Smile!


7−4 プロポーズ

意を決して、聡彦に会う事にした。
如月さんに迷惑かけるのも、いい加減止めなくては。
妊娠が分かってから10日経過した土曜日、私は聡彦をお互いに知っている喫茶店に呼んだ。

「やっと会ってもらえた」
そう言って、聡彦は柔らかい笑顔を見せた。
全くの他人とは思ってないみたいで、やっぱり多少私に対する懐かしい気持ちがあるみたいだ。
「何も注文してないの?」
席について、私が水しか飲んで無いのを見て彼はそう聞いてきた。
「あ、うん。聡彦が来てから注文しようと思ってて」
本当は彼がちゃんと来てくれるのか心配で、注文表を見たままボーっとしていたのだった。
私は久しぶりに見る聡彦の元気な姿を見て、それだけでホッとしていた。
本当に…命に関わるような事にならなくて良かった。

「あのさ、俺…後藤さんの事何て呼んでた?」
注文を終えて、向かい合ったとたん彼はそんな事を聞いてきた。
「携帯に君の番号が“レイカ”って入ってたんだけど…何あの名前?」
それを聞いて、私はちょっと笑いそうになった。
聡彦が私の番号をコスプレのキャラ名で入れてたっていうのは、相当意外だった。
オタク趣味を時々からかっていた彼だけど、そんな私のオタクの部分も彼は愛してくれていた…。

今目の前にいる聡彦はどうだろう。
私の趣味とか、私の性格を知って、好ましいと思ってくれるだろうか。

「後藤さん?」
私が答えないから、聡彦は不思議そうな顔をして見た。
「ごめんなさい。ちょっと色々思い出しちゃって。その名前はね、私のミドルネームみたいなもので…あなたはそれをいたずらで入れてたんだと思う」
「そうなんだ。確か本名は菜恵って名前なのに、って不思議だったんだ」
こうやって話していると、何だか半分聡彦なんだけど半分違うみたいな…変な気分になる。
今だって抱きしめたいほど好きなのに、彼が私と同じ気持ちじゃないのは見ていれば分かる。

「あの…あのね」
私は運ばれてきたレモンスカッシュを一口飲んだところで切り出した。
「うん。何?」
聡彦はまさか今から私が言おうとしている事なんか、想像もつかないっていう穏やかな顔をしている。
「……」
言葉が出ない。

あなたの子供を宿してるの…産みたいんだけれど、認知してくれる?

こんな言葉、全く出てこない。
本当なら、お互いに少しずつ思い出を語り合って…心を通わせるのが先なのだ。
唐突に体の関係があった事や、結婚も視野に入れていた事なんか…話せない。

「私達、時々お互いのアパートに遊びに行く間柄だったの」
こんな無難な言葉しか出なかった。
「分かってるよ、部屋に君の服とかお化粧品とかあったし。二人で撮った写真も携帯に入ってた。だから…まるっきり他人だとは思ってないし。どちらかというと強い好感を持ってる。だから…付き合いは続けたいって思うんだけど」
聡彦だけれど、聡彦じゃない。
私をちゃんと覚えていてくれているなら、「俺が菜恵を忘れるわけねーだろ?馬鹿じゃないのか?」なんて言ってるに違いない。
こんなに優しい言葉を選ぶっていう事は、相当気を使ってる証拠だ。

それが分かってしまって、私はますます言葉が出なくなった。

「私は、付き合いを続けるべきかどうか悩んでるの。いちから好きになる人が現れるかもしれないし、ちゃんと記憶が戻ったら私は必ずあなただと分かるわ。だから…それまでお別れした方がいいような気がする」

言おうとしていた事と真逆なセリフが口をついて出た。
今私が言った言葉は、つまり…お腹の子供を見捨てるのと一緒だったのだ。

長く話してしまうと、またパニックを起こしてしまいそうだったから、グラスにまだたっぷりと飲み物が残った状態で私は席を立った。

「じゃあ。また機会があったら会いましょう」
「君がそうしたいなら、俺は強引な事は言わない。でも…君を好きな気持ちはあるっていう事だけは覚えていて」
私の腕を軽く掴んで、聡彦は私が立ち去るのを止めた。
彼の目を見れば、確かに私に好感を持ってくれているのは分かる。
でも、だからといって彼の一生を決めてしまうような事は、やっぱり言えなかった。

