ヴィーナス

Side 手島 陽 1


美月、朝子、武藤・・・の3人が同時に東京にやってきた。

俺は一人きりで東京の空の下にいたけど・・・唐突に懐かしい風が吹いてきたような感覚がした。
それでも、武藤と美月が付き合ってる事実を考えると・・・どういう顔をして会えばいいのか、ちょっと戸惑っていた。

俺は大学を卒業して、院には進まずに就職した。
比較的大手の企業に勤める事で、とりあえず東京で生きていくポジションは得られた。
ただ、この仕事が自分の望んでいたものか・・・というと、かなり違うと言わざるを得ない。

壮大な疑問の解決を少しは願って東京に出てきたけれど、その答えなんか・・・どこにも見つからなかった。
それどころか・・・疑問が余計大きくなって、俺の心を押しつぶしそうなほど巨大になっていた。
そもそも、誰にも解けない数学の問題を解こうとしているのと同じなぐらい、俺の思考は、人間が考え出したら止まらない永久のラビリンスのようなものだった。

それぞれの入学式も済んで、5月の頭・・・落ち着いたな・・・っていう時期に、朝子からまた連絡が入った。

懐かしい面子が揃うっていうんで、俺は3人と会うはめになった。
朝子が召集をかけて、強引に美月と武藤も引っ張ってきた。
俺は美月が東京に来たっていうのを知ってたのに、全く会おうとしなかった。
メールをもらっても、仕事が忙しいというのを理由に断わっていた。

距離を置きたい。
会いたくない。

これは・・・死ぬほど会いたいという心の裏返しだった。

それでも・・・強引な朝子の招集で・・・俺はしぶしぶその集まりに顔を出した。

武藤も相当嫌な様子で店に入ってきた。
お互い思ってる事は一緒だ。恐らく。
美月も、武藤と一緒の状態を見られるのを恥ずかしそうにしていたけれど、久しぶりに俺の顔を見て安心したような笑顔を見せた。

ちょっと二人の様子を観察して・・・俺は軽くホッとしていた。
小学生かよ・・・っていう程、二人の付き合いはまだまだ深いところまでいってないのが分かった。

懐かしいメンバーが顔を揃ったと言って、朝子が一人興奮して話していた。
美月と武藤は、それに相槌を打ったり照れ笑いをしたりしている。
俺は、黙って3人が話しているのを見ていた。

「手島さん・・・東京に来ても、全然変わらないですね」
朝子がそんな事を言ってきた。

「変わらない・・・?どう変わると思ってた?」
「ん〜。まあ、昔から洗練された雰囲気ありましたけど。あの頃と全然変わらなくて・・・要するに、ホッとしたって事です」
朝子が、かなり大人になった顔でそんな事を言った。

昔からキリッとした顔をした子だったけれど・・・どんどん綺麗になって、今のこの子だったら、どんな男でもすぐにOKをしそうなほどの眩しさだった。
その隣りで、気まずそうにジュースを飲んでいる美月。
朝子がハッキリとした美人なのに対して、美月はぼんやりとにじんだ水彩画のような存在に見える。
決して目立たないんだけれど・・・ジワジワと心に広がる色合いを持っている。

せっかく少し遠ざかったのに、結局またこの距離まで美月は近づいてきた。
しかも・・・ちょっと他人みたいな顔をして・・・隣りに好きな男を連れて・・・。

「俺だって・・・少しは変わったよ。外からは見えないかもしれないけど、内面がね・・・多分・・・」

「え、どう変わったの?」
美月がちょっと意外な事を聞いた・・・みたいな顔で見つめてきた。

「外から見て変わってないように見えたなら、それでいいんだ。決していい方向に変わっている訳じゃないと思うし、大人になるっていうのは・・・そんなにいいもんでもないよ」
未成年の3人をさしおいて俺は一人でアルコールを入れていた。
そのせいなのか・・・俺はいつもより少し口数が多かった。
武藤は、俺が話すのを表情も変えずに黙って聞きながら、適当に飯を食っていた。

この飄々とした態度・・・この態度自体で、俺に何か挑んでいるのが分かる。

「二人の付き合いはどうなの・・・うまくいってるの?」
俺は、自分から火薬をしかけるような言葉を吐いた。
一番触れたくない・・・と思っているのは俺自身なのに・・・それを隠すように、わざと話題にのせた。

「ええ、まあ・・・。お兄さんは美月の事が心配なんでしょうけど、うまくいってますから大丈夫ですよ」
武藤がとうとう戦闘態勢むき出しの顔で、そう言ってきた。
・・・面白いな、これだけ正直に生きてこられる人間っていうのも・・・そうそういないだろう。

俺が嘘だらけの仮面で作られた完璧な男を演じているのに対して、武藤は・・・そのままの姿が彼本人であり、武器でもあった。
盾を必要としない・・・生身の体そのものが、奴の武器だ。

この体当たりの男に、俺はまともに応戦する気も無くて。

「そりゃよかったね。妹の事・・・よろしく頼むよ」
なんて・・・いつだか、小学生の頃にあいつにお願いしたみたいなセリフを言った。

美月はちょっと変な雰囲気になった俺と武藤の顔を見比べて、オドオドしていた。
俺がこういう愛想の無い態度をとるのが武藤の前でだけだ・・・って気付かれてもおかしくない場面だったけど、どうにもならなかった。

武藤がそろそろ帰ろうとか言い出して、美月を引っ張って先に店を出て行った。
美月は・・・名残惜しそうな顔つきをしながら・・・店の外に消えていった。



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