Smile!


8−2 確かめたい

聡彦は本当に私を愛してくれているのかな。
どうやって確かめたらいいんだろう。
私の事を全力で愛してくれた、あの純真な心にもう一度触れたい。

今の聡彦も、本当に心から私を大事にしてくれていると思うし、文句は無いんだけど。優しすぎるっていうか…彼のツンツンした裏に見える深い愛情が私は好きだった。
なのに、今はダイレクトに優しい言葉をかけてくれて、怒り方もソフトだ。

彼自身、きっと完全に自分を取り戻せてないから不安があるんだろう。

沢村さんが言っていた噂。
あれを信じているのは、私の事も聡彦の事も何一つ分かってない人に違いない。
だから沙紀もルリちゃんも、その事については何も触れなかった。
相手にするのすら馬鹿馬鹿しい嘘なのに…噂っていうのは、流れ出すと意味も無く信憑性を持って歩き出すから怖い。
“火の無いところに煙は立たず”と言うけど、火が無くたって煙だけ上がる事もあるんだ。

聡彦があの噂を聞いて、万が一にでも私を疑っていたら…と思うと、軽く寒気すらしてしまう。
聡彦には沢村さんが訪ねて来た事は言わなかった。
一緒に仕事をしている人と気まずくなるのも彼に悪いから。

沢村さん…今日も聡彦と一緒に仕事をしながら、複雑な気持ちでいるんだろうか。
病院へ来た時の彼女を思い出す。あの子も必死だった。
もっといい子ちゃんぶる方法もあっただろうに、あんな言葉を口にしたって事は、彼女の中でも全く余裕が無かったという事だ。

                      *

一人で考えるとウツウツしてしまうから、私は健太に連絡をした。
異性の彼に自分の妊娠の事とかを告げるのは多少恥ずかしい気もしたけれど、健太はどういう事にもクールに対応してくれる安心感がある。
仲間暦も長くて、男だとか女だとかあまり意識しないでいられる居心地のいい存在だ。
同性だと相手が感情移入し過ぎて一緒に苦しくなるから、私はあまり同性の友達には具体的な事を語っていない。
沙紀に話しても、きっと彼女の方が泣いてしまったりしそうで…相談できない。

如月さんにも、もう甘えるのを止めようと思っている。
彼をこれ以上苦しめる事も、私には結構な罪悪感の元になる。

「久しぶり。どうしたんだよ、急に?最近全然連絡無いから心配してたところだよ」
ちょうど移動中だったみたいで、健太はビックリして電話に出た。
仕事中だって分かっていながら、彼は外回りの仕事をしてるから…と思って携帯にかけてしまった。

「ちょっとね。アニメどころじゃ無くなっちゃって…。時間あったら少し会えるかな?」
あまりアパートから離れてない場所の喫茶店を伝え、健太に少し会ってもらう事にした。

家の中に篭っていても精神的に悪いし、気分転換の為に散歩するぐらいならいいと言われていたから、日傘を差してゆっくり待ち合わせ場所まで歩いた。

セミが鳴いていて、まだ夏は終わらないというのを感じる。
このまま時間が少しずつ過ぎていって…数ヶ月経てば、お腹の子供はちゃんとした人間の形になる。その神秘さが私を不思議な高揚感に導いてくれる。

聡彦の記憶の事や、沢村さんの事で悩む時間もあれば、こうやってお腹の子と対話をしたりしてリラックスする事もある。
つわりも少なくなって、美味しい食事をしたいという気持ちになれたのも多少の余裕を出していた。

                        *

「菜恵ちゃん!」
私が喫茶店に入ろうとしたところで、ちょうど健太も今到着っていう感じで走ってきた。
「健太、ごめんね。仕事中に」
「いや、どうせお昼休みだし…今日は暑くて仕事もやる気になれないって思ってたところだったから。連絡もらって結構嬉しかったよ」
久しぶりに見た健太の明るい笑顔が私を少し元気づけてくれた。

せっかくだから美味しいランチにしようって事で、その喫茶店からあまり離れてないフレンチレストランに入った。
夜は万単位になるお店だけど、ランチタイムだけ2000円でコース料理が食べられるのだ。

