Smile!

1-1
 秘密

冬が終わって、体もほぐれたなっていう春の陽気漂う日々。
私は同僚の木本沙紀を誘って外でお弁当を食べた。

「うーん。気分いいねえ、風が清々しいっていうか。このままどこかに遊びに行きたいよ」
昼休憩は45分しか無いから、あまりゆっくりしてられないんだけど、実際このまま仕事なんか戻らないで、とんずらしたい気分。
桜も半分散って葉桜になりかけているのを見ると、ああ今年も一番美しい季節が終わってしまったという気分になる。

聡彦を好きになった春。
私は彼に夢中だけど、彼は私を本当に好きでいてくれてるのか分からない。
そんな不思議な付き合いの私達。

桜の咲いた季節も好きだけど、この桜の葉が青々してくるとまたそれはそれで嬉しい。

「菜恵、今日の夜飲まない?明日休みじゃん」
草むらに横たわっていた沙紀が思いついたように私を誘った。
彼女とはプライベートも分かち合う友達だから、当然夜の飲みとかも多い。
でも、今日はどうしても付き合えない訳が私にはあった。

「ごめん、今日はちょっと駄目なんだ」
私が申し訳なさそうにそう言うと、沙紀はムクッと体を起こして目を光らせた。
「うそ、また誘われたの?」
「…」
答えられないってことはYESを意味している。
私は嘘のつけない馬鹿なタイプだ。
片思いの人の命令に逆らえないという、迷える子羊のような人間。

「あのさ、菜恵が舘さんを好きなのは知ってるよ。でもさ、何で菜恵からは連絡とれないのに彼からの一方的な誘いで都合よくつき合わされてるのよ」

この理由を言えないから私もすごくつらい。

開発部にいる舘聡彦(たちあきひこ)を好きな私は、偶然会社内で出会ったりする度にいいように何かを言いつけられる。
この前は会うなり「コーヒー買ってきて。無糖のやつ」とか言われて、購買でコーヒーを買わされた。
今日は問答無用で夜の飲みに付き合えと言われている。
彼は女性職員に相当な人気があり、その通りの、いい見た目をしてる。
もしかしたら決まった彼女がいるのかもしれないけど、私はそんな些細な彼の事情も知らない。

ただ、私は彼に弱みを握られていて、逆らえない。
悲しいけれど日々言いなりの暮らしだ。
沙紀が言ってるように、どう考えても彼の行動はおかしいし、私だって彼を好きじゃなければ強気に出られる。
なのに、私は聡彦との接点があるだけで嬉しい。
あ、名前を呼び捨てしろって言ったのは聡彦の方からで、会社でダイレクトにそう呼ぶ事はしないけど二人で会う時は呼び捨てにする。

「で、舘さんは菜恵を好きなの?どういう理由で一方通行の連絡方法になってるの?」
何度も聞かれたこの質問。
それは私も聞きたい。
「いつまでもそんな関係続けてたら菜恵にまともな彼氏出来ないよ。せっかく24歳っていうちょうどいい年齢なんだしさあー……もっと有意義な異性関係を築いた方が良くない?」
沙紀のいう事が当たっている。
私は聡彦をハッキリと拒絶する必要があるんだろうな。
このまま意味もなく振り回されていても、ただ年を重ねるだけになってしまう。
30歳前には結婚したいなと思ってる私としては、いくら好きな人でも、本当に愛情があるのか分からない人にいつまでも縛られてるのは嫌だ。

弱みって言っても、別にたいしたことでもないから、それを公にされても本当はかまわないんだけど。それでも、私のイメージが若干変わるかと思うと、それを会社で晒されるのもつらい。
どっちにしろ、今夜も私は聡彦の言いなりになるしかないんだ。

「あんたたちが微妙に付き合ってるっぽいっていうのは結構噂になってるよ。でも舘さんって女性に超冷たいじゃん、だから何で菜恵にだけ声かけるのか皆不思議がってるし。私もその理由が知りたい」
お弁当の空を片付けながら沙紀はそう言う。
「あ、私に対しても別に優しくないよ。俺様だし、私に愛情があるとは思えない」
キスはされるけど、あれが愛のある行為なのかと言われると、ちょっと分からない。
でも沙紀にはキスされたなんて言ってない。
これを言ったら聡彦の最低男が決定してしまうから、とても言えない。

「じゃあ彼の何が好きなの」
沙紀はまだ突っ込んでくる。
そうだね、あんな男を好きなのも私はおかしいと思ってる。
見た目がカッコイイっていうのだけじゃなくて、どうにも惹かれる何かがあるんだ、彼には。
それは彼に初めて会った時に感じた「直感」とも言える”何か”だった。

「うーん。説明しづらいけど、スタイルかな。身長が高いとかそういう理由じゃなくて、ライフスタイル。こだわり派なんだよ、彼。マックユーザーで、嫌いな人はビルゲイツだって言ってたし。CDとかも自分の気に入ったアーティスト以外聞かないし。まあ、そういう一つにターゲット絞って好きなものを追求する姿が好き・・・かな。でもそういうのが無くても好きだな、とにかく丸ごと好き」

私は雑多なものをどんどん取り入れるのが好みで。
だから心が移りやすい。
流行に乗りやすくて、無駄だって分かってるのに流行の服をつい買ってしまう。
それで次の年にはデザインが遅れていて着られなくなる。
将来はバーゲンに群がるおばちゃんになってる気がするな…。

