Smile!


7−1 もしも…

晴天。
夏空に入道雲が浮かび上がり、今日の午後も相当きつくなる予感がしていた。
アスファルトに水をまく作業があって、昼休みになると女子社員が数名当番で駐車場に水をまく。

「こんなんで気温下がるのかなあ」
一人の女性が文句を言う。
「だいたい中で冷房かけすぎなんだよねー。クールビズとか言って男性社員皆スーツだし!」
「そーだよね。いくら通気性が良くたって、この暑いのにジャケットっていうのは見苦しいほどに熱いよね!」
私はその会話を聞きつつウンウンとうなずいていた。

「おーう、そこの女ども。うるせーぞ。さっさと水まけ、水!」
いきなり俺様口調の如月さんが文句を言っていた女子社員の頭をくしゃくしゃとさせて食堂の方へ歩いて行った。
今日は午後から彼と外勤予定だ。
あの人は私と二人きりの時以外は、ああいう変なキャラになっていて不思議だ。

「如月さんに頭触られた!!ぎゃーどうしよう」
「なんか渋いよねーあの人。男の余裕を感じるっていうか。色気があるっていうか」
あんな態度なのに、結局彼は女性から好感を持たれる。
何をやっても一本芯が通ってるから、とにかく安定した男の余裕が見られるのだ。

「後藤さんいいなー…。企画の舘さんと付き合ってて、さらに如月さんとは仕事のパートナーでしょ?やっぱ男運って独りの女性が独り占めするように出来てんのかなあ」
嫌味っていうより、本当に“彼氏欲しい”といつも嘆いている三ノ輪さんがガックリした顔でそう言う。
「いや、別に運なんか良くないですよ?」
これは本音だ。
聡彦の裏の顔を見れば、半分くらいの女性は引くはずだ。
如月さんのクセだって、見極めないと唐突に怒鳴られたりするから気を使うし…。
「運って使い過ぎると、どこかでドカンと落とし穴があるから気を付けて下さいねー」
宝くじでも当たったなら、そういう心配もするけど、聡彦と付き合ってるのは私の努力が実った結果だと思ってる。
数ヶ月、訳も分からず命令され続けるなんて経験は、なかなか無いと思うんですが。
こんな事情を知らない人にとってみれば、私が無条件に聡彦に愛されてると思ってるのかもしれない。

まあ…最近の聡彦は角がとれたっていうか、ツンの部分が少し減った気がする。
会社では一切言葉も交わさないけど、アパートに戻るとわりと普通に話す。
ただ、如月さんとの会話が多かったり、外勤があったりすると「何話したの」って素直に言えないからムスッとしてしまい、機嫌を戻すのが大変だ。
「如月さんとは仕事の事しか話してないよ」
って言ってみるんだけど、「別にそんなのどうでもいい」とか強がるから、自然に彼の気持ちが落ち着くのを待つしかない。
私もだいぶ「ツン慣れ」して来たなあ…とか一人で思っている。

驚くのは一度解禁した夜の関係が日増しにエスカレートする事だ。
次の日仕事だって言ってるのに、聡彦のそういうエネルギーは仕事とは別らしい。逆に夜に多少燃えておいた方が次の日クールに仕事が出来ると言うぐらいなんだけど…本当かな。
私はすっかり疲れてしまって如月さんに感付かれてやしないかヒヤヒヤしてしまう。

昨日の夜も…結構すごかった。

「菜恵、ここがすごく感じるんだ」
腕の付け根とか足の付け根をさすられたりキスされると、体が勝手に反応するから、聡彦はそこを集中的に責めてくる。
「いやだ、もう体がもたないよ」
かれこれ1時間もじらされていて、私の体が限界になっていた。
もうマラソンした時のような負荷が心臓にかかってるような気がして、彼の唇が離れると同時にガクンと体が沈む感じになる。
「ゴメン、菜恵の感じるポイント全部知りたくて。もう止めるよ」
止めると言ってくれたから、私はもうこれで眠れると思って目を閉じていた。
すると、スッと聡彦が私の上に四つんばいになるのが分かった。
「…何してるの?」
「え、これからでしょ。まさか寝る気?」
私は驚いた。
平日だし、もうこれ以上の負担は私には無理だ。
「ゴメンもう今日は終りにして。週末にしようよ…」
「駄目。明日にしようって言ってて俺が明日死んだらどうすんの」
大げさな事を言われた。
でも、明日聡彦が居なくなるなんて…考えただけで頭がグラッとする。
「死ぬなんて言わないでよ」
私が本気で涙ぐんだから、聡彦も驚いて「冗談だよ」って言って優しくキスをしてくれた。

こんな訳で、私は昨日の夜も限界まで体力を使い果たし、何とか今日の仕事をこなしている状態だ。

「後藤さん?もう打ち水終りだよ?」
声をかけられてハッと我に返る。
今自分が妄想していた聡彦との夜を思い出して顔が赤くなった。
「すみません、外勤なんで急ぎます」
照れをごまかす為に私は急いで社内に戻った。

