Smile!
2-1
 疑い

聡彦が2日ばかり通ってくれたおかげで、私の体はすっかり元気になった。
自分のケアが出来ないというのは、その通りで。
多分あのままだったら、私は仕事を1週間は休まないといけなかったと思う。

本当に聡彦が優しかったから、私は自分が元気になってしまったのがちょっと残念だなと思うぐらいだった。
もう彼から提示される無茶なルールには従う必要ないみたいだったけど、結局彼は私に「好き」とか「愛してる」という言葉は聞かせてくれなかった。
それでも口で言う程彼は薄情なわけじゃなくて、それなりに私とは恋愛関係にあるつもりで付き合っていたらしい。
不器用なのか器用なのか分からない人だ。

復活した初日、私はちょっと企画部に届けるものがあって、聡彦のいる部署に足を運んだ。
「失礼します」
20人ぐらいいるその部署に、私はこそこそと入って、部長席に書類を置いてすぐに出ようとした。

「菜恵」

後ろから聡彦の声がした。
廊下を早足に歩いていた私の足が止まる。
「……」
何も答えないで聡彦を振り返った。
すると、彼はスタスタと私のいる場所まで歩いてきて、ふっと額に手をあてて熱がすっかり引いたのを確認した。
企画にいる時は常にこういう表情なのかもしれないけど、優しい目でちょっと微笑んで頭を一つポンッと軽く叩いた。
何か言うのかと思ったけど、別に何も言わないで彼はそのまま仕事に戻ってしまい、私は何だか夢でも見ているのかと思ってしまった。

彼なりに相当私の具合は心配だったみたいで、その日は仕事中にも何回かメールが入って、体調が悪かったら速攻連絡をしろと書いてあった。
相変わらず命令口調だったけど、そこに彼の不器用な愛情表現を感じたから私は素直に嬉しくなった。

「菜恵、舘さんちゃんと送ってくれた?いきなり“今日は一緒じゃないの”とか声かけられて驚いたよ」
聡彦が沙紀を呼び止めて、私が何で一緒じゃないのかと聞いてきたから、具合が悪くて寝ている事を素直に教えたらしい。
「うん。何か、別人みたいに優しかった。一応彼は私とは普通に付き合ってるつもりだったみたいだよ」
病気にならないと彼の本心が分からなかったと思うと、インフルエンザに多少感謝をしなきゃいけない。
そうじゃなければ私達は意地を張り合って別れていた可能性が高い。
「そうか、なら良かった。でもさ、彼が社用車で菜恵を送ったのバレバレで、社内でかなり噂になってきてるよ。特に彼が絶大に人気を誇っているという企画の女性達は、菜恵の事よく思ってないみたいだから、気をつけて」
「そうか。でも気をつけようがないんだけど」
私も困って、そんな言葉しか出てこない。
幸い私のいる受付での仕事は他部署とは本当に接触が薄いから、嫌がらせとかもされにくいし、まあせいぜい陰口を叩かれる程度だと思う。

知らなければいい。
聞こえなければ悪口だって言ってもらってかまわない。
私は多少の敵を作っても、聡彦という個性的な男性を失いたくないと思っていた。

                          *

こうして1ヶ月が過ぎた。
結局私のコスプレ趣味は聡彦から暴露されることもなく、今まで私はどうして彼の奴隷になってきたのだろうかと馬鹿らしくなった。
でも、最初から私をあんなに好きでいてくれたかどうかは怪しい。
いじめてるうちに楽しくなったんだろうか。
こういう気持ちすら、未だに彼はきちんと私に打ち明けてはくれない。

“多分聡彦は私を愛してくれているんだろう”

という極めて曖昧な答えしか出ていない。
好きでもない人におかゆまで作ったりしないだろうし、好きじゃなければ、不安を訴えた私が落ち着くまで枕元で一緒に寝てくれたりしないよね。

分からないけど、話した男性の数だけキスをするルールも彼独特の焼きもちなのかなと思うと、妙に納得してしまった。

私、実は想像以上に愛されてるのかな。
そう思うと何だか顔が熱くなって、また熱が上がりそうだ。


「うまくいったんだ。良かったね」
健太がDVDを編集しながらそう言う。

今回はめずらしく私の部屋が集いの場になっている。
最近仲間の集まりが悪くて、健太と二人きりになる事が多い。
でも、今日はめずらしく健太以外に留美という、まだ高校生の女の子も混ざっている。
留美も高校では普通のギャルを演じているらしく、自分のオタク趣味を極端に隠したがっている。
思春期だから、当然彼氏とかも欲しいみたいで、彼氏が出来たらオタク仲間から外れるかもしれないと言っていた。
気持ちは痛いほど分かるから、その時がきたら止めないよって言ってあげている。

