Smile!


6−3 ツンに浮いた噂

聡彦から如月さんとの仕事ぶりをそれとなく聞かれ、返事に困る。
「別に何もないよ。あの人仕事中はあんまり話さないし。失敗しないか注意するだけで精一杯だから…それだけだよ」
営業の仕事に慣れるのに必死で、あまり如月さんがどうだとか考えていない。
ただ、思ったより鬼なわけじゃなくて、それなりに仕事がうまくいくと褒めてくれたりする。
もっと頑張ろうと思わせる人だな…っていうのは何となく感じている。
「外から見てる分には何が起こってるのか、何を話してるのか全く見えないからさ」
聡彦は彼と特別何かあるんじゃないかって気にしている。
でも、ダイレクトには聞いてこなくて、夜にお互い肌を合わせている時に、それとなく伺うっていう感じだ。
「聡彦に美人との噂でも沸いたら、私も質問攻めにするからね」
「そんなん流れようが無いって…」
こんな感じで、専ら私は心配される日々だった。
企画での聡彦は、そりゃあ凛々しく働いていて、私は仕事する彼もやっぱり素敵だなと惚れ直しているところだ。

                         *

いつも通りの営業車の中。
今日の得意先は口説き落とせるか結構難しい場所で、何となく緊張してしまう。
「仕事好きになれそう?」
如月さんが、めずらしく質問をしてきた。
「え…っと。まだ好きかどうか分からないですね。でも、嫌いじゃないかも」
売れた時の喜びは実感してみて、何となく癖になるなあと思っていた。
「そうか、じゃあ素質あるかもな。駄目な奴は今の後藤さんの時点で辞めたいって口にするから」
そんな事を言って、如月さんはちょっと嬉しそうな顔をした。

「如月さんは自分で希望を出して、このお仕事になったんですか?」
どちらかというと外で頭を下げるのとかって、得意じゃ無さそうだったから、ずっと不思議だった。
この質問に、如月さんは少し考える仕草をした。
「…人間が嫌いだったんだ。そういう自分を好きになれなくて…それで、無理に人間を相手にしなきゃいけない仕事をすればいいのかなって思って、この部署を希望した」
意外過ぎるほど真面目にこんな答えを返してくれた。
「そうなんですか。それで…人間嫌いは変化したんですか?」
「そうだな、人間全部を好きだなんて全く言えないけど。大勢の人間がいて、その中でほんのわずかだけど好きになれる人もいるっていうのは分かったな。だから、どれだけ多くの人間と触れ合うかで、好きな人間に会える確率が決まると思ってる」

そうか、それで社内でも社外でもたくさんの人と触れ合おうとしてるのか。
最初から積極的なの人かと思ったけど、実は反対だったというのを知って、私は結構驚いていた。

「後藤さんはさ、仕事続ける気あるの?」
今日は何故か質問モードらしく、こんな質問もされた。
「考えた事ないですね。可能な限りは続けたいですけど」
漠然とした自分の未来を考えてみる。
結婚をしてるのかどうか分からないけれど、私は家の中に引っ込んでもそれなりにオタク主婦として楽しんでいられそうだ。
でも、社会と関わっている為に、仕事は続けていたい気もする。

「どうしてそういう質問されるんですか?」
逆に私はそう聞いてみた。
「結婚したら辞めるとか子供出来たら辞めるとか言うのはもったいないから」
如月さんはこう即答した。

「受付っていうのはどこかで限界があるかもしれないけど、この仕事は終わりないからね。女性にどんどん仕事社会にも進出してほしいし…男が主婦やるのだって本当はOKな気がするよ。得意な方をやればいい」
「そう…ですね」
なかなか今時らしい思考回路の男性だ。

実際、結婚して子供が出来ても仕事を続ける女性っていうのは増えてるけれど、それをフォローする社会体制が弱いのは現実だ。
もっと男性側で女性を受け入れる体勢を積極的に見せてくれれば、安心して仕事を続けようって思えるんじゃないかな…なんて思ったりした。

「後藤さんとの呼吸は決して悪くないと思ってる。続けてくれる?」
真顔でそう言われたから、私は“これは冗談ではないだろう”と思って、「はい、頑張ります」と答えた。

ふざけている時は意地悪そうな笑みを浮かべているけれど、真剣な時はまばたきもしないで目を開いているから、観察していれば彼の心がある程度分かるようになってきていた。
「ありがとう」
何故かお礼まで言われてしまい、何となくいつもとはペースが違ってちょっと戸惑う。

