Smile!
1-2
 ツンツン男

私の葛藤なんかお構いなしで、聡彦はいつも通り淡々と食事とワインを堪能しながら、ポツポツと自分の趣味の話を真面目に語っていた。
私は素直に自分の知らないジャンルの話を聞くのが面白いから、それを隣で黙って聞く。
私達の間には、恋人の間に流れるはずの甘い空気は無い。
聡彦の顔だけ見てると楽しそうとは思えないんだけど、彼は私を相手に話すのは嫌いじゃないみたいだ。

沙紀が聞いたみたいに、私も「私はあなたの何なの?」と聞きたい。
でも、私から彼に質問していいのは会う毎に1回と決められている。
質問権が1回しかないから、ようく吟味しなければいけない。

1時間ほど飲食して、私はやっぱり今日の質問は聡彦にとって私が何なのかを聞こうと思った。
その答え次第で、この関係を終わらせる事も考えていた。
本当に彼が私に微塵も愛情が無いなら、私がオタクなのを会社の掲示板に張り出せばいいと思った。

だって、つらすぎる。
私はこんなに聡彦を好きなのに、彼がゲーム感覚で私をおもちゃみたいにしてるんだったら、許せない。
3ヶ月ほど耐えてきたけど、そろそろ限界だ。
彼の低音の声で聞く趣味の話しは嫌いじゃないし、出来るならずっと彼の傍にいたい。
だけど、好きな人からは純粋に好かれたいと思うし、もっと深く相手を愛したいと私は思っている。
例え聡彦みたいに変わった方法だとしても、これが彼の愛情なら受け止めたい。

私はそういう恋愛がしたい。

そう思って、居酒屋を出て約束のキスをしようと聡彦が路地の暗がりで私に顔を近づけてきた時に、思い切って「やめて!」と声を出した。
「…何、急に」
不思議そうな声で彼の動きが止まった。

聡彦は私の心なんか見てない。
どういう気持ちで彼のキスを今まで受けてきたかなんて全く分かってない。

「私は聡彦の何?玩具?もう限界…あなたが私に愛情を感じてないなら、今日限り縁を切るわ」
言いたくても言えなかった心。
思い切って口にしてみたら、何だか心がスキッとした。

「……」
聡彦は黙って私を見下ろしている。
180センチある彼の身長から見れば私なんかつむじまで見えてしまうんじゃないかというほどの差がある。
「関係無いね…」
そうつぶやいて、聡彦は強引に大きな手で私の後頭部を抱えてキスをしてきた。
「ん!や!」
何度も背中を叩いてやったのに、彼は全く行動を止める気配がなくて、約束通り多分30回キスしたんだと思う。
私は泣いていたんだけど、その涙ごと彼は自分の口に入れてかまわずキスを繰り返した。

キスが全て終わって、涙でボロボロになった私を見て、聡彦はくしゃくしゃになった髪だけ整えてくれた。
「嫌なら応じなきゃいい。ただそれだけだろ…」
そう言い残して、聡彦は私の前から姿を消した。
一方通行なのは一緒だった。
あの雰囲気からいって、彼は私のコスプレ趣味をあざ笑って会社に言いふらしたい訳じゃないのは何となく伝わってきた。
私が彼の連絡を無視すれば自然消滅するのかもしれない。

それでいいのかな。
自分に質問してみる。
このまま無茶な主従関係を続けるのか、彼を無視して新しい恋を探すのがいいのか。

それでも、唇に残る情熱的な彼のキスの余韻が私の心をどうしても、ときめかせていた。


                           *

「菜恵ちゃん、無駄な時間過ごしてるね。馬鹿らしい…」
コミケ仲間の健太がほつれた布を丁寧に繕いながら、そう言った。
私達は仲間の部屋を順番に回って、コスプレ用の服を縫ったりオタク話をしたりして盛り上がる。
皆それぞれ仕事をちゃんと持っていて、外では全くオタクの気配すら感じさせないタイプばかり。
今言葉を発した健太だって、普通の爽やか営業マンだし、特定のアニメの女性キャラに命をかけてるなんて、言われても信じられない人が多いに違いない。
今日は他のメンバーが集まらなくて、たまたま健太の部屋に私一人がよせてもらっていた。

「馬鹿らしいかなあ。健太は言えるの?自分の彼女にアニメオタクですって」
「言えるよ。その部分を認めてくれない人は選ばない」
彼の意見は非常にシャープですっきりしている。

そりゃね、確かに私が好きなジャンルを否定する人なら好きにならなくていいわけだよね。
第一、聡彦は別に私の趣味を嫌っているふうでも無い。
単に私を束縛する脅しの材料として、それを握ってるわけで。

「じゃあ私がコンタクトとるの止めれば、彼とも本当に終わっちゃうのか」
独り言みたいにつぶやいて、私は自分のネイルアートを仕上げるのに必死になっていた。
インドアでこうやって自分のやりたい事をただ仲間とやってるだけで、私は幸せだ。
会社での私はある意味コスプレした状態だ。
受付嬢っていうコスプレ。
だから、本当の私はアニメ大好きなオタク女性ってわけ。

「後藤さんって家でケーキとかクッキーとか焼いてそうな感じですよね!」
「後藤ちゃん、付き合ってる男振り回してるんじゃない?」
「君って読書とか映画鑑賞が趣味っていうのが合ってるよね」

