Smile! 新生活編


10−1  おかえりなさいツン男

SIDE 菜恵

今日から産休明けで出勤再開だ。
5月3日に生まれた私と聡彦の子供は「和彦」という名前の男の子。
ちょうど1歳になる。
聡彦に似た、ちょっとクールな顔つきの子だ。

「ねえカズくん。あんたもツンになっちゃうのかなあ?」
保育園に預けに行く途中、そんな声をかけてみる。
和彦は何も分からない様子で、ただ景色が動く事に興奮しているみたいだ。

私は仕事には復帰するけれど、やはり夫と同じ職場は良くないという事で、都内にある別の支店に勤める事になった。
如月さんが上司にかけあってくれたようで、広報営業をそのまま続けられるようだ。
「俺に出来る事なんて、もうこれぐらいしか残ってないからな」
電話口で、彼はそう言って笑った。
本当に…どこまでもいい人だ。
きっと素敵なパートナーに巡り会えるに違いない。

一方、聡彦はというと。

「菜恵、化粧しすぎじゃないのか?」
とか唐突に朝言い出した。
「普通だよ。これでもアイシャドウとか抜いてるし…地味メイクなんだけど」
「良く分からないけど。とにかくもっと抑えた方がいい」
それだけ言い残して、さっさと仕事に出かけてしまった。
何だろう、あれ。
私が目の届かない支店に行く事とか、その支店先には男性が多いとか、そういう事で不満を持っているのだろうか。
結婚して子供もいるっていうのに、彼のツンぶりは相変わらずで。
ダイレクトじゃないけど、そりゃあもう…束縛の鬼なのだ。

「記憶が少し戻らない部分もあるのに、あのツンが復活してれば聡彦に間違いないって分かるよね」
誰に語るっていうんでもなく、独り言を言ってしまう。

和彦を保育園に預け、以前より少しだけ遠い支店を目指す。
私の家庭事情を分かってくれていて、職場では一応準社員扱いで4時までの勤務だ。
実際は残業が出てくる事もあるんだろうけれど…和彦を放置するわけにもいかないから、遅くても6時には戻りたい。

                              *

新しい職場の人数は極端に少なくて、確かに男性の密度が濃かった。
「後藤菜恵です。よろしくお願いします」
結婚して本名は「舘」に変わっていたけれど、あえて職場では旧姓を使う事にした。
産休前までのお客様を混乱させない意味もある。
聡彦の妻だというのは当然支店でも全員知れており、あの人とどうやって一緒に暮らしてるの?なんて興味あり気な事を言ってくる人もいた。

「社員だった時より、多分内勤で書類作業を多くやってもらう事になると思うので。如月と組んでた時は結構成績良かったみたいだから、本当は外に出したいんだけどね。何せ4時あがりじゃあ、ちょっと外は任せられないんだ」
課長からはそう言われた。
仕事内容は少し変わってしまうけど、思ったより色々配慮してくれていて安心した。

「庶務兼総務の佐藤です。分からない事があったら何でも聞いてください」
私よりずいぶん年上の佐藤里子さんという人が、色々教えてくれるようだった。

新しい職場の雰囲気はとても良く、皆親切だ。

支店の男性社員の数を確認して何を話したのか一日の報告をしろという命令が、今朝聡彦から下っている。
本当はバカバカしいなあと思うんだけど、一応夫婦のイベントとして私は明るく捉えた。
聡彦は私の夫になっても、まるでストーカーのように行動を知りたがる。
「やれやれ…」
ため息一つ。
ああいう子供っぽいところが、好きな時もあるんだけどね。
和彦が逆に少々大人っぽく見える時もあるぐらいだ。
大きい子供が一人…私は二人の男の子を抱えているような気分になる。

「後藤さん。歓迎会今週金曜日やりたいと思うんですけど。調整とれますか?」
如月さんと仲のいいらしい青山さんという男性が、明るく声をかけてきた。
「え、いいですよ。もともと社員なんですし」
「いえいえ。この支店では新人さんでしょ。とにかく皆何か飲むきっかけも欲しがってるんですよ。お願いします…出てもらえませんか?」
こうまで頼まれたら出ないわけにいかない。
和彦はその日だけ聡彦に迎えに行ってもらおう。
「分かりました。調整してみますね」

こんな感じで、私の仕事初日は比較的スムーズに走り出していた。

SIDE 聡彦

菜恵は結婚し、子供もいるから夫婦の仲は結束が固いだろうと思っているみたいだ。
実際俺も菜恵も器用な方では無いから、滅多にお互いの信頼を崩すような事は無いと思っている。
でも、俺はずっと前にも言ったように「異常」な男だ。
菜恵に関わる全ての男が気に食わない。
和彦は特別待遇で菜恵に甘えるのを許すけれど…それ以外の男はアウトだ。

今度菜恵が配属になった支店は男が多い。
しかも年齢が若い。
もう…俺は仕事をしている間以外は、ずっと菜恵の心配をしている。

とうとう職場復帰になる直前、俺はメールマガジンまで登録してしまった。
その名も「美しい恋人、もしくは妻を持つ男の悩み教室」だ。
菜恵は出産してからますます綺麗になり、今の菜恵に初対面したら一目惚れするかもしれない…というぐらいの眩さを持っている。
「ちょっと聡彦は私を過大評価しすぎ!私はごく標準な女だよ」
と、菜恵は言うけど。
いやいや…、受付嬢時代から彼女の事を狙っている男は多かったんだ。
今ぐらい綺麗だと、結婚してて子供がいると前知識があっても、「いいなあ」と思う男が出てくるに違いない。

だから、俺は不安要素を少しでも排除したくて、メルマガを毎週読んで参考にする。

『妻や恋人が念入りに化粧をしていたら、注意!』

こんなタイトルをつけられた日には、菜恵のメイクが気になってしょうがない。
素肌だけでも綺麗なのに、さらに眉や口紅などで装飾されると数段美人度が上がる。
「化粧濃くないか?」
男に目をつけられるから、地味にしろ…とは言えない。
決して濃くないのは分かってるけど、あの状態で支店に行かれると俺の不安が増長するだろ!?

こんな理由で、俺は朝からツンツンしてしまう。

「子供じゃないんだから、小さい事でツンツンしないでよ!」
菜恵はメイク道具をしまいながら、とうとう怒り出した。
「じゃあ職場の男と何話したかちゃんと報告しろよ」
思い付きで言った、俺の無茶な要求。
当然「やだ」と跳ね返されても仕方ないと思うんだけど、菜恵は「えー…めんどくさい」とだけ言って、困った顔をした。
「問答無用。行って来る」

朝の会話は、これで途切れた。
菜恵が心底呆れているのは知っている。俺だって自分に呆れるさ。
結婚したらもう少し男の余裕が出るのかと思ったら、大間違い。
もともと菜恵との付き合いも長く無いし、新婚生活らしい期間も短かった。
だから、多分俺は恋愛感情としてはまだまだMAXに到達していないのだ。

はあ…。
ため息一つ。

あんなに深刻だった記憶障害を越えられたのも、俺の「ツン根性」が成した技だと思っている。
これがいい性格だとはとても思えないし、今後少しずつでも器を広げていかないと、そのうち和彦に菜恵をとられる可能性もある。
でもなあ。
心配だし、見えない場所で菜恵が言い寄られたりしてないか気になるのは止められない。

次のメルマガのタイトルは、
『妻や恋人が男性を含む飲み会に参加した場合の注意!』
になっていた。

そして、その飲み会とやらが早速今週に設定されている事を、俺はまだ知らなかった。

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