Smile!


6−4 重なり合う愛

雰囲気が悪いまま、私達はお互いのアパートに泊まる事を止めていた。
仕事が忙しくなったのもあるし、やっぱり相手の気持ちが何となく疑わしいという事も原因だった。

もともと聡彦は私に近付く男性全てに敵対心を持つ独占欲の強い人だ。
私はそういう彼の性格も含めて好きなつもりだったけれど、沢村さんの登場で心に余裕が無くなった。

私が如月さんに照れ笑いをしてるとか…そういう特別な好意が伝わる行動をしてるかどうかなんて客観的には分からないけど、彼に好感は持っているのは確かだ。
一緒に仕事をするのだから、悪意があったら続けるのは難しくなってくる。
これが「恋愛感情なのか」と問われても私の中では「違う」と思っていて。
聡彦を思う気持ちの方が何倍も大きいし、彼を失う事の恐怖も当然ある。

なのに、一緒に仕事をしている人に人間として魅力を感じる事を強引に禁止されたり、抑圧するっていうのは私の中では納得できない事だ。
沢村さんに妬いてるのは事実だけど、私の気持ちは可愛い甘えの域だったと思う。
あそこで「妬いてるの?」「菜恵だけだよ」とか…(死んでも言わないだろうけど)私を安心させる事を言ってくれれば良かったのに、逆切れみたいなセリフを言われたから、私も嫌になってしまった。

                     *

「元気無いね」
聡彦と喧嘩してから1週間ほどして、如月さんがそんな事をふいに言った。
私は普通にしているつもりだったから、どうして彼に私の心の様子が分かったのか不思議だった。
「そんな事ないですよ」
聡彦の事なんか口に出来るはずも無く、私はそっけなくそう答えた。
公園のベンチでお弁当を食べていた私達は、木陰で何となくボーっとした時間を過ごしていて、如月さんは私が食べ終わったのを確認してからタバコを吸った。

「舘さんと何かあった?」
噂が彼の耳にも届いていたのか分からないけど、そう聞かれた。
「え、何ですか。それ」
「後藤さん演技下手すぎ。彼氏とうまくいかなくなった女性って心がそぞろになるからね。最近、君の仕事がちょっと切れ悪いって気付いてる?」
いつも通りの仕事をしているつもりで、成績を下げるような事もしたつもりはなかった。
でも、高いレベルを望む如月さんの目には、私の様子が落ちているように見えたようだ。

「もし仕事の質が下がってるなら…ごめんなさい」
飲んでいたお茶のキャップをしめて、手の上で転がしながら気まずい調子で謝った。
「いや、別に謝るほどひどい訳じゃ無いんだけど。単に心配してるだけ。あっちにも変な噂たってるしさ…俺と後藤さんも何かそういう餌食にされてるみたいだし」
何も言わないのに、如月さんは全て私の心を先読みしていて、軽く驚かされる。
彼の営業成績がいいのは、人の心を少しだけ先読みする才能があるせいなんじゃないか…と思う。

「俺はずうずうしいから言うけど。舘さんに振り回されて苦しんでるなら、遠慮なく俺を利用してもいいよ」
「…え?」
「だから、舘さんを本命にしたまま俺に頼ってくれてもいいって事。あの人では満足させてあげられない部分をフォローできるかもしれないし」
瞬きの回数が減って、目線が真剣だった。
これは嘘を言ったり冗談を言ったりする彼の状態では無い。

「如月さん…すごく人気ありますよ。私なんか相手にしないで、他で十分素敵な女性を探せると思いますけど」
私は彼の申し出があんまり不思議だったから、こんな事を言っていた。
自分を都合のいい男にしてもいいなんて、自ら申請してくる人なんて始めてだ。

「どんな恋にも終りがある…って分かりきった事だよね」

こんなセリフをポツリと言われ、何だか心が苦しくなる。
私と聡彦の間が危ういという事が言いたいんだろうか。
私はまだ聡彦が好きだし…別れようなんて全く思ってない。

「俺はそういう終わりのある恋にはもう興味が無いんだ」
「……」

如月さんの恋愛論は、ちょっと独特だった。
私が抱えている「利己的な恋愛」とは違い、彼は「自己犠牲恋愛」とでも言えるようなものだった。

好きという気持ちは、誰の力も借りずに勝手に変化し…そして自己主張をはじめる。
この事は最近の私の中で少しずつ芽生えている気持ちだ。
「愛」とは真逆に存在するこの利己的な気持ち。

「好き」という恋愛感情は、とんでもなく自分勝手なものだ。

どうしてだろう。
最初は顔を見るだけで良かったのに、そのうち心を通わせたくなる。
心が通うと、肌に触れてみたくなる。
最終的には、自分以外の異性に目線を送る事すら気になるようになって…どんどん世界は狭くなる。
相手を束縛し、自分以外の人間へ好意を持つ事を禁止する。


