Smile! 新生活編2


11−1 ツンの過去 

SIDE菜恵

「あのさ…菜恵」
ある日の夕飯時、聡彦がめずらしく深刻な顔をして私の顔を見ないで話しだした。
「何、どうしたの?」
何だろう…また、メルマガでも読んで変な事を悩んでるんだろうか。

聡彦が私から見たら笑ってしまうようなメルマガを読んでいるのを知ったのはつい最近。
やたら色々な事にうるさいし情報が細かいなあと思っていたら、彼のポケットからそのメルマガをプリントアウトしたものが出てきたのだ。
『夕飯のおかずが手抜きになってきたら愛情が薄れてきた印!!』
なんてタイトルになっていて、その日は買ってきたアジのフライとキャベツの千切りに味噌汁で済ませようとしていた私は、ちょっと驚いた。
手抜きしてるつもりはないけど、時々夕飯を作るのがしんどい時だってあるのだ。
だから、私は聡彦にそのプリントを突き出して読むのをもう止めるようにお願いした。

「いや、何となく面白いから。無料だし…いいだろう?」
多少きまずそうにしながらも、聡彦はまだそのメルマガを読みたいと言った。
「やだよー…だって、それに書いてある事いちいち私に追求されたら疲れるもの」
「結構参考になってるのにな」
登録解除をなかなかしようとしないから、そのメルマガで私を翻弄するのだけは止めて欲しいとだけ言って終わりにした。

で、そのメルマガの件で何か言ってくるのかと思ったけど、違った。

「女の人って、一度交際した事があって別れた男と再会する時ってどういう感じなの?」
「は?」
唐突に訳の分からない質問をされて、私はすぐには答えられなかった。
「内緒にしておくと、またこじれたら嫌だから言うけど。ずっと海外支社に行ってた同期入社の梅木さんが戻ってくるんだよ。ほんの数ヶ月付き合っただけの人なんだけどさ…メールで“再会楽しみにしてます”って入ったから。社交辞令ならいいんだけど。梅木さんは俺が結婚した事も知ってるしね」
「……」

伝説のキャリアウーマン、梅木彩香(うめきさやか)さん。
英語とフランス語が出来るからという理由で、ずっと海外を点々としているという話は聞いた事がある。女性でありながら、すでに同期の男性より上の役職をもらっているらしい。
で、そんな人と聡彦が付き合ってたというのは初耳だ。
私は今更焼きもちを妬く気にはならないんだけど…気にならないと言ったら嘘になる。
「人それぞれじゃないかなあ。私だったら逆にそつなく知らんふりするけどな。特に相手が結婚したと分かっていれば、特別親しくしようとは思わないかな」
私は内心少し面白くない感情があるのを隠してそう言った。
実際、今私に学生時代に付き合った人と会えるチャンスがあっても、それほど会いたいとは思わない。
振ったか振られたかにもよるだろう。

「別れた原因は何だったの?」
私がそう聞いたら、聡彦はちょっと困った顔をした。
「んー。別れたっていうか、自然消滅だったかな。梅木さんは入社して半年で海外に飛ばされたから。お互い連絡も積極的にしなかったし。だから、自然にね…離れたって感じ」
私がさほど妬いてる様子を見せないから、聡彦は普通に過去の事をさらっと話した。

私にしか恋愛感情は無いって言ったくせに。
過去とはいえ、やっぱり聡彦にだって別の女性を好きになる気持ちがあったんじゃない!
だんだん私の心は理不尽な不快感でいっぱいになっていた。

「もう相当昔の話なんでしょ?久しぶりに会える同僚っていう意味で、会うのが楽しみだって書いたんじゃないの?」
私の声が少しトゲトゲしてきている事に、聡彦はまだ気付いていない。
「だよな。まあ、俺も普通に“久しぶり”って感じで会えると思うよ。…菜恵?何だよその顔」
私がムスッとしている事に気付いた聡彦は、やっと私の変化に気付いた。
聡彦が私の過去彼の話なんかしたら、こんなふてくされるだけじゃ済まないのに。
私はこれでも相当手加減してるんだから…。