「あのさ、私。全部食べられないかもしれないから…健太半分食べてくれる?」
店に入ってメニューを見ながら、私はこそっと健太に食欲のムラについて話した。
事情がまだ分かってない彼は、不思議そうな顔をしたけど「別にいいよ」と即答してくれた。

「元気だった?」
「うん…って言いたいけど。元気では無かったかな」
話すと長くなる事だったけれど、一応ここ数週間で起きた信じられない事の数々を説明した。
健太の中では、私と聡彦が付き合う事になって、ツンのせいで二人きりでは会えなくなった…っていうところぐらいまでしか情報が入っていない。
だから、私の話した事を最初は「嘘だろ!?」なんて言ってなかなか信じてくれなかった。

「菜恵ちゃん痩せて見えたから、何か病気でもしてるのかと思ったけど。そういう訳だったのか」
食前酒の赤ワインを少し口にしてから、健太はそうつぶやいた。
「うん。健太もビックリだよね。夢の世界で楽しんでた方がやっぱり気楽だったよ。現実の恋っていうのは、相当複雑だよ。“好き”だけでは進まない事も多くて…他人の心っていうのは、本当にコントロール出来ないんだなって思い知ってるよ」
私は炭酸水を飲んで、はあっとため息をつく。

沢村さんには聡彦を諦めてもらいたいけど、下手な事を言ったら彼女の心はますますエスカレートする可能性を感じて口にできない。
そんな事を言わなくても、聡彦の心を確かめられれば…それだけでいいんだけど。

「……菜恵ちゃんに出来るかどうか分からないけど」
健太がサラダをつつきながら、ちょっと深刻な顔をした。
「何?」
「一度そのツンデレを突き放してみれば?」
「…え?」
「もう気持ちはあんたには無いんだって演技してみれば…少しは本心が分かるかも」
そんな事想像もしてなかった。
愛情は少しずつ彼から送られるものだけで確認しようとしてたし。
でも、あまり長い時間不安を抱えるのは自分の為にも赤ちゃんの為にも良くないとは思っていて…。

「試すっていうのはルール違反だとは思うけど。記憶を短期間に戻すなんて、やっぱり難しいと思うし」
健太らしい答えだった。
現実的に聡彦の本心を知るには、一度私という束縛から解放してあげるのがいいのかもしれない。

でも、やっぱり聡彦を試すような事はしたくない。

「…なんてね。僕はリアリストだし、こうやって客観的な事を言ってるけど…本当は菜恵ちゃんの事をこんなに苦しめてるツンデレを一発殴りたいっていう気持ちの方が大きいんだよ」
「健太」
「菜恵ちゃんってマジ罪深いっていうか…今更だけどね」
健太は私に何か言いたそうにしたのを我慢して口をつぐんだ。

料理を食べ終わって、私達はレストラン前ですぐ別れた。
「ありがとう。健太に話を聞いてもらえて少しスッキリした」
「いや、僕は全く役に立たないよ。菜恵ちゃんが必要なのはツンデレだけなんだって話してて良く分かったし…。とにかく、ライバルに譲ろうなんて馬鹿な事だけは考えるなよ?」
「うん。それだけは、しないと思う」

健太は明るく手を振って、そのまま仕事に戻っていった。

                   *

ゆっくりアパートへ戻る道を歩きながら、今後の自分を考えた。
聡彦と一緒に生きたいと思う。
彼と一緒に子供を愛したいと思う。
今、それは確実にかないそうなんだけど…やっぱり少しだけ不安だ。

聡彦自身が「俺の子供じゃないんじゃないか」という可能性を1%でも持っていたらどうしよう。
そんな疑問を抱えたまま結婚して、後々溝の原因にならないだろうか。

健太の前では明るく振舞ったけど、結局また涙が出そうになっている。
「聡彦…早く全ての記憶を持って戻って来て。お願い…」

歩くのを止め、木陰で少し休んだ。
俯いていると、勝手に涙がポトンポトンと落ちる。
聡彦は私を選んでくれて…入籍の事だって彼から言い出してくれた。
“責任感だけで結婚しようとしているのか”という私の不安を怒ったりもしてくれた。

