Smile!


9−1 命

秋というのは、心が少し寂しくなるのはどうしてなんだろう。
毎日散歩する公園の様子が、少しずつ気配を変えていくのを私は見つめる。
青々して生命力にあふれていた木々の葉が、少しずつ黄色から赤へと変化を見せる。

そうか、秋が寂しいのは、生命が少しだけ力を失ったように見えるからなんだ。
でも、来年の春にはまた新しい芽が吹いてくるんだよね。

こんな事を毎日考えて過ごしている私。
職場への復帰はまだ保留だけれど、来年出産してみてから考えても遅くないかなと思っている。
如月さんとの仕事はやりがいがあったし、続けられるなら…そうしたいけど。

如月さんとの関係は、すっかり同僚っていうものに変わっていて、彼は時々からかいのメールを入れてくる。
“ギャンブラーの会に補欠が入った。早く復帰しないとレギュラーとられるぞ!“
なんて…すっかり俺様な彼に戻っている。
聡彦を好きになってなければ、多分私はこの人に心が揺れていただろうなというのはある。
あれだけ強く好意を伝えられたのも初めてだったし。
でも、こんな事言うと聡彦がまたふてくされるから、口外はしていない。

気になるのは、沢村さんの事だ。
聡彦が一度入院中に彼女が来た日の事を聞いてきた。
という事は、聡彦が気になるような出来事が会社であったという事だ。

病院で感じた沢村さんの本心は、私は正直軽くゾッとするほどの執念というか…嫉妬を感じた。
私が強く言葉を切り返さなかったら、まだ何か言ってきそうな勢いだったし。
これを言ってしまえば、聡彦は沢村さんに相当なマイナスイメージを持つのは分かっているけど、わざわざそれを知らせるような事も言いたくなくて。
それで、黙っている。

                             *

ある日、聡彦宛の封筒が落ちているのが目に入った。
封は開けられてなくて、聡彦がその手紙を読むのを忘れている風だ。
差出人の名前は書かれていなかったけれど、封筒の可愛らしさとか聡彦へ宛てた字を見ても「女性だな」というのが分かった。

直感というか、そういうのが私は最近長けていて、この手紙が沢村さんからのものだというのが何となく分かってしまった。
聡彦ってば、何で開けないんだろう。
気になるじゃない…。

そうは思ったけど、私は沢村さんに関してはもう間接的にしろ関わりあいになるのが嫌だったから、この手紙も見なかった事にした。

「聡彦、私に何か秘密とかないよね?」
手紙の事は聞かなかったけれど、一応何となく気になったから私は遠まわしに彼の様子を伺った。
「秘密?そりゃあ知られたくない秘密の一つぐらい誰だって持ってるだろ」
「いや、そういう秘密じゃなくて」
私の言いたい事がいまいち伝わらないみたいだ。
「仕事は普通だし、帰ってからは菜恵としか一緒にいないし…どういう秘密を持つっていうんだよ」
「あそ。ならいいの」
聡彦の反応を見る限り、何か心配な状態には無いというのが分かった。
だいたい、聡彦ほど不器用だと浮気も出来ない上に何か変化があったら速攻で表に出そうだ。

何となく安心して、私は笑顔で皿洗いの続きをした。
すると、聡彦が意味あり気に近寄ってきて“皿洗いを変わるよ…”なんて、紳士な事を言った。

「菜恵が俺に妬いた事ってあんま無いよなあ」
いきなりそんな事を言われ、ギクッとなる。
「誰が妬いてるのよ!」
「今言った秘密って、俺が菜恵以外の女にウロウロしてないか心配になったって事だろ?」

外れてはいないけど、微妙に違う。
でも、私が焼き持ち妬くのが嬉しいみたいで、聡彦が機嫌よさそうに皿を洗っているから、私はそれでいいやと思って彼の隣で洗い終わった皿をふいた。


色々あったけれど、聡彦の記憶が少しずつ戻ってくれて、二人の関係が戻っていくのを感じてすごく嬉しい。
こう言ったら私はMなのかと言われそうだけど、聡彦が私をいじめてくれるのが嬉しい。
前は本気で怒ったりしてたけど、この人の意地悪はちゃんと本心を読めていればかなり可愛い。
先日なんか、休日の午前中に私が半日寝てしまったせいで聡彦は「菜恵と過ごす時間が減った」という理由でふてくされた。
どこの子供ですか…。

