しばかりを押し付けるような人間ばかりで…正直、佐奈の理想とする男性などこの世に存在しないのかもしれないとすら思っていた。

(望んでなかったけれど……やっぱり私は恋に落ちてるんだわ)

 マスターのいれてくれた特別美味しいコーヒーを口にしながら、佐奈はしみじみ自分の心を確認していた。
 すると、カランとドアベルが鳴り……軽く息をはずませた恵一が入ってきた。
 髪は冷たい雨に塗れ、ポタポタと雫が落ちている。
「今野くん!」
 思わず立ち上がって、佐奈は持っていた自分のハンカチで彼の肩に積もったみぞれを払った。
 こんな寒そうな格好では風邪をひいてしまう。
「あ、大丈夫ですよ。結構中に着込んでるんで」
 照れたようにそう言い、恵一は佐奈の手を止めた。
 瞬間、互いの目が合い……佐奈は彼につかまれた手首の感触に心臓を早くした。凍りのように冷たくなった恵一の手が、温まった佐奈の手に触れている。
「……」
 沈黙したのはほんの数秒だった。
 でも、この沈黙の中に二人の気持ちが通じた何かがあった。

 進展を見せそうもなかった二人の関係……悪天候が思いがけずそれを縮めそうだ。

 佐奈は迷った。
 体を温める為にホットココアを飲む恵一を見つめながら、自分も彼に好意があるのだと打ち明けてしまおうか……と。
 毎週こうやって会っている。
 どれだけ天気が悪くても互いにこの日だけは譲れないと言わんばかりの気持ちで喫茶店に通っている。これは、やはりお互い好意を持ち合っている証拠で。佐奈がフリーだと言わないから恵一は遠慮しているのも分かっている。

(自分に嘘をつくのも無理だし、彼を半端に引き止めているのも悪い気がする)

 こんな事を思い、佐奈は思いきって口を開こうとした。すると、それより少し先に恵一が言葉を発した。
「毎週こうやって僕に会ってくれて嬉しいんですけど、彼氏さんは大丈夫なんですか?」
 この言葉は佐奈の本心を探る為だったのだろうか。
 それとも、恵一は本当に佐奈に恋人がいると思っているのだろうか。
「あ……うん。彼氏とは別れたの」
 反射的に佐奈はこう答えていた。
「そうなんですか」
 気遣い屋の恵一も、この言葉にはどう返事をしていいのか迷ったようだ。佐奈がフリーになった事は確実だけれど、失恋した直後となると……デリケートな状態だと感じたに違いない。
「今野くんは何も気にしなくていいの。私、特別落ち込んだりしてないから」
 嘘をついてごめんなさい……。
 佐奈は心の中でそう言っていた。
 最初から恵一を気にかけていたのは事実で、本当なら告白された時…素直にイエスを口にしていればよかったのだ。
 喫茶店での会話がギクシャクしてしまうのが嫌で、佐奈はなるべく笑顔でいるように心がけていたのだけれど……恵一は神妙な顔をしている。失恋した佐奈の心に潜り込むような事はしたくない……そんな硬派な事を考えているようだ。

「結城さんにとっての次の相手が僕なら嬉しいですけど。もし、寂しさを埋める為だけの存在なら……正直悲しいです」

 この言葉に、佐奈は逆に傷ついた。
 互いを思い合っているのは雰囲気で理解している。でも、一度告白を断られたと思っている恵一にとって、佐奈に強引なプッシュをかけるのは彼なりに勇気の要る事のようだ。

「ごめんなさい!」

 佐奈は恵一に向かって、とっさに謝っていた。
 恋に臆病になり過ぎて、彼の好意を断ってしまった事。頑張って「好意」程度に留めるつもりだったのに、思いがけず深く心を許してきている事。
 全てきっちり話したかったのだけれど、うまく言葉にならず……ただ、恵一を好きなのだという気持ちだけを伝える事で精一杯だった。

「その言葉、信じていいですか?」

 ようやく笑みを戻した恵一が、確認するようにそう聞いてきた。
 佐奈はゆっくり頷き、思わずホロリと涙をこぼした。

 恋は苦しみと喜びを蛇行しながら進むやっかいなもの。
 それは十分過ぎるほど理解していた佐奈だったけれど、二度目に訪れた恋は……そんな彼女の凍った心をすっかり溶かすほど暖かいものだった。



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