グリーンフラッシュ

2.

それから数日後、満月の夜。
三人は広い空き地まで望遠鏡を持参し、月を見る会を開いた。

望遠鏡を運ぶのが大変だからという事で、使う望遠鏡は昴のもの。
場所は彼の家から20分ほど歩いた場所にあるだだっ広い空き地だ。
売地なのに、全く客に人気が無いらしく、いつでも草がぼうぼうと生えている。

「もう蚊はいないだろうけど、一応虫除け持ってきた」
そう言って、昴が茉莉と花音の足にそれぞれ防虫スプレーをかけた。

ヒヤリとするそのスプレーの感覚に、花音は体が一瞬震える。
高校の制服のまま来てしまったから、プリーツスカートの下は素足だ。

じっと立っていると寒いからと言って、花音は草の生い茂った空き地をサクサクと歩き回った。

「昴のマイ望遠鏡、久しぶりー」

茉莉は早速それを覗こうと望遠鏡に近付いた。
すると、それを阻止するように昴が茉莉の肩をつかんで自分が前に出た。

「茉莉はターゲット絞るの下手だろ?お前が望遠鏡覗いてる間に夜が明けるっつーの」
「いいでしょ、時間がかかったって最終的に見えればいいんだから!昴の意地悪!」
昴の言葉に、肩を叩いて茉莉が応酬する。
それでも昴は微動だにせず望遠鏡を覗き続けながら、冷静に返事をした。
「ああ、意地悪で結構。優しいとか気味悪い事言われるより、ずっと気分いいや」
「ホント、昴って性格悪くなったよね。小さい頃あんなに素直だったのに」
「茉莉だって昔は可愛かったのに、変わったよな」
「もう!!マジ頭くる…馬鹿!」

二人の声が、空き地中に響き渡る。

その様子を見ていて、花音がクスクスと笑った。

「何が可笑しいの、花音!」
茉莉が本気で睨んでいるから、花音も笑っていた口に手をあてて笑うのをストップさせた。
でも、笑いがこみあげてきて止まらない。

「二人とも…馬鹿みたいな事で喧嘩してるから。可笑しくて」
目に涙を浮かべながら、花音は再び笑った。
その様子を見て、昴も望遠鏡を覗きながらこらえきれないようにククッと笑った。

「あ、昴まで笑ってる。何よ、そんなに可笑しい事言った?」

「茉莉…そうやってムキになって怒ってること自体が面白いんだよ。分かってる?」
望遠鏡から目を離して、昴は茉莉をチラッと見てニヤリとした。
何となく花音と昴に上から目線で見られている気がして、茉莉はまだ怒りが収まらない様子で黙り込んだ。

茉莉のこのストレートな感情表現が、どちらかというとあまり心を表に出さない花音には新鮮で面白かった。
自分が男なら、ずっと一緒にいても飽きない茉莉みたいな子を好きになるに違いないと思ったりもした。

生まれて初めて、花音は友人に愛情というものを感じていた。

茉莉がクラスの偏見から守ってくれなければ、花音は今頃まだ孤独の中で暮らしていた事は間違いないだろう。それが、今、自分はこうして月なんか見上げて笑って過ごしている。

全て茉莉のおかげだ。

友達って……、こんなに愛おしいものなんだ。

高校1年の秋。
花音は心から好きになれる友達に出会えた事を感じて、クリアな夜空を眺めながら笑みがこぼれるのを止められなかった。



月見会が終わり、三人になる事によって天文部もやや部活らしい形になった。
この日も二人で昴を冷やかし、少しだけ天文についての雑談をしてから帰宅した。

「チョコレートが食べたくてしょうがないんですけど」
帰宅途中にある古びた小さな食品店の前で、茉莉が足を止める。
ここに立ち寄るのは初めてではなくて、時々立ち寄ってはガムだったり飴だったり…色々買い食いをしている。

板チョコを一枚買ってそれをバキッと豪快に折り、茉莉は大きい方を花音に差し出した。

「いいよ。私は少しで。茉莉が食べたいって言ったんだから」
そう言って小さい方に手を伸ばすけど、茉莉はそれを渡してくれない。

「花音はねー、ちょっと細すぎるんだよ。少し太ってもらわないと、私がデブみたいで嫌だ」
真面目な顔でそんな事を言う茉莉。

別に彼女は普通の体形だけれど、確かに花音は風で飛んでしまいそうなほど細いから、並ぶと茉莉の方が体格は良く見えてしまうだろう。
だからと言って、チョコレートを少し多く食べたからといって何が変わる訳でもないんだけどなあ…なんて思いながら、花音は黙ってその板チョコをかじった。