「そんな頑固おやじみたいな頭で、よく開発にいられるよね」
沙紀と私は会社の展示館みたいなところで働く受付嬢だから、会社内部の事はあまり詳しく知らない。
「ああ、仕事は全く別の次元みたいだよ。ノーミスの舘って言われてるぐらいだから。仕事は相当本気でやってるみたい。そういうところもカッコイイなって思っちゃうんだけどね。部署にいる彼はわりと優しいらしいよ。開発の女の子には絶大な人気を誇ってるから」
「ええー…開発の子には優しいんだ。ずるいね」
沙紀もなんだかんだで聡彦には興味があるみたいで、なかなか話を止めようとしない。
私はもう彼の事は多く語りたくないんだけど。

「とにかく、今夜は無理だから。ごめん。来週末にでもまた愚痴大会開こうよ」
そう言って私は無理やり話を打ち切った。
沙紀も来週の事を約束したせいか、納得した顔で仕事に戻る体勢に入ってくれた。

着ている制服に芝生がくっついてしまって、それを払い落とす。

制服。
これが着たくて私はこの仕事に就いた。
で、聡彦に握られてる秘密もここに深く関わってたりする。


                       *

「今日は普通の服じゃん」
指定された洋風居酒屋に入るなり、聡彦がワイン片手にニヤッとした。
会社では絶対見せないこの悪魔な顔。
今日も私をどう料理しようか計画を練ってきたに違いない。

「いつも普通の服だよ!あの日はたまたま趣味の日だったから」
私は飲んでもいないのに、赤くなって言い返しながら聡彦の隣に座る。
「趣味ねえ。いい趣味だよね、24歳の女性が金髪のカツラかぶってコスプレしてるなんて」
「言わないで!!」
私は思わず彼の肩をバシッと叩いてしまった。

そう、彼が握っている私の弱みというのはズバリ私が「オタク」だという事だ。
アニメが何より好きで、ファンになったアニメのキャラクターになりきってしまうコスプレっていうのを時々仲間で集まってやったりする。
これは本当に親にも内緒にしている事だから、当然会社でも知られたくない。
受付嬢として、一応上品で綺麗だっていう事を売りにしているんだから。

なのに、私はコミケの帰りに偶然聡彦に出くわしてしまった。
着替える場所まで移動する間の短い距離だったけど、公の道路を歩いた。
その時本当に偶然彼が通りかかった。
最初誰だか分からなかったみたいで、珍しいものを見るような目で私達をジロジロ見てたんだけど、そのうち私と目が合った。
少し怪訝な顔で、2・3秒私を凝視していた。
(まずい!)
そう思って足早にその場を立ち去った。
相当お化粧して変装ていたつもりだし、まさかバレてるとは思わなかった。

なのに、週明けにいつも通り受付に座っていたら、いきなり彼が館内に入ってきた。
「おはよう」
「おはようございます」
ありきたりな挨拶の後、彼はメモ書きみたいな紙を私に手渡して悪魔っぽい笑みを残して出て行った。
(何?なんなの?)

聡彦の事を私はこの段階ですでに好きだったから、即座に彼の事は判別できたんだけど、まさか直接声をかけられると思わなかったからびっくりした。
沙紀がちょうど席を外してる時で助かった。
渡された紙を開いてみると
“いい趣味してるね。今夜8時に指定の居酒屋に来て。”
という脅迫文だった。

やばい。
私がアニメオタクだという事が彼にはバレてしまっていた。
受付なんかやってるから、私は社員のほとんど全員に顔は覚えられている。
すれ違った時に私だという事が彼は分かったみたいで、その日から私は聡彦の言うがままになった。

で、この日も私はいつもの居酒屋に呼び出されてしまったというわけ。
改めて考えても、この関係はおかしい。
彼は私への連絡は自由にしてくるくせに、私は彼に連絡してはいけない。
そういうルールだ。
で、彼の注文した事を私は忠実に実行しなければいけない。
その注文は本当にささいな事だし、苦痛になるような事は無いんだけど、何しろ「命令」だから時々自分はいったい何なのかと思ってしまう。

「で、今日は何人の男と話した?」
これは彼の最初に聞く質問だ。
受付してるんだから、相当人数と私は会話するわけなんだけど、異性と何回言葉を交わしたのか忠実に答えなければいけない。
その為に私は自分用に数をカウントするアイテムも持つようになった。

「今日は30人かな」
そう言うと、聡彦は冷たい表情のままワインを黙って飲んだ。
この沈黙が怖い。
何で自分で質問しておいて、私が答えると怒ったみたいになるのか分からない。

「じゃあ、今日は30回だな」
「え、今日も?」
「何…やなの?」
こう言われると、どう答えていいか分からない。

嫌ではない。
ていうか、相当快感を伴う。
だから、30回もあの…彼のキスを受けられると思うと背筋に変な鳥肌が立つ。

そう、彼は私と会う日に話した異性の数だけキスをするというルールも作っている。
ただ、その合い間に愛がささやかれることも無いし、キスが終わるとそっけなく突き放されてバイバイになる。
最低だ。
この男は多分最低な人だ。

分かってるのに…好きだ。
どうしようもない。


Smaile1-1 END

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