私を評価してくれる会社の人の言葉はこんな感じだ。
きっと女性らしくて家庭的な印象なんだろう。
ところがどっこい、私は掃除が苦手で部屋はいつでもごちゃごちゃしている。
100円ショップとか300円均一とかでついつい買い物しちゃうから、どうでもいい小物が増える。
捨てられない性分のせいで、どんどん物ばっかり溜まって、手がつけられない。
まるで私の心の中を表現してるようなあのアパート。
だから、コミケ仲間も私の部屋にはあまり来たいと言わない。
作業するスペースが狭すぎて居心地が悪いらしい。

「菜恵ちゃんさあー。言ってる事めちゃくちゃだよ。脅迫されて付き合ってる男が好きだっていうのも訳分からないし、その男が自分から去るのが悲しいとか言ってるのもおかしい」
健太はしごくもっともな事を言った。
そうだ、おかしいのは聡彦だけじゃない。私もだ。
奴隷になることに甘んじていて、鎖を外してもいいよって言ってもらってるのにその鎖を自分からは解こうとしない。
「結局菜恵ちゃんはその男に愛されたいんでしょ?心から愛してくれてるっていう証拠が欲しくて悩んでるんでしょ」

「愛して欲しい。うん、そうだね。玩具みたいに扱われるんじゃなくて、愛されたい…そういう感じ」

「なら愛してるって言ってみたら。そういうツンデレにはダイレクトに迫ってみるといいよ。下手に駆け引きしようとすると足すくわれるから。歪んだ人間にはストレートに攻撃。これがいい」
人間観察を日々重ねているせいで、健太に物事を相談するとすごく単純に答えが返ってくる。
そういう健太が誰かを好きだとかいうのは聞いた事が無いから、アニメの女の子で満足してるのかもしれない。
「私から言うの?言われたかったのになー」
「無理じゃん。今聞いた感じでも、まあ例えそいつが菜恵ちゃんを死ぬほど好きだったとしても追いかけてきたりしないね。強情張って、最後までカッコつけるタイプだ」
見てもいないのに、よく聡彦の事が分かるなあと感心する。
確かにあの人には駆け引きは通用しない。
嫌いなら去れば…って言われた訳だし。

それに、あの人女性には全く不自由してないみたいだから、私が一人消えたところで全く痛くもかゆくもないのかもしれない。
そう考えると、やっぱり私から彼を「愛してる」なんて言うのは自分のプライドが許さない感じがする。
今まで散々好き放題されてきて、挙句に振られたとかなったら立ち直れない。

「あー、ハヤト様みたいな男性いないかなあ」
私は自分の大好きなアニメキャラを思い浮かべて、仕上がった爪をじーっと眺めた。
ハヤトは宇宙戦闘ものに出てくるアニメのヒーローで、他人に優しく自分に厳しい好男子だ。
地球の為に自己犠牲的に戦う彼の姿は本当に胸を打たれる。
彼以外には操縦出来ないロボットを操って、命を削りながら戦うハヤト。

そのハヤトの姿と、毒を吐かずに黙っている時の聡彦が時々ダブる。
あり得ないほど性格は違うのに、何故か寡黙に自分を律してるような姿を時々見せるから、そういうところに私は惹かれてしまう。
最低なのに。
あんなに最低なのに…私は結局聡彦が好きなんだ。

それを再認識して、ガクッと首を曲げた。
でも、いくら好きでもああいう関係はもう終わりにしたい。
だから悲しいけれど私はこれから聡彦からの連絡は無視する事にした。
週1か2週に1回携帯に入る聡彦からのメール。

“水曜の8時に俺のアパートに来て”
こういうメールが入ったのは最後に会ってから2週経った頃だった。
彼のアパートに誘われたのはこれが2回目で、1回目は別に特別変な事もされないで普通に帰してもらえた。
でも、何だか今回はヤバイ感じがした。

返信するのはルール違反だったけど、もうそんなルールになんか従ってられるか!と思って、私は初めて聡彦のメールに返信した。

“行きません”

これだけ。
とうとう歯向かった。あの悪魔男に、初めて逆らった。

ああ、これで彼との関係も終わりだなと思った。

あのプライドの塊で、ツンツンの男に私の反撃なんかどうってことないに違いない。
ちなみに健太は彼を「ツンデレ」と呼んでたけど、私は「ツンツン」だと思っている。
デレっていう部分が感じられない。
だからあいつはツンツンだ。

悪魔的な笑み以外、彼が本気で優しい顔で微笑んだ姿なんか見た事も無くて、企画部での優しい聡彦っていうのも想像すると不気味な気がした。
「大丈夫?持ってあげようか」
とか言って、女性社員が重そうに何か運んでいるのを手伝ったりしてるんだろうか。
うわ!あり得ない!!
私に対する彼のパターンだと、面白そうに私がそれを持つ姿を眺めていて、最後まで運び終わったあたりで頭を軽くなでて「よくできました」とか馬鹿にしたようなセリフを吐きそうだ。

絶対そうなのよ。
あの人は私をおもちゃか何かと勘違いしてる。

Smaile1-2 END

*** INDEX *** NEXT ***
inserted by FC2 system