Smile!

3−1.ルール改定

私が聡彦を好きになった理由は、実は本人にも告げていない。

入社してすぐの頃。
食堂に行くには垣根を越えた向こう側に行かなくてはいけなくて、社員証を持っていないとそっちのエリアに入る事が出来ない事になっていた。
でも、この日の私は制服もまだ届いてなくて、普通のスーツ姿だった。
コスチュームを着ていれば通してもらえたのかもしれないけど、社員証を忘れてしまった私は、食堂までの道で足止めをくらっていた。
「社員の証明が無いと通せないんですよ」
警備員の人はシビアだった。
私がいくら資料館の受付だと言っても駄目。
諦めて、資料館にはインスタントラーメンの自動販売機があるから、それでいいやと思って引き返そうとした。
その時、背後で男性の太い声が聞こえた。
「企画の舘ですけど。この人、ちゃんとした社員ですから大丈夫ですよ」
「あ、舘さん。そうなんですか、いや…見かけない人だったんで」
警備員さんの態度がコロッと変わった。
聡彦の迫力に押されたみたいに愛想笑いをして私達を通してくれた。

「ありがとうございます」
「新人?帰りも社員証見せろとか言われたらこれ見せとけよ。もう去年のIDだから使えないけど、チラッと見せるぶんには疑われないだろうから」
私の顔も見ないで、聡彦は私に自分の古い社員証を渡してくれた。
笑顔も見せず、こっちが感謝しようとしても全くとりつくしまが無いという感じで去ってしまった。

あの瞬間だ。
たったあれだけの事で私は彼に心を奪われた。
見た目にもかなり整った人だったけど、私は彼の不器用そうな優しさが嬉しかった。
きっとどんなに口が悪くても、行動はそれに反して優しいんじゃないか…そんな印象だった。

だから、私はあの日もらった古い彼の社員証を大事にパスケースに入れて持っている。
お守りみたいに。

桜が葉桜になって、青々した香りが私を包んでゆくに従って、私は毎日お昼休みになると、食堂やその近辺に彼が歩いてないか探すようになった。
それで、聡彦が私を認識してなくても、彼の姿を見つけるだけでドキドキしていた。
チャンスさえあったら私から声をかけたかったんだけど、いつでも冷たい表情をしていて、なかなか近づくことが出来なかった。

そんな時、変なかたちで聡彦は私に近づいてきた。
告白なのか脅迫なのか分からない彼の言葉や態度には相当と惑わされたけど、私は愛されてる実感が無いまま、聡彦の傍にいたくて付き合ってた。
本当に「ただ傍にいたい」という素朴な気持ちだった。

つらい日もあったけど、今、聡彦が本気で私を愛してくれているのが分かって、やっと安心して彼の腕の中に抱かれる事が出来ている。
ただ、彼の焼きもちは相当ひどいっていうのが分かったから、なるべく異性との接触は控えようって感じなんだけど、受付という仕事をしてる以上、たくさんの人と会話してしまうのはどうしようもない。
まあ、それが分かっているから聡彦も不器用な方法でその焼きもちを払拭しようとしたんだろうね。
「話した男の数だけキスするから」
こんな事を言われた時は、本当に“この人頭は大丈夫なんだろうか”と思ったぐらいだ。
なのにそれを律儀に守ってしまった私。

聡彦は逆にこんなバカ正直な私に呆れていたみたいだけど…。

色々あったけど、今私を強く抱きしめてくれているのは、本当にあなたなんだね。
夢かなって思うぐらい近い距離であなたの静かな寝息が聞こえる。

うっとりするよ。
聡彦の声。
聡彦の手。
聡彦の香り。
全部好き。全部大好き。


私は聡彦と初めて一緒に夜を過ごした。
何故か寝付けなくて、彼を好きになった頃から今までの事を思い出していた。

リアルな聡彦があまりにも強烈だったから、私は聡彦の何を好きになったのか忘れるところだった。
付き合うようになっても、彼はあまり自分の核心を語ろうとはしなかった。
本当の部分は常にミステリアス。
でも、好きな事とか好きな曲とか…一つ一つに自分のこだわりを主張しながら私に語ってくれた。
なかなか笑顔にならない聡彦の顔が、趣味の話しになるとちょっとほころんだ。
私がオタクだっていうのも実は彼はそれなりに評価してくれていて、「何でもいいから、一つでも好きな事があるなら、大事にしたほうがいいよ」って言ってくれたのも思い出したよ。

私は訳もなく聡彦を好きになったんじゃない。
外見がいいだけなら、それこそ八木さんを好きになると思う。
あの人は外見だけじゃなくて性格も優しいし、いつでも柔和な微笑みをたたえているから。