だけど…彼の真相心理は分からない。

しばらくそうやって木の下でしゃがみ込んでいると、ふっと人影で暗くなるのを感じた。
顔を上げると、久しぶりに見る如月さんが立っていた。
「何で泣いてんの。舘さんには、もう二度と君を泣かせるような事はするなって言っといたんだけど」
そう言って、彼はちょっと怖い顔をした。
多分私の様子を見る為に、仕事中に少し立ち寄ってくれたに違いない。

私はゆっくり立ち上がって、情けないところを見られたな…と思った。
彼には二度とこんな顔見られないようにしようと思っていたのに。
「違うんです。彼は全力で大事にしてくれてます。ただ、私が不安定なだけで…」
そう言いかけたところで、如月さんは私の体をグッと引き寄せて抱きしめてきた。
「俺のところに来い。こうやって泣かせたり絶対しない…一生君の笑顔を守るから。あの男を愛したままでいいんだ…これ以上ストレスで君が弱るのを見るのは嫌だ」
「きさ・・・らぎさん」
どうしてこの人は、こんなにも私を思ってくれているのだろう。
聡彦が私を思ってくれたのと同じぐらいの強さを感じる。

もうこの人を頼るのは止めようと思っていたのに…。
胸の中でホロホロと涙が出るのを止める事ができない。

「菜恵?」
ガサリと草むらを歩く足音がして、聡彦が私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
ハッと我に返って後ろを振り返ると、そこには青い顔をした聡彦が立っていた。

彼は時々時間休をもらって私の様子を見にアパートに戻ってくれる。
今日は出かける前には何も言ってなかったのに急に顔でも見たくなったのだろうか…タイミングが悪過ぎる…。

「何…二人で。どういう事だよ」
聡彦が私の腕をとろうとしたのを如月さんが遮り、私と聡彦の間に立った。

「あんたがこうやって彼女を泣かせてるんだろ?知らないところで、後藤さんはまだ不安を抱えてるって事だよ。やっぱりあんたには任せられないな」
如月さんがケンカ腰で聡彦に迫る。
「ふざけるなよ…菜恵から手を放せ。俺の大事な女に触るな」
聡彦も低いトーンで、如月さんを威嚇した。

今にも喧嘩を始めそうな二人を見て、私はそれを止めるのに必死になった。

「やめて!如月さんは悪くない、彼は私を心配してくれてただけなの」
思わず私は如月さんを庇っていた。
無意識だったけど、聡彦の方が感情的になると本気で相手を殴りそうだったから、つい如月さんの方を庇ってしまった。
それを聞いて、聡彦の動作が止まる。

「…菜恵。何で今、如月を庇った?」
「え?」
聡彦の顔は、あのツンデレ時代だった頃の表情だった。
ある意味、本当の彼が戻ったと言っていい状態だ。
「それは…聡彦が、今にも如月さんを殴ろうとしてたから」
「そう…」

それ以上何も言わなかったけれど、その沈黙で聡彦が私と如月さんとの仲を疑っているのが分かった。
「聡彦、何か誤解してるの?」
「如月と抱き合ってる菜恵を見て、俺が普通でいられると思うか?」

「……」
誤解を受けるようなシチュエーションを見せてしまったのは私が悪かったと思う。
聡彦だってきっと私と如月さんの間には何も無いと分かっているはずだ。
でも、聡彦の性格は、こういう時に暴走してしまうのを私は良く知っている。
まずい…予想外の場面で「ツン」が復活してしまった。

聡彦は拳を強く握って、棒立ちになっている。

「後藤さん。もう休んだ方がいいんじゃない?とにかく…部屋まで送るから」
如月さんはそう言い、私の肩を抱えてアパートに向かって歩き出した。
聡彦は、もう私の腕をつかもうとはしなかった。

後悔しても遅い。
私は聡彦の心を少しだけ疑っていた。
それを…今、思いがけずダイレクトに突きつけてしまった。

聡彦を…傷つけた。

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