Smile!


7−5 嘘

私の部屋を大家さんにまで連絡して合鍵を手にした如月さんが入って来たのは、ちょうどお昼ぐらいだった。
カーテンも閉めたままだったから、外が晴れてるのか曇ってるのかも分からない。

「後藤さん!どうしたんだ…会社を無断欠勤するなんて。何かあったのか?」
部屋の隅に丸くなっている私に駆け寄って、如月さんは私の肩を揺すった。
私は涙も出なくて、呆然と彼の顔を見た。
「赤ちゃんが…駄目かも」
「え?」
「出血して…お腹が痛いの」
そこまで言って、私は意識を失った。

                       *

気が付くと、私は白いベッドの上に寝かされていた。
どう見ても病院だ。
「あら、後藤さん。気付きましたね?」
ピンクのエプロンをかけた中年の女性が私にそう声をかけた。
「私、助産師の川村といいます。ここは総合病院の婦人科でね、あなた救急車で担ぎこまれたのよ?」
「救急車……」
そこまで聞いて、私は如月さんが部屋に入ってきた場面を思い出した。
きっと彼が救急車を呼んでくれたのに違いない。
「一緒に付き添ってらした男性は、気付いたら連絡をって言って仕事に戻られました」
「そうですか」
「あ、そうそう。あなた運がいいわよ。流産寸前だったのに、奇跡的に赤ちゃんはまだ子宮に留まってくれてたみたいで。生命力強い子ね…きっと丈夫に育つわ」
川村さんは明るい笑顔でハッキリとそう言った。
「本当ですか?」
真っ暗な心の闇の中に、眩しい光がパアッと差し込んだのが分かった。
「ええ。本当よ」
「助かったんですか!?赤ちゃん…生きてるんですか?」
泣きながらそう叫んだ私の背中を優しくさすり、川村さんは落ち着くように私の症状を丁寧に説明してくれた。
数週間ほど入院が必要で、あとは家で安静にした方がいいとの事だった。
「安定期に入るまでは気をつけた方がいいわよ。仕事は…お休みした方がいいわね」
「そうですか。分かりました…」

一人じゃない。
お腹の赤ちゃんが私にパワーをくれた。

こんなに頑張って残ってくれた命だもの。
絶対一人ででも産んで育てよう。

私の決意は固まった。
もちろん如月さんの申し出は嬉しかったけれど…やはり、血の繋がらない男性を父親だなんて言って育てるのは無理だ。
しかも、私が本当に愛してるのは聡彦だもの。
如月さんの人生をつぶす権利は私には無い。

「後藤さん!」
病院が連絡をしてくれたみたいで、如月さんが汗をかくほど急いで駆けつけてくれた。
彼が私と子供の命を救ってくれた。
感謝してもしきれない…。
「如月さん。ありがとう…。私、一人で産みます。この子が生きたいって言ってるんです。だから…もう迷いません」
ハッキリとそう言った私の顔を見て、彼はちょっとガッカリした顔をした。
「…そっか。そうだよな。好きでもない男と結婚なんか出来ないよな」
「いえ、あなたの事は多分ある意味聡彦より尊敬してます。ただ、この子はやっぱり聡彦との子供なんです。だから…彼の記憶が戻るまで、私が一人で育てます」

何を迷っていたんだろうかと思うほど、私の心には力が戻っていた。
仕事は辞めてもいいだろう。
きっと子供を育てながら生きる手段があるはずだ。

私がそう強く思っていたら、如月さんはその気持ちを揺るがすような事を言い出した。

「後藤さん。俺が今からする事…怒らないで欲しい。俺が君を本気で思ってるからこそする行動だ」
今までに無いほど真剣な顔でそう言って、彼は私の目をじっと見た。
「何を…する気ですか」
「舘さんに全てを告げてくる。それで、君を全力でカバーするように説得してくるよ」
それを聞いて、私は慌てた。
聡彦にはまだ言う時期じゃない。
こんな私を知ったって、彼は苦しむだけだ。

「止めて!お願い。聡彦には知られたくない」
「黙ってられるかよ!」
唐突に如月さんの語気が荒くなった。

「嘘をつくのも美学だろうさ。そりゃあ…そういう美しい嘘も存在するのは分かる。でも、今回ばっかりは後藤さんがつこうとしている嘘を認める訳にいかない。男だって責任はフィフティなんだ。舘さんにだって君と同じか、それ以上のつらさを感じる責任はあるんだよ。俺を恨むならそうすればいい…もう君の嘘つきごっこに付き合うのは止めた」

私の言葉なんかもう耳に入れない調子で、如月さんは病室を出て行ってしまった。

聡彦に…知られる。
一生嘘をつきつづける覚悟もしてたのに。
でも、如月さんの事を責める気にもなれない。
どれだけ私を思ってくれたのか、体からそれを直接感じる事が出来た。
あの人は…人間を心から愛せる人なんだ。

お腹の子が助かった事。
如月さんが本気で私を思ってくれた事。

そして…今から聡彦に、この事実が知られる事。

その全てが迷路のように迷い歩いていた私を、一つの出口へと導いてくれようとしている。
結末がどうなるかなんて分からない。
ただハッキリ言えるのは、どんな事があっても私はこの子を産むという事だ。

聡彦がどんな反応をするのか、怖い気もするけれど。
でも、私が彼を愛しているというのは紛れもない事実なのだ。
同じ強さで彼に愛されなくても、それでも私は構わない。
だって、私には何よりも強い味方が出来たんだもの。

そうよね…必死で私のお腹に留まってくれた小さなあなた…。

私、あなたをきっとこの世の光の下に誕生させてみせるわ。
光が眩しくて…色んな音が聞こえて、驚くかもしれないけれど。
あなたを守る手はちゃんとあるから。
大丈夫。
一緒に生きましょう。

一緒に…。

*** INDEX ☆ NEXT ***

inserted by FC2 system