でも私は聡彦が好きだ。

暴言吐いたかと思うと、それを後悔してどしゃぶりの中立ってるようなお馬鹿な一面まで見せられて、私の心は固定されてしまった。
3番目だなんて大嘘ついて。
本当は私が一番だなんて、何で今更言ってくるかな。
最初から素直に言って欲しかったよ。
「菜恵、愛してるよ。好きだよ」って。
絶対言わないんだよね…本当に強情な人だわ。


次の日の朝になって、私は結局寝不足のまま、まだ寝ている聡彦からそっと離れて朝食の支度をした。
いつもは適当に食パンだけ食べるんだけど、一応ベーコンエッグを作った。
卵の焼ける匂いに気がついて、聡彦が目を覚ました。
自分が一瞬どこにいるのか分からないみたいにきょとんとしていて、次にすぐ昨日の事を思い出したみたいで、起き上がって私を見た。
朝日を背に彼の体が眩しく光っていた。

「おはよう。シャツ乾いてたよ」
そう言って、私は彼に下着とTシャツだけ渡した。

「スーツもほとんど乾いてるし、ワイシャツはあとでアイロンかけるね」
「…菜恵」
起きぬけの聡彦っていうのは初めて見たけど、何だかすごく新鮮だった。
私が手にしていたシャツを受け取って、じっと見ている。
まだ頭がはっきりしてないのか、いつものシャープな目じゃなくて、ちょっとトロンとした眼差しで、そのままキスをされた。

「ん…」
一回で終わると思ったキスだったのに、彼はさらに深いキスを重ねて3・4回繰り返した。
朝から脱力してしまうような強烈な刺激のキス。

でもこれはバツゲームじゃなくて、本当の愛からしてくれてるキスなんだよね。
だから私は嬉しくてそのまま黙ってキスを受けた。
インフルエンザで倒れた時だって、こんな感じに優しかった。
本当の彼はこんなふうに優しいんだよ。普段は何か別の仮面かぶっちゃってるだけなんだ。

それを私は“直感”で分かっていた。だから好きになった。

「菜恵を失う夢見た。…超怖かった」
そんな事を言って、聡彦はめずらしく照れたような笑顔を見せた。
「そうなの?私は何で聡彦を好きなのか再確認してたよ」
彼の体をしっかり抱きしめて、私はシャツだけ着た彼の胸元に頬を寄せた。

何だかしみじみと、“私は聡彦と付き合ってるんだな”っていうのを感じた。
トゲトゲした警戒心も無く、悪魔的な空気も無く。
いつでもこんなだといいのに…。

「すごい腹減った…」
朝食の匂いに我慢できなくなったみたいで、聡彦がそんな素直な言葉を漏らした。
「全然料理出来ないんだけど、簡単なパン食でいい?」
「ん、何でもいい」

本当に自然な雰囲気で私達は一緒に朝食をとった。
それで、聡彦が食器を洗ってくれている間に私は着替えとお化粧をして、さらに聡彦のワイシャツにアイロンをかけた。
スーツも少しだけよれっとなっていたから、簡単にあて布をしてプレスしてあげた。

何だか新婚夫婦みたいだなあ。

そう意識したら、ちょっと照れてしまう。
「ねえ、ルール変えようよ」
私はワイシャツを彼に着せてあげながら、そう提案した。
「ん?」
「だから。今までの聡彦の意地悪なルールを全部変えよう。一人3つずつルールを提案出来るって事にして、平等に付き合いたい」
すっかり強気になった私は、遠慮なく彼に注文をつけた。
聡彦も、ちょっと考える仕草をしながら「それでもいいけど」なんてつぶやいた。

私からの提案。
1、 週末は1日ぐらい一緒に過ごす事
2、 会った日に一度は甘い言葉をささやく事
3、 命令しない事

「何だよ、これじゃあ俺が不利な条件ばっかりじゃん」
聡彦がいきなり不満を口にした。
「今まで私が相当不利だったんだから。これぐらい当然でしょ」
強気の私を前に、今度は聡彦がルールを提案してきた。

1、 今まで通り話した男の数を報告する事(カウントしない場合は50とみなす)
2、 仕事の事を抜きにした男性社員との会話を禁止する。1回したらキス5回と引き換え
3、 オフの時、仲間でも男とはマンツーマンで会わない事

「これは厳しいよ。特に2番は相当私の事信用してないって感じ」
「俺は自分以外の人間は誰も信じない事にしてる」
「何、私ってそんなに人気あると思ってるの?」
私は意地悪で聞いてみたんだけど、予想外に聡彦は顔を赤くしてそれ以上何も言ってくれなかった。
本気で私が別の男性に奪われるとか、そういう心配をしてるみたいだ。

焼きもちも角度を変えて見ると、結構可愛いね…なんて思ったりした。


Smaile3-1 END

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