「知らない!もう寝る、おやすみ」
自分の事には無神経な聡彦に腹が立って、私はさっさとベッドに入った。
後になって変な噂が私の耳に入るより、言ってしまったほうが良いだろうと判断した聡彦の気持ちは理解するけど、万が一梅木さん側に少しは気持ちが残ってたりしたら…って思うとやっぱり面白くない。

いつも私が妬かれてばかりいたから、自分がそういう立場になるとは考えてなかった。

                             *

「梅木さん?ああ、本社に戻ってくるらしいよね。多分こっちにも挨拶に来ると思うわよ」
職場に行くなり、私は彼女の事を聞いた。
佐藤さんは結構昔からいる人だから、梅木さんが入社した頃の事も覚えているみたいだった。
「もう入るなり目立つ人でねー。頭もいいし顔が小さくて背の高い人だったから…男性社員は皆あの人に憧れてたわよ。あ、そういえば…」
私の顔を見て、佐藤さんはその先を言うのを止めた。
多分、聡彦の事だろう。
「私知ってるので、大丈夫ですよ」
そう言うと、佐藤さんは「なんだ、知ってたの」っていう感じで肩の力を抜いて見せた。
「舘さんもねー、あの風格でしょう?二人で歩いてると、どこのモデルさんかしらって感じだったわよ」
「そうなんですかー」
私は平然としたふりをしながら、何故かドクドクと嫌な脈拍が打たれるのを感じていた。
「あ…でも、梅木さんより後藤さんの方が可愛らしいし、私はあなたの方が舘さんとはお似合いだわって思ってますよ」
フォローの為なのか、佐藤さんはそんな言葉を付け足してくれた。
もちろん、今更聡彦が梅木さんとどうこうなるとは思っていないけど、何となく嫌な感じがするのは止められなかった。

                              *

梅木さんが帰国したと聞いた当日、聡彦の帰りが遅かった。
メールには『ちょっと飲んで帰ります。夕飯いらないので寝てていいよ』なんてメッセージが入った。
「朝は普通に帰るって言ってたのに」
ぼそっとつぶやき、私は何となく飲みの相手は梅木さんではないかと勘ぐっていた。
当たらなくていいのに、こういう予感はだいたい大当たりするのだ。
女の勘っていうのはすごいものだ。

聡彦が帰ったのは、12時を少し過ぎた頃だった。
私は眠れなくてモゾモゾベッドで起きてたんだけど、聡彦は足音をたてないようにそうっと部屋に入ってきた。

「おかえり」
暗闇で私がそう言うと、聡彦は驚いて荷物を一つ床に落とした。
「起きてたのか?ビックリした…寝てていいって言ったのに」
「眠れなかったんだよ」
私はそう言って、ムクリと起き上がった。
「なに、和彦が夜泣きでもしたの?」
「誰と飲んだの」
私は聡彦の質問には答えないで、そう聞いた。
「あれ、メールに書かなかったか?」
「書いてなかった」
「ごめん、梅木さんが今日から本社勤務でさ…懐かしいなって話になって、3人で飲んでたんだ」
3人……。
二人きりじゃなかったんだ。
私はそれを聞いて、少しホッとした。
「もう一人って誰?」
「菜恵も見た事あるだろ、会計にいる江古田だよ」
江古田さんって、もう結婚してる女性だ。
お子さんはいなくて、梅木さんと同じようにバリバリと総合職で働いている。
「ふーん。女性二人に囲まれて飲んでたんだ」
ちょっとした意地悪のつもりでそう言って、私はまたベッドにもぐり直した。

「あれ、妬いてんの?」
「妬いてない!」
「菜恵のそういう反応、結構新鮮だな」
酔ってるせいか、聡彦がいつもより陽気な感じだ。
私がふてくされているのを見て、喜んでいる。

私もメルマガ登録しちゃうよ。
『結婚してからも女性から声のかかる夫を持つ妻の悩み相談室』
なんてメルマガないかしら。

こんな事を思いながら、私は何となく怒ったふりをしながらそのまま眠ってしまった。
聡彦が浮気なんかするはずないし、多少面白くはなかったけど、ほとんど不安というものは抱いていなかった。

でも、梅木さんの存在が、今後案外あなどれなくなるというのはまだ予想もしていなかった……。

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