結局この日アタックした得意先は、如月さんの詳しい商品の説明と、私のそれに対するフォローという連携プレイで見事に落ちた。

「まさかここが落ちるとは思わなかった」
帰りの車の中で、如月さんはやや興奮していた。
私も初めての大口だったから、安心感で自然に体の力が抜けてきていた。

「後藤さん、やっぱり君は勝利の女神だ。絶対俺のパートナーを続けてもらうから」
こんな冗談めかしたセリフを言って、彼は初めて万面の笑顔を見せた。
何となく、男の人って時々こういう子供みたいに可愛いものを見せるから…心が少し揺れる。

こんな近い距離にいるんだから、如月さんはもっと怖くて嫌な人でいてくれないと。

私はこんな心配をしていた。
如月さんに感じる魅力を、自分の中で一生懸命粉砕していたのはほとんど無意識だった気がする。

                        *

企画に美人が入った。

こんな話題が社内に広がったのは私の新しい仕事も慣れた6月の頭だった。

急な妊娠で辞めた女子社員さんの代わりに新しく採用になって入って来た人らしい。
社員は多くとらない方向で運営している会社なんだけれど、季節外れに新人として入ったその人は相当有能なんだろうというのが予測できた。

「企画」と聞いて、ちょっと嫌な予感がした。
何気なく企画部の前を用事も無いのにウロウロしてみた。
聡彦は私に全く気付かない様子で、その新人さんとやらに熱心に何かを説明していた。

「舘さん、沢村さんの指導担当者になったんですよ」
私がウロウロしているのに気が付いた企画で少しだけ知り合いになった女性にそんな事を耳打ちされた。
「あ、そうなんですか。沢村さんっていう名前なんですね」
「そう。沢村朱里(さわむらあかり)さん、22歳ですって!!新卒よ。超若いですよねー」
「え、新卒なんですか」
パッと見たところ、もうすでに何年か社会経験積んでいるような風格があったから、私は軽くショックなぐらい驚いた。
モデルみたいに身長も高いから、聡彦と並んでいると10センチぐらいしか差が無くて、何となくバランスがいい。

今まで私が聡彦に疑惑を持たれるケースばかりだったのに、今回の沢村さん登場っていうのは、実は結構な強力ライバルになるというのはまだ想像できていなかった。

お互いに仕事上のパートナーは別々の魅力ある異性と組む事になってしまった。
私は如月さんに人間としての魅力を感じているのは否定できない。
それと同じように、聡彦も真面目に仕事に取り組む沢村さんの事は嫌いではないみたいだった。

何となく私には如月さんとの噂が立ち、聡彦には沢村さんとの噂が立った。

                            *

「嫉妬ってきりが無いけど…やっぱり気になるものだね」
私は直接沢村さんの事を口にするのがためらわれて、何となく雰囲気でそういう事を言ってみた。
聡彦は私の言いたい事をすぐに理解して、軽くため息をついた。

「真面目に仕事やってるだけだろ?菜恵だって如月とまんざらでもない感じじゃないか」
この言葉に、私はカチンときた。
「何、その言い方。いつも聡彦はこれよりひどい言い方で私に勝手な疑惑ふっかけてくるじゃない」
「前の事なんて引き出されても知らないね。今俺は如月と菜恵の事だけについて言ったつもりだけど?」
明らかな逆切れだ…。
ずるい。
自分は噂になる女性がいても良くて、私じゃあ駄目だっていうの?

「横暴な聡彦がまた顔を出したね。嫌い…そういうあなた」
私はもうあまり遠慮なくこういう言葉が出るようになっていた。
我慢して振り回されても疲れるだけだし、なるべく早めに膿は出してしまった方がいいだろうと思っていたから。

「俺だって営業になってから、やたら愛想笑いが身についてる菜恵なんか嫌いだ」
「いつ愛想笑いしたのよ!?」
受付にいた時はもっと頑張って笑っていた。
この言い方はあんまりだ、私は日々新しい仕事に慣れようと必死なのに。
「いつも如月の前で俺に見せないような照れ笑い見せてるだろ!?」
「してない!聡彦の方が沢村さんに熱心過ぎるんじゃないの?」

こんな感じで、私達は最悪な喧嘩をしてしまった。
めずらしく布団も別々に敷いて、お互いそっぽを向いたまま寝た。

恋は油断したら足元から崩れる事もある。
確実なものなんか何も無い。

砂の城みたいに、とてももろいものだ…という事を、私は忘れていた。


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