「美味しい」
「ね、チョコって女の子を幸せにするアイテムの一つだと思わない?」
「思う、思う!!」


茉莉と二人で並んで帰る、学校から駅へ向かう道のり。
花音はすっかり茉莉のペースに巻き込まれ、思いがけず楽しい日々になっている。

一人でもいいやと思っていた生活に色がついたような気がしていた。

転校してきてまだ1ヶ月だ。
なのに、茉莉のおかげで花音は少しずつクラスにもなじんできていた。
今まで過ごしたどの学校よりも、居心地がいい。

何と言っても、放課後に立ち寄る場所があるなんて初めての事だから、花音にとってはそれだけで冒険的な楽しさだった。
最初に足を踏み入れたくないなんて思ったのが嘘のようだ。

特に花音が嬉しいと感じたのは、初めて異性の友達が出来た事だった。
昴は無口で、たまに口を開いてもぶっきらぼうな事しか言わない。
花音に対して全くフレンドリーな態度はとらない彼だけど、茉莉とは時々夫婦漫才みたいな事をしている。
それを見ているのが楽しくて、花音は孤独だった自分が少し変化しているような気がした。


「茉莉…西崎くんの事好きなの?」
チョコレートを食べ終わって、もう駅が見えるという場所で花音はそうつぶやいた。
「え?」
花音の唐突な言葉に、茉莉は足を止めた。
何となく言った一言だった。
でも、その言葉が茉莉にとっては相当驚く事だったようだ。
「そう見える?」
「うん。天文部に寄って彼と会いたがってるように見える。クラス違うから普段は会えないもんね」
「……あんた、超野力者か何か?」
茉莉は心底驚いた顔をした。
自分が秘めている昴への思いは絶対的に内緒なのだ。
なのに、まだ付き合いの短い花音が茉莉の本心を見抜いていたというのは、かなりの衝撃だった。
「西崎くんを見てる時の茉莉って…すごく可愛い顔してるから。茶化しながらも、彼が反応すると嬉しそうだし」
こう言われ、茉莉は全く言い訳する事が出来なかった。自分の事は自分が一番見えていないものだな…なんて思ったりした。

「そうか…バレていたか。でも、昴にはまだ知られたくないんだよね…この気持ち」

茉莉が昴を好きだと意識したのは中学になってからだ。

両親の離婚によって、性格に影を落とすようになった昴を元気付けたいというのが最初の気持ちだったけれど、それが時を追うに従って「これは恋なのではないか」と思うようになった。

昴の好きなものに興味が沸く。

昴が楽しそうにしている瞬間を見逃さず、何に彼は喜ぶのかを観察する。

こういった自分の態度や気持ちを総合すると、どうやら…幼馴染という枠を超えた気持ちになってしまっているのだ…と、自分でも気付いていた。
でも、昴の気持ちは皆目分からないし、下手に告白して振られたら幼馴染の関係も壊れそうだったから、秘密にしていた。

「大人になる前に告白はしとこうと思うけど…。今は幼馴染の関係でいいんだ」
「……そっか」
花音はそれ以上茉莉の気持ちに突っ込まなかった。
短い今の会話だけでも、彼女の昴に対する気持ちがどれだけ大きいものなのかが分かったからだ。



しばらくして、茉莉がひどい風邪をひいて連日学校を休んだ事があった。
花音は毎日のように電話したりメールしたりして彼女の具合を聞いていたけど、昴とは連絡をとっていなかった。

茉莉が休んで三日目の放課後、突然昴がクラスに顔を出して花音を呼んだ。

ダイレクトに彼から声をかけられるなんて今まで無かったから、花音は驚いてクラスの出入り口に向かって小走りした。
「どうしたの?」
「茉莉…今日も休んでるんだろ?」
さすがに3日も休んでると知って、昴も茉莉の様子が気になったみたいだ。
「うん。電話の感じだとだいぶ元気になってるみたいだけど……」
「何か天文部がいつもに増して暗いから、今日は俺もあの部室に行く気になれないよ」
茉莉がいないと何となく昴に会いにくい感じがして、花音は天文部に顔を出すのもやめていた。

