ヴィーナス

Side 手島 美月 1


転校初日から最悪だった。
ちょっと言葉を発しただけで、クラスの子が笑う。
私は秋田に生まれ育ったから、確かに秋田弁が身についていたと思う。
でも、自分では正しいと思っている言葉を頭から笑われると・・・相当ショックなものがあった。

お兄ちゃんがいれば・・・陽くんがいれば、こんな目にあわなくて済んだかもしれないけど・・・彼にこれ以上心配かけるのも気がひけた。
精神年齢も体の発育も、同学年の子よりやや遅れている私の事を、お兄ちゃんはいつも心配してくれる。
私が小学校に上がったばかりの時、5年生だった陽くんが唐突に“お兄ちゃん”として現れた。
まるでスーパーマンが私の前に現れたみたいに・・・颯爽と。

彼は、勉強ができて、スポーツもできて・・・見た事もないほど綺麗な人だった。

「俺、母さんがいない生活に慣れてるから・・・ほとんどの家事できるよ」
そう言って、彼は共働きの両親に代わって家事をかなり積極的に手伝っていた。
それを見習って、私も彼のお手伝いをするのが楽しくなった。

小さい頃からお父さんとお母さんの仲が悪くて、いつも居心地悪く暮らしていた私。
お母さんが離婚して、すぐに別の人と再婚すると知ったのは正直ショックだった。
でも、陽くんというお兄ちゃんの存在が、私のどん底の心を救ってくれた。

いきなり義理の兄だから仲良くしてねと紹介されて・・・最初は動揺したけど、すぐにその優しい微笑みの虜になった。

この凛として・・・どこから見ても整った姿をした彼を見ていると・・・どの男子も影が薄らいだ。
小学校でもかなり目立っていたお兄ちゃんだけど、引っ越してきた鳥取でも、中学2年になるなり生徒会長になっていた。
どんな人もあっという間に虜にしてしまう、心のマジシャン。
それが、私の義理の兄・・・陽くんという人。

私がどんなに憧れても、お兄ちゃんはいつも手の届かない場所にいる。
澄みきった彼の瞳は、いつでもずーっと遠くの未来を見ているようで捕らえどころが無く、心を読む事はできない。
冷静で・・・取り乱したところなんか、一度も見た事がない。

一緒に住みながらも、何だか遠い人だな・・・という印象だ。


私の「美月」という名前と「陽」という名前を見て、両親は驚いていた。
「月と太陽か・・・。お前達、何か相当な運命で繋がってるんじゃないか?」
新しいお父さんは、酔った時にそんな事をつぶやいた。
それは、お父さんに言われなくても、会ったその日に私が感じた事だった。
全く別の親から生まれたのに、名前が妙にリンクしているのが不思議だった。

小学校で一緒だった時は、いつでも私は陽くんの妹として見られていて・・・誰もいじめようなんて思っている人はいなかった。
せっかく仲良しになった子もたくさんいたのに、私はお父さんの転勤で全く未知なる土地に引っ越す事になった。

で・・・最初に言ったみたいに、秋田弁の事を馬鹿にされて・・・自然に無口になった。

それでも、転校初日に一緒に帰ってくれた武藤くんっていう男の子が、多少気を使ってくれているのが分かった。
不器用な性格なのは、その態度からも分かった。
声をかけようとして、チラチラ私を見るんだけど、どうにも声をかけづらい・・・っていう感じで結局無言で前を向いて猫背ぎみに歩いている。

私が引っ越した家の場所を正確に把握してなかったせいで、彼は私が道を間違っているのをオロオロと見ていたらしい。
後ろからお兄ちゃんが声をかけてくれたから、それに気が付いたけど・・・あのままだったら、私は転校初日に迷子になるところだった。

「あそこの男の子が、美月の事見て心配そうにオロオロしてたよ」
そう言われて、彼の方を見ると・・・武藤君は照れくさそうに視線をそらして、そのまま自分の家の方に歩いて行ってしまった。

いい人だな・・・。

直感的に、そう思った。
何ていうか、根っこに持ってるものが暖かいっていうのが分かる。
表面はクールに装ってるけど、困ってる人とか、可愛そうな人を放っておけないタイプの・・・人。

武藤くんは私の言葉の事を、“別に変じゃない・・・他にもそう思ってる女子はいるはずだ”・・・って言ってくれた。
確かにそうかもしれない・・・と思ってクラスを見回したら、一人だけ最初から私を一度もからかってこなかった人がいた事に気付いた。
その子も、私と同じようにクラスでは仲のいい人はいないみたいで、いつも自分の机で難しそうな本を読んでいた。

「・・・何の本読んでるの?」
思いきって声をかけてみた。
確か・・・名前は古谷さんだった。
古谷・・・朝子だったかな?

「星の王子様」
それだけ言って、目線だけ私にチラッと送ってきた。
キリッとした目で、真っ黒なストレートヘアが印象的な古谷さん。
誰にも後ろめたい事なんか無い・・・っていう雰囲気で、いつも一人で凛としている。

この雰囲気は・・・私のお兄ちゃんに似ている。
陽くんを女の子にしたら、こんな子になるような・・・そんな気がした。
だからかな・・・この人に私が惹かれたのは。

「へえ。私、読んだことないんだ・・・面白い?」
そこまで言ったところで、彼女は本をパタンと閉じた。

「気が散るから、もう読書は止めた」
「あ、ごめんね」
私は機嫌を損ねたのかと思って、彼女の前を去ろうとした。

「いいの。別に・・・これはもう読むの10回目だし」
それを聞いて、相当驚いた。
私も読書は嫌いじゃないけど・・・同じ本を10回も読むなんてあり得ないから・・・驚いた。

「そんなに面白いの?」
窓際の彼女の席の壁にもたれかかって、私はそう聞いた。

「うーん・・・面白いっていうか・・・。何か、人間にとって大事な事が全部この中に凝縮されている気がするんだよね。読んでみる?」
そう言って、古谷さんは私に本を差し出した。

3年生の女子が言う言葉にしては・・・結構深いな、と思った。

「いいの?ありがとう」
私は遠慮なくそれを受け取った。

これが・・・親友朝子との本当の出会い。
ちゃんと言葉を交わした最初のシチュエーション。




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