ヴィーナス

Side 手島 陽 3


武藤の存在が、猛烈にうっとおしかった。
あいつが美月を好きなのは、二人が小学生の頃から知っている。
無愛想にしながらも、美月が何か困ってないか・・・チラチラと様子を伺ってるのが、時々地元の子供会行事に出る事で分かった。

それでも美月はこう言ったら悪いけれど、恋愛とかそういうのには相当遠い精神年齢で。
俺は彼女が幼い事に安心していた。
当分彼氏を作ろうとか、そういうのは考えそうもないと思ったからだ。

なのに・・・無防備に武藤を家の中に上げているのを見て、焦った。
美月が訳の分からない状態で、何かされてもおかしくないシチュエーションだった。
武藤っていう男は、今時珍しく、昔の侍魂みたいなのを持っていて、まあ・・・絶対美月の同意が無いまま何かをするようなタイプじゃないのは分かっていた。
けれど・・・二人が一緒の空間にいる場面を直接目にして、俺は武藤を無視した。

美月も、俺があんな態度をとったのに戸惑っていた。

美月にだけは知られたくない。
武藤には悟られた可能性があった。
でも・・・美月にだけは・・・絶対に知られちゃいけない。
・・・俺の本心。

彼女を鳥取に残したまま出るのはちょっとためらったけど、俺は大学は東京に出ると決めていた。

もっと・・・もっと自分の可能性を確認したい。
どうして自分がこの世に存在してるのか・・・どうして人間はこうやって生まれて・・・死んでいくのか。
そういう漠然とした疑問を俺は常に抱えていて・・・就職するまでの4年間で、その答えのカケラでもいいから知りたいと思った。

美月が難解だと言って何回か読み返している「銀河鉄道999」の中には、そういう壮大なテーマが隠れていて・・・俺はそれを愛読していた。
ただ、それで答えが得られたわけでもない。

そんな馬鹿みたいに、こ難しい事を考えている俺を、常々理解不能・・・といった調子で見てくる美月。
俺の心がいつか暴露される日が来るんだろうか。
少なくとも、あのまま一緒の空間で過ごしていたら、いずれそれは暴露されたに違いない。

俺が高3で・・・美月が中3の2月。
一応まだ俺の受験もあと少し残っていた。
でも・・・もう、俺は東京に出るとほぼ決まっていた状態だった。
そんなある日、リビングで本を読みながら居眠りしていると・・・ふわっとタオルケットがかけられるのが分かった。
美月が無言でそれをかけてくれた。

「美月・・・」
声をかけたら、彼女は驚いて振り向いた。

「いくら暖房きかせてても、何もかけなきゃ寒いでしょ。風邪ひいたら・・・大変でしょ」
めずらしく、美月が年上みたいな事を言ってきた。
寝ぼけた目で見たせいか・・・ちょっともやがかかったみたいに見えて・・・美月の顔が妙にきらめいて見えた。

「・・・ちょっとうたた寝しただけだよ。大丈夫」
そう言った俺はタオルケットを外した。
それを見て、美月が意地でもタオルケットをかけようと、またそれを広げた。

「眠いなら寝たほうがいいよ。お兄ちゃん・・・毎日遅くまで勉強してるし・・・寝不足なんでしょ?」
タオルケットを握りあって・・・俺達は相当な近さにいた。
美月の柔らかいセミロングのふわふわした髪が、俺の顔にかかるぐらい・・・近かった。

美月の目と俺の目が・・・合った。
とたん、俺は唐突に美月の体を引き寄せて・・・しばらく彼女を胸に抱きしめた。

「・・・陽・・・くん?」

美月は驚いて体を硬直させていた。
俺だって・・・何でこんな事してるのか、自分でも分からなかった。
ただ・・・もうすぐ遠くに行かなくてはいけないという気持ちが、そうさせたような気がする。

「美月・・・俺は離れてもお前を守る気でいるから・・・。何かあったら、すぐ連絡よこせよ」
そう言った俺の言葉を美月は素直に受け取った。
兄が離れる妹に・・・伝言を残した・・・とでも思ったのかもしれない。