確かに、恋にはどんなかたちにしろ、必ず終わりがくる。
同じ人に同じエネルギーで好意を伝え続けるなんて…多分無理だ。

「人間の気持ちを力でコントロールするなんて、誰にも出来ない事さ。好きな気持ちなんて、どんな外圧がかかっても潰せないだろ。それと同じで、相手の心が自分から離れるかもしれないって事を受け止める覚悟が無い奴は恋愛する資格が無いと思ってる」

吸い終わったタバコを消して、如月さんはそのまま立ち上がった。

私は彼の恋愛論に反論する事が出来なかった。
表に見えている彼は、強引で俺様で…最悪に自分勝手な気がしていたけれど、真面目に心の奥を語る彼はそれとは逆の姿を持っていて。
驚くと供に…やっぱり少し心を揺らされる。

何となく心細くなり、私は聡彦に会いたくなっていた。
今彼の顔を見ないと、自分の心が揺れてしまいそうで怖かったのだ。
私は意地張るのを止め、聡彦の携帯に電話をした。
もう仕事が終わって、あっちのアパートに戻ってる頃だろうか…。

『菜恵?』
想像していたより、ずっと優しい声で聡彦は電話に出た。
「あ、ごめんね。突然。今大丈夫?」
『実は今菜恵のアパートに向かって歩いてるとこ』
「え?」
『……1週間菜恵の温もりが無い状態で寝る夜って、最悪だった』

素直じゃない彼は、「菜恵がいなくて寂しかった」という言い方はしない。
照れ隠しに、少しだけ意地悪な言葉を混ぜたりする。

『菜恵がそろそろ泣いてるんじゃないかって思ってさ』
「……そうだね、寂しくて泣きそうだよ」
私は素直に自分の心を伝えた。

ほんの少し勇気を持って相手に歩み寄る事で戻る関係もある。
手遅れにならないように…大事なら、大事だと伝えないと。
言葉にしないと。
行動をしないと。

大切な人を失ってからでは、遅すぎる。

如月さんの言葉をどう受け取っていいか分からなくて、私はそれをそのまま自分の心の中にしまった。
仕事のパートナーである彼を、プライベートな領域まで引き入れるのは正直怖い。
それぐらい、彼は普通にしているだけで私の心を押してくる力がある。
聡彦と違って、かなり自分の心をコントロールする力を持った器用な人だな…っていう印象だ。

逆に聡彦は…本当に、私が居なくなったら仕事がガタガタになってしまうんじゃないか…なんて心配をしてしまう。
だから、ここ数日の彼の仕事ぶりが気になって、外勤の時間は気がそぞろだったのは確かだった。

カチャカチャと鍵の音がして、玄関のドアが開く。
久しぶりの聡彦が姿を現した。

「ただいま…」
照れくさそうな顔で、彼はそれだけ言った。
「おかえりなさい」
私も余計な言葉は言わず、聡彦の肩に両腕をまわしてギュッとそのまま彼の体を抱きしめた。同じように、彼も私の体が折れるかと思うほど強く抱きしめてくれ、お互いの心がまだしっかり繋がっていたいと望んでいたのを確認した。

仕事の事もパートナーの事もこの日は何も語らず、私は聡彦の事だけを考え、彼は私の事で頭がいっぱいだなっていうのが分かる様子で抱き合った。
あんなに怖くて、全く受け入れられなかった彼の最終的な愛。
何故かこの日は何も構える事無く、自然な流れで受け入れる事が出来た。

いつもよりかなり感度が増した私の体は、聡彦を受け入れるのに十分な状態になっていた。
恥ずかしい気持ちより、彼を精一杯感じていたいという欲求の方が強かったのかもしれない。
「菜恵、すごく濡れてる」
聡彦の言葉で、余計体が熱くなる。
「言わないでよ」
「だって、菜恵が俺にそういう気持ちになってくれてるって分かって嬉しいから」
そう言って、聡彦の繊細な指先と暖かい唇が私の体から力を奪う。

「菜恵…」
「うん、大丈夫だよ」

ほとんどアイコンタクトだけで、“その時”を私は承諾した。

驚くほど熱くて、信じられないほどの甘い痛みが体を貫く。
でも、すごく私の体を心配しながら様子を見てくれている聡彦を見ていると、自然に愛情が溢れ出す。
完全に聡彦に体を委ねてみたら、本当に自然に私達は一つになる事が出来た。

不思議な人間の心の動き。
どうして、こんなふうに自分以外の人間を好きになるんだろうか。
どうして、好きなればなるほど、離れやしないか…って不安が押し寄せるんだろうか。

体が重なっている時の一体感は永遠には続かなくて。
きっと明日になれば、また二人の間には目に見えないほんの少しの隙間が出来る。
この隙間を埋める為に、私達は絶え間なく会話を繰り返す事が必要だ。

確実に約束された未来が無い変わりに、自分がなりたい将来を夢見るのも自由。

軽く背中に汗をかいた聡彦の体を抱きしめて、彼を愛する”今この瞬間の自分”を体全体で感じていた。


*** INDEX ☆ MORE(R18)***

甘いシーンをおまけにしました
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