                          *

「言わなかったの」
営業車の中で、私はまた如月さんの横で落ち込んでいた。
彼が強引に聡彦に会って事実を言うように助言してくれたから、私は彼と会う決心をしたのに…結局全く逆の結論を持って帰ってきてしまった。

「言えませんでした」
「どうすんの」
「分かりません…どうしたらいいか、分かりません!」

如月さんに当たっても仕方無いのに、私はどこにもぶつけようのない気持ちを吐き出してしまう。
彼だって限界のある普通の人間なのに、何故かどこまでも深い懐を持っているような気がして甘えてしまう。

「俺は?」
唐突に彼はそう言って、私を見た。
「…え?」
「俺と一緒にならない?子供も俺の子って事にしてもいいよ」
彼の言っている意味が分からなくて、私は瞬きするのも忘れてじっと動きを止めた。

如月さん…何言ってるの?
俺と一緒にならない…って。プロポーズしてるの?
しかも、聡彦の子供だと分かっているお腹の子を、自分の子供として産んでいいって言ってるの?

「馬鹿な事言わないでくださいよ。如月さんには、ちゃんと別のいいお相手がいますよ」
私は慌てて彼の提案を退けた。
「俺、馬鹿だから。あんまり問題を難しく考えるの嫌いなんだ。惚れた女を助けたい。その女の子供だったら…俺の子供だ。そういう理屈もあるっていうことさ」

あり得ない結論だ。
彼は自分の人生をどう考えてるんだろうか。
子供を持つっていう重さを分かってるんだろうか。
如月さんが、そんな単純に命を扱うとは思えない。だからこそ、私の問題も一生懸命考えてくれた。限界まで聡彦との仲を取りもとうとしてくれた。

「だって、後藤さん産む気でしょ。迷ってるのは、産んだ後どうしようかって事なんでしょ」

何でこの人は、何も言わないのに私の心を読んでくるんだろうか。
そう…。
私は聡彦の子供を諦める事は出来そうもないと思っていて、一人でどうやって育てようかという事で悩んでいた。
なのに、血の繋がってないこの子を…如月さんは自分の子にしてもいいと言っている。
とんでもないお人よしか、物事を深く考えない適当な人か…どちらかとしか思えない。

「俺、本気で惚れてるんだ。だから、適当な気持ちでこういう事を口にしてる訳じゃない…それだけは分かって欲しいな」

私が90%の確率で彼の申し出を断るのを分かっている…という口調で、如月さんはそう言った。
愛しているのは聡彦だけ。
彼に真実を告げられず、それでも彼の子供を私は産もうとしている。

それを知っている如月さんが、今、手を差し伸べてくれている…。

「でも…」
やっぱり答えがすぐに出て来ない。
如月さんの事は頼りがいがあって、素敵な男性だと思っている。
確かに少し心を揺らされている部分もあるのは事実だ。
でも、だからといって彼の好意に完全に甘えるなんて人間としてどうなのか…と考えてしまう。

「すぐに答えなくていいよ。どっちにしろ産むならゆっくり考えればいい」

私が押し黙ってしまったのを見て、如月さんはなるべく心が軽くなるように言葉を選んでそう言ってくれた。
こんな素敵な人が、私をそこまで思ってくれているなんて申し訳ない気にすらなってしまう。

どうすればいいんだろう。

何も考えないで、寝て起きたら全部夢だった…って事にならないだろうか。

私の心は、とうとう現実逃避に走りそうになっていて、軽く分離症状が出ている感じだった。
精神的負担は、ダイレクトに体にも響いていて。

                         *

とうとうある日の朝、私はトイレで大量出血してしまった。
何が起きてしまったのか頭が真っ白になる。
生理の時のような鈍い腰痛と腹痛も伴っていて、最悪の状況が想像できた。

「いや…。嫌だ…もう。誰か助けて…」

私は病院に行く勇気も持てなくて、血液の処理だけすると、そのまま部屋の隅でうずくまった。
携帯に如月さんからの電話が何回も入ったけれど、もうそれに出る事すら出来なくて。

私は…壊れてしまったのかもしれない。

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