「うん。陽くんは私の大好きなお兄ちゃんだからね、誰よりも先に何でも報告するよ。なるべく・・・心配かけるような報告はしたくないけどね」
そう言って、美月も俺を軽く抱きしめ返してきた。

お兄ちゃん・・・か・・・。
大好きとか言われても、全く嬉しくない。
そのまま美月にキスでもしてしまいそうな勢いの俺は、慌てた様子を見せないように・・・そっと彼女を手から離した。

「じゃあ・・・寝るから」
そう言って、俺はソファの上で寝返りをうって美月に背を向けた。
どういう顔をしていいのか・・・分からなかった。

本当に・・・何で、この世を作った奴は・・・男と女なんて二種類の性別を作ったんだろうか。
繁殖するだけなら、バクテリアみたいに増殖するだけでいいだろ。
恋とか、憎しみとか・・・こんな複雑な思いを・・・何で人間だけ抱えてるんだよ。
知能なんて結構な能力を身につけているように見えるけど、地球に生息する生物の中で一番弱くてモロい存在なのは人間だ・・・っていう気がしている。
あまりにも複雑な感情を持っているせいで、お互いを殺しあうという現象まで起きる。

何なんだ・・・人間って。
肉体的な欲望を捨て去って、人を愛するっていう感情を・・・どうやったら手に入れられるんだ。
それさえクリアすれば・・・美月を女としてじゃなくて、妹として一生見守っていける。
そんな気がしていた。

こんな事を考えているから・・・ほとんどの人間は、俺が上辺で浅い話をしても、何だかつまらないなあという顔をする。
そりゃそうだ、俺だって面白くは無い。
何だか分からないけど・・・俺は常に孤独だ。

東京に出て、一人暮らしをするようになっても・・・その状況に変わりは無かった。
どこに住んだって、どれだけ離れたって、俺の心は常に美月に占有されている。
美月のいなくなった生活は・・・衛星を失った太陽みたいに、寂しいものだった。

だから、家族にも金の心配をされるほど俺は、鳥取にしょちゅう帰った。
美月の元気な姿を見る為だ。

高校生になって、発達の遅かった美月も・・・やっと女の顔を見せたりするようになった。

帰省した時、たまたま早めの風呂に入ろうと思ったら・・・服を脱ぎかけた美月とバッタリ会った。
「ちょ・・・出てってよ!」
赤い顔をして、美月が俺に脱いだ上着を投げてきた。

前はこんな反応見せなかった。
もちろん・・・いくら好きでも、妹の風呂を除く趣味なんか俺は無いから、たまたま美月が入ろうとしている場面に出くわすっていう事は、ほんの数回あった。
でも、その度に焦るのは俺の方だった。

「ごめん!」
そう言ってすぐにドアを閉める。

でも・・・今回はその謝るタイミングの前に、美月が反応を返してきた。
美月は下着をつけたまま風呂場に入って行く・・・。
それを俺は黙って見ていた。

「・・・」
投げられた服を頭から落として、俺は呆然とそこに立ちながら・・・何だか、自分の心がどこに行ってしまうのか分からない感覚になっていた。

下着だけになった美月の体は・・・いつの間にか、完璧に「女」になっていた。
痩せているから、服を着てるとあまり分からない曲線が・・・まともに分かってしまった。
小柄だけど、全体にバランスのいい・・・真っ白で綺麗な美月の体。

あの体に・・・別の男が触れるのか。
そんな事を思ったら、俺の絶望がますます深くなった。

肉体的な欲望に支配される自分がたまらなく汚れた人間な気がして・・・頭をかき乱さずにはいられない。

美月と本当に血が繋がってるんじゃなければ・・・俺は、どうにか彼女を自分の傍に留める手段をとったに違いない。
別の男に揺れたって、そんなの一時期だけだ。

本当に美月を守ってやれるのは俺だけ・・・俺だけなんだ。




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