「あのさ、あいつの好きなプリン買って見舞い行かない?」
昴が初めて花音に積極的に声をかけた。
「う、うん。いいよ」
花音も茉莉のお見舞いと言われれば断る事も出来ないから、そのまま素直に昴と一緒に学校を出た。


10月も終わりに近付いていて、風景がすっかり枯れゆく姿になっている。
木枯らしが襟から体に入り込んで、思わず首をすくめる。
「もうマフラーとかしたい気温だね」
花音がそう言うと、昴も「だな」と答えた。

何も言わない昴の隣を、ただポテポテとついて歩く花音。
二人の影はどこまでも長く道路の斜め後ろに向かって伸びていた。

小説家の娘という血を受け継いでいるせいか、花音は季節の変わり目や人間の情緒を鋭く察する力があり、自分でも分からないところで傷ついたり感動したり…そういう特徴があった。

「夕焼け…すごく綺麗だね。秋って、どうしてこんなに空が綺麗なんだろう。私、秋の空が一番好き」
そんな事を言って、あぜ道の向こうに見える夕日の隠れた山を見ながら花音はしんみりした。

いつこの土地を離れるかも分からないけれど、美しい風景はどの土地にいても見る事が出来る。
花音は、そんな一瞬の感動を全て頭の中に焼きつける。
今まで蓄積した感動のシチュエーションを文章に起こしたら、一冊の本になるかもしれない…というほどに、色々な思いがその小さな胸の中に詰められていた。


「夕焼けって言えば、日本ではオーロラが赤く見えるって知ってる?」
昴がめずらしく自分から口を開いた。

「知らない。オーロラって虹色でカーテンみたいになってるんじゃないの?」

「それは高緯度で見られるやつだよ。でも、日本は緯度が低いから、酸素の色しか見えないんだ。この夕焼けよりずっと赤くて、本当に山火事でも起こったのかと思われるぐらい赤かったんだって」
そう言って、目の前に広がる空を眩しそうに昴は眺めた。

オレンジを残しながら、少しずつ暗くなる景色。
秋らしく、すごく高い位置に雲がうろこ状に広がっている。
それを見ながら、二人は空一面に広がる赤いオーロラを想像した。

「西崎くんて、天文にすごく詳しいんだろうね。夕焼けがどうして赤いの…とか、初歩的な事にも私は答えられないから…天文部だなんて誰にも言えないよ」
花音がそう言って俯くと、昴はクスッと笑った。
彼が自然に笑顔を見せるのはめずらしい事で、花音は思わず彼の横顔を見た。
それを知ってか知らずか、昴は話しを続けた。

「夕焼けでもう一個教えてあげるよ。グリーンフラッシュってあるんだけど」
「あ、それも知らない。何?」
「太陽が完全に沈む間際、太陽の頭が緑色に少し光る事があるんだ。すごく稀な事だから、頑張って見られるものでもないんだけど」

それを聞いて、花音は何となくラッキースターを連想した。

「そのめずらしいグリーンフラッシュを見たら、きっといい事が起こりそうな予感がするね」
「前園らしい発想だな、まあ…宇宙ってある意味地球上の汚いものを帳消しにしてくれそうなパワーがあるよな…。俺、宇宙の何が好きって、そういうところが好きなんだよ」

昴が宇宙に興味を持つ理由を聞いたのはもちろんこれが初めてで、花音は何となく昴の持つロマンみたいなものを垣間見た気がした。

「もしグリーンフラッシュを見たら、地球上のどこにいても必ず西崎くんを思い出すよ」

花音が真面目な顔でそう言ったのを聞いて、昴は不思議そうに彼女の顔を見た。

「私、転校多いでしょ?だから、多分この土地にもそれほど長くはいない気がするんだ。だから…せめてせっかく知りあった友達の事はちゃんと覚えておきたいの」
「……」

まだ知り合って一ヶ月だというのに、すでに最後のお別れを予感させるような言葉を発した花音に対して、昴は何も言わなかった。

転校続きで、一つの土地に留まる事を知らない花音。
彼女の大切な思い出は、心のアルバムにきちんと記憶されていく。
そして、その記憶は驚くほど鮮明に彼女の頭の中に残るのだ。

昴と歩いたこの時間が花音にはとても思い出深いものになり、心のアルバムにまた景色が増えた。

題名は『スバルとグリーンフラッシュ』。

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