確かに毎日仕事が遅い聡彦とゆっくり過ごせる時間は少ない。
子供が生まれてしまったら、多分もっと話す時間は減るに違いない。
そういう先の事も考えて、聡彦は思い出をもっと作ろうよって…さりげなくアピールしている。
アピールの仕方は決してスマートじゃないんだけどね。

そういうところ…結構好きだよ。

「可愛い」
ぼんやりソファに座って新聞を読む彼の頭を軽く撫でてやる。
「おい…俺は子供じゃないぞ」
目線を落としたまま無表情でそう言う。
これぐらいでは彼は怒らないのを私はもう知ってるから、結構自由に言いたい事を言う。
「子供だよ。体の大きい子供です。これは間違いないから」
最初の頃は怖くて口応えも出来なかったのに、えらい進歩だな…と自分でも思ったりする。

「ふーん」
私の手をつかんで、いきなり体勢をこっちに傾けてくる聡彦。
「な、何?」
「子供はこんなキスできないだろ?」
そう言って、聡彦は強烈な“大人キス”をしてきた。
こうやって、私の言葉にいちいち反応してるのが子供だって言ってるのに!

職場で切れ味のいい社員をやってるんだろうけど、”オフではこんな感じなんですよ!”って公開してあげたい気分になる。

「職場の人が見たら仰天するね」
「ああ。見られたら俺は即日辞表出すから」
真顔でそんな事を言う。
それで、確かにこれを見られたら辞職だねっていうぐらい甘えた顔で私のお腹に顔を当てる。
「この中に命が一つ宿ってるのか…不思議だな」
赤ちゃんの話になると、彼は人が変わったように優しくなる。
生まれたら「ツン」が完全消滅して、「デレデレ」になるのかな。

「そうだね。まだ全然お腹も出てこないから余計不思議だよね」
私はぺたんこのお腹をさすって、自分の体の中で起こっている事を想像して不思議な気分になった。
つい数ヶ月前には存在しなかった命が、今私のお腹にいる。
来年の今頃には隣で手足を動かす赤ちゃんとして存在してるんだな。
本当に不思議だなあ…。

「菜恵」
聡彦が顔を起こして、私をじっと見た。
「何?」
「この命を、俺が居なくても守ろうとしてくれた事…俺、一生忘れないよ。ありがとう」

聡彦の目に…涙が浮かんでいた。

「どうしたの今更そんな事言って。私だって…泣けてきちゃうじゃん」
やっと私は一人じゃなくて、聡彦と二人でこの子を育てていけるんだという実感が沸いてきた。
そしたら、自然に嬉しさと安堵感で涙がこぼれる。

今まで流した涙とは全く違う。
深い愛情が触れ合った事で心が震えた涙だ。

「聡彦に出会って良かった。あなたの不思議な愛情表現を理解できて良かった」
「何だよそれ」
涙をこぼす私の頬を拭ってくれながら、聡彦がそう言って笑う。

「私ね、聡彦の子供だったら…絶対愛しいだろうなって思ったんだ。流産しかけた時、あなたに似た瞳で私を見上げる小さな子供が思い浮かんだの。それで、この子が必死で生きようとしてくれたから…一緒に生きてみたいと思った」
本当に、あの出血の中で必死に留まってくれたのはこの子が「生まれてきたい」という強い意志を持っていた証拠だと思っている。

どうしようって悩んでばかりだったのに、「この子となら二人でも頑張れるかもしれない」という勇気を与えてくれた。

「でも、一人で育てるなんて、やっぱり無謀だったかな」
「いや、それより、俺に知らせないで先に如月に相談した事の方が大問題だから」
聡彦は、相変わらずの焼き持ち妬きっぷりでプンプンと怒っている。

そんな彼を見て、私はクスクスと笑った。

聡彦…私、幸せだよ。
あなたと一緒に過ごせて、本当に幸せ。

来年は3人で新しい風の中を、仲良く生きようね。

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