                          *

今日のお仕事はそれほど大変ではなく、軽くドライブ気分での外勤だった。
「嫌っていうほどの天気だよな」
ハンドルを握る手が熱いようで、何度か濡らしたハンカチで手をふいている。
冷房を利かせたって暑いものは暑い。
如月さんが隣じゃなかったら、ブラウスの前ボタンを外したい気分だ。

「今日は時間があるから、ちょっと寄り道しようか」
「え、どこに行くんですか?」
こういうイレギュラーな事を言われるから、困ってしまう。
如月さんは器用だから、業績を全く下げずに業務中に息抜きする事も出来る。
「ちょっとした避暑地」
そう言われて車が止まったのは、どこか分からないけれど神社の下に用意された駐車場だった。
木が生い茂っていて、神社に続く階段は真っ暗だ。
外に出ると、スーッと涼しい風が吹いて体温がグンと下がった感じがする。
「生き返りますね、すごく涼しい!」
かなり気分が良くなって、私は階段を数段タンタンと登った。
「一人で来るのが多いんだけど、後藤さんには特別教えてあげるんだからね」
冗談ぽくそう言って、彼も階段を私より多めにタタタッと登る。

何となく追いかけっこみたいな感じで最上段まで登りきってしまい、息が切れた。

「久しぶりに上まで登ったなあ」
そう言って、如月さんは軽く汗をかいている。
目の前には立派な彫刻がほどこされている境内が見えた。
「ここの神社は縁結びの神様で有名らしいよ」
「へー…」
じゃあ、私と聡彦が仲良く暮らせますようにってお願いしようかな。
そんな気持ちで私は軽く手を合わせてお参りした。
如月さんも手を合わせていたけど、何をお願いしたんだろうか。
「何お願いしたか知りたい?」
階段を降りながら、彼はそう聞いてきた。
「いえ、別に」
「冷たいなあ!ちょっとは俺に男を感じないわけ?こんだけ近い状態で過ごしてるのにさ」
後ろからそんな声が聞こえてきて、ちょっと笑ってしまう。
異性を感じちゃったら仕事なんか出来ないですよ。
私はそう思ってそのまま階段を降りようとした。

「待って」
いきなり右の手首をつかまれ、階段を降りる足が止まった。
「…何ですか?」
振り返ると、すごく真面目な顔をした如月さんが立っている。
彼はもう2・3段下に降りて私の背丈と一緒になるぐらいの高さになった状態で私の目をじっと見た。
「本当にさ…君の心が俺に向けばいいのに…ってお願いしたよ」
「……」
返事に困っていると、彼は本当にさり気なく私の頬に軽くキスをした。
「君には恋人がいて…その人を大事に思ってるのは分かってる。だから、俺は叶いそうもない気持ちを抱えて過ごすしかないって事だよ」
それだけ言い残し、如月さんは足早に階段を全て降りきってしまった。

あのお酒に酔った日。
あの日に「俺が気に入ってる女性…君だから」って言ったのを思い出した。
気のせいだと思ってたけど、あれは本当に言われた事だったんだ。

呆然としてしまい、これからどういう顔をして車に乗ればいいんだろうと思った。
でも、下まで降りきった如月さんは「モタモタしてると置いてくぞ!」なんて大声で叫んでいて、いつもの半分ふざけた調子の彼に戻っていた。

                             *

外勤を終えて社内に戻ると、会社の外に救急車が止まっているのが見えた。
「どうしたんだろう、急病人でも出たのかな」
気になって、私は先に車を降りて社内の様子を見る為に駆け足になった。

何でだろう。
すごい胸騒ぎがする。
こんな予感当たらなくていい。

そう思っていたら、担架に乗せられた男性の姿が見えた。

「…聡彦?」

「どいてください!」
救急隊員の人に押されて、壁に背中がぶつかる。
何で…どうして聡彦が担架に乗ってたの?

「後藤さん!舘さんが…倒れてきたラックの下敷きになって…頭を打ったみたいなの」
企画の女性が私に走りよってきた。
「何でですか。ラックって耐震用にしっかり固定されてますよね」
「捨てるラックだったの。固定を外してあって…その中身を取り出そうとした職員に倒れてきたのを庇ったのよ。下敷きになりそうだった沢村さんは無傷だったんだけど」
沢村さん。
彼女を庇って聡彦が!?

昨日の夜「俺が死んだら…」なんて言ってた彼を思い出す。
やめてよ、聡彦は死んだりしない。
ちょっと気を失ってしまっただけだよ。

私は思わず救急車を追いかけて走り出していた。
「後藤さん!どうしたの」
車を置いて戻ってきた如月さんが驚いて私に声をかけた。
「私、このまま直帰にしてください。お疲れ様でした」
そう言い残し、私は聡彦の乗せられた救急者に同乗した。


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