Smile!


9−2 手紙

SIDE 聡彦

「手紙読んでくださいましたか?」
出社したと同時に沢村さんが声をかけてきた。
手紙?ああ、あれか。
「ごめん、失くした」
「え?手書きの目立つ封筒でしたけど…どこで失くしたんですか?」

彼女から手紙をもらうのは、これが最初ではない。
ラインが外れてからというもの、仕事の相談という名目で何故か手書きの手紙が渡される。
内容は確かに仕事に絡んでいたものだけど、返事に困る。
これまでは、手短にメールで仕事の指示だけ出すようにしていた。

でも、この前もらったのは本当に失くした。

「沢村さん、もう俺から卒業したら?ある程度仕事は一人で出来るんだし」
彼女を教える役割はもう終わっている。
何でこんなにダラダラ引っ張られないといけないのか、正直少しイライラした。

「そうなんですけど。この前の手紙にはそれとは別の話を書いてあったんです」
そう言って、彼女は暗い顔をして俯いてしまった。

面倒な子だなあ。
菜恵が何か嫌がらせしたとかいうのも、何だか嘘くさい。
ちょっと演技してるっていうか…俺の気を引こうとして、本来の自分じゃない状態を見せている気がしてしょうがない。

「とにかくさ、もう俺とはあんまり関わらない方がいいよ。俺が相手だと沢村さん、ちょっと感情的になるみたいだから」
最後のお断り文句として、やや強めにこんな言葉を言った。

そのとたん、沢村さんの目がキッと怒りに満ちたものになった。

「仕事の事、聞いてもいいって言ってくれたの舘さんじゃないですか!」
そう言って、感情を高ぶらせた沢村さんが企画室でワッと泣き出した。
当然周りの人は俺が彼女を泣かせたと思ってるみたいで、怖いものでも見るみたいに注目している。
「ちょっと、そんな泣く事言ってないだろ?仕事の事だったら口で言うなりメールにするなり…もっと簡単な方法があるし。…結局何なんだ、君のしたい事は」
半分呆れながら、一応それを聞いてみる。

企画の中だと皆の目があるから、場所を外の非常階段に移動して、改めて会話を続けた。
空っ風が吹いて、ちょっと肌寒い感じだったけど、他だと声が通ってしまうからしょうがない。

「私…私は、一生懸命仕事に慣れる為に頑張ってきました」
本気の泣きを見せながら、沢村さんはそう言った。
ハンカチを握りしめて、あふれる涙をグイグイとふいている。
「知ってるよ。確かに沢村さんは良くやってくれてると思ってる」
遠くの景色を眺めつつ、気の無い返事をする俺。
まあ…傍目から見たら、“若い子を騙してひどい別れ話しでもしてる上司の図“に見えなくもない。

「舘さんとの接点が無くなって寂しいんです」
「……」

沢村さんには俺の気持ちは十分伝えてある。俺には菜恵だけだって。
もう菜恵は俺との子供も宿しているし、どうしたって結婚秒読みだ。
そんな俺に何をしろっていうんだよ。

困った。
この子は地球は自分を中心に回っていると思うタイプらしい。
何年かして、自分のそういう部分を反省してくれればいいけど…どうだろう。
俺の菜恵に対する執着もすごいけれど、俺は菜恵が自分に気持ちが無くなったらこんな風には押せないだろう。
だって、自分も相手も苦しいだけだろ。

少し考えて、俺はもう沢村さんのペースに合わせるのを止める事にした。

「悪いけど、沢村さんの恋愛妄想にはもう付き合ってられない」
「え?」
この冷たい言葉を聞いて、沢村さんは驚いた顔で俺を見た。
今まで仕事の部下だと思って色々丁寧に接してきたけど、ここまで来るともう突き放すしか方法が分からない。

「君には恋愛感情は全く無いし、菜恵の事を抜いても多分好きになる事は無いと思う」
こんなにハッキリ言うまで察してくれなかった沢村さんに、俺は心底ガッカリした。
せっかく真面目で仕事の出来る子を育ててるつもりだったのに、結局色恋が絡んでくると、仕事もめちゃくちゃだ。

非常階段で泣いてる沢村さんを残して、俺はそのまま仕事に戻った。

「おい、さっき何で沢村さん泣いてたんだよ」
近くで見ていたリーダーがかなり気にした様子で、そう聞いてきた。

「情緒不安定って感じですね。しばらく放っておいた方が彼女も落ち着くと思いますよ」

こんな具合に、俺は沢村さんを残酷かと思えるほど冷淡に拒んだ。
それぐらいしないと、どこまでも強引に押して来る気配があって、さすがの俺もちょっと怖くなったというのもある。

ところが…この事が、社内で余計な噂になって広がった。
何でそういう噂になるのか、俺は本当に人間の集団心理ってやつを不思議に思う。

「おい、舘。沢村さんと結構いい仲だったのに、後藤さんに子供できたから彼女を振ったって本当なの?」
こんなダイレクトな質問をされ、馬鹿馬鹿しくてその場で笑ってしまった。
「面白いシャレだな、それ。何だよ…どういうギャグなんだよ」
「シャレじゃねーって。沢村さんは舘に振られたショックで、診療内科に通うようになってるって聞いたぞ?」
それを言った男は噂に踊らされるタイプじゃなかったから、俺は笑うのを止めた。
事態がやや深刻味を帯びている気配がした。

沢村さんが最近病院に通っているのは、上司に時々外出届を出してるのを見て何となく分かっていた。
でも…まさか、俺が冷たく突き放したぐらいで病院に行くほど悩むか?
付き合ってたカップルならいざ知らず…俺には最初から全く気が無い事をアピールし続けてきたのに。

噂が万が一菜恵に流れでもしたら、どれだけショックを与えるか分からない。
俺は菜恵に接触しそうな人間全てに、この噂はまるっきりの嘘だけど菜恵には絶対耳に入れるなと念押しした。

                             *

「面倒なのに好かれたなー…」
如月が微妙な顔をして俺の話を聞いている。
禁煙してたはずなのに、我慢しきれなくなったのか、もう煙を吐いている。
「ああいうタイプは初めてで、どうしたらいいか分からん。甘くすればどこまでも深入りしてくるし、冷たくすれば被害者面するし…本当にお手上げだ」
俺よりは女経験が豊富そうな如月は、ちょっと対策を考えるよう、顎に手をあてた。

「アドバイスにもならないけど、沢村さんタイプは逃げても無駄だと思う。とことん向き合って、あっちが”もういいや”って思えるほどにならないと、気持ちだけ暴走するから危険だ」
「とことん向き合う」
聞いただけでめんどくさそうな話しだ。
でも、そうしないと菜恵を助けられないとなると、やるしかないだろう…。
「その手の人間は基本的に自分中心だから、後藤さんが悲しむとか、お腹の子に影響があるかもとか…そういう考えは一切働かないのを覚悟した方がいい。俺はもう後藤さんからは手を引いてるから、手助けはここまでにしとく。とにかく舘さんの言動にかかってるって事で、頑張れよ!」

如月の手が勢い良く背中にパンっと当たって、ぐったりしている体に少し刺激が走った。

菜恵の耳に入らないところで、俺は何とか沢村さんの暴走を止めなくてはならない。
その為にも、彼女ともう一度直接対決するしかなさそうだ…。

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