それはそうと、私は二人に自分の恋愛の行方を話していた。
ハヤトと同じぐらい聡彦にも愛情を感じてきていたから、私はつい興奮して彼について語ってしまった。

「うん。なんかね、ハヤトがリアルに生きてたらこんな感じかなあっていう人なんだ。ちょっと屈折してるけど、私が思っていたような嫌な奴ではなかった」
話しながらも、私の手はひっきりなしに動いている。

今日は、自作の漫画を作成する為に雲形定規を使って細かい背景なんかを描いていた。
好きなキャラの為なら二次創作もいとわず、仲間うちだけで楽しむ月間雑誌を作っている。
私は今回ハヤトが病気の恋人を介抱するというコテコテな漫画を描いていた。
自分の体験した聡彦へのトキメキを何かに残したくて、こういう事をしている。

つくづくオタクだ。

「でもさ、結局菜恵ちゃんをどう思ってるか…とか言わないんだ」
留美は面白そうに私の恋ばなを聞いてくる。
彼女にも片思いの男子がいるらしく、告白をいつしようかと悩んでいる。
留美は綺麗系の顔をしているから、裏の趣味さえ知られなければきっとだいたいの男の子はOKするに違いない。

「そう。そこは強情なんだよね。何で言ってくれないんだろう」
私がふとペンを止めてその疑問をもう一度考えていたら、健太がまたストーンと明快な言葉を言った。
「別に本気な女でもいるんじゃねーの?菜恵は2番か3番という可能性も否定出来ないな。1回そのへんきっちり返事してもらえよ」
私が相変わらずグズグズしてるから、健太もやや苛立っている。
何で健太が怒る必要があるのか分からなかったけど、私はとりあえず「そうだね」とだけ答えておいた。

私が2番?

そうか、本命がいたら愛の言葉をささやくのはその人の為だけに使うのかもしれない。
でも聡彦はそんなに器用な人には見えないんだけどな。
健太から言われるとそんな気分になってくるから、ついさっきまでのほほんとしてたのに、急に不安になる。
描きかけの漫画も何だか乗らなくなって、私は二人に外食しようよって誘った。
でも留美は門限があるからって言って帰ってしまい、結局この日も健太と二人でダラダラと夜まで過ごした。

健太は見た目が本当に爽やかだから、並んで歩くと「恋人同士に見えてるんかなー」なんて思ったりする。
彼に本命の彼女が出来たら、こうやって一緒にオタク話を語れなくなるのかな。
そうなるとやや寂しいな。
私は聡彦に自分がオタクだって宣言してるから、遠慮なく健太とも会ってるけど。

健太は165センチほどの身長で、それほど高くないんだけど、何せ私が152センチという小ささだから、そこらへんもカバー出来ている。
会話の内容さえ聞かなければ私達は間違いなくカップルだ。

しかし、現実の健太は熱く自分のキャラへの萌えた心を打ち明けており、私はその彼の熱気をもらいながら自分の好きなキャラにも思いをはせたりしている。
あまり大声で話せないから、喫茶店とかでも顔を相当近づけてヒソヒソ話す事も多い。
「マリリンが」とか「メグタンが」とか聞こえてしまったら、あっという間に私達の間に流れる空気がオタクだという事がバレてしまう。
別にそういう事を気にしない人ならいいんだろうけど、私達はオタクさを隠したいグループって事で仲間になっている。

この日も居酒屋で、私達はアルコールを入れながらオタクな話しで盛り上がった。
健太が嬉しそうにマリリンを語る時は情熱のあまり額に汗までかく事がある。
思わず見てるこっちまで恥ずかしくなる。
先日縫い合わせていたマリリンの恋人役の洋服が出来上がったらしく、次のコミケではそのコスプレにどういうメイクが合うかという話しに熱が入った。
私はハヤトの恋人のレイカという金髪美女になるのがいつものパターンだけど、もっと化粧を濃くして聡彦にバレたような失敗は二度としたくないと思っている。

「オフセット印刷も早くしないといけないから、原稿もそろそろ皆から回収しないと」
「だね。私もあと5Pペン入れしないと」

こんな会話の後、二人とも満足して居酒屋前で解散にした。
10時ぐらいだったから、それほど遅くもなく、私は上機嫌でアパートに戻った。
気付かなかったけど、ふと携帯を見たら着信履歴が3件も入っていた。
「うそ、聡彦から?」
今まで休日は1回も一緒に過ごした事がなく、お互いにそこはプライベートってことで割り切っていた。
なのに、彼から唐突に土曜の夜に着信があり、さらにメールが1件添えられていた。

“すぐ会いたい”

短いうえに、何だかちょっと怖い雰囲気だ。
どうしたんだろう。
私は恐る恐る彼の携帯にリダイヤルした。


Smaile2-1 END

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