ワンルームで甘いくちづけを

1. 出会い

1−3

 十月の風が肌に心地いい季節。
 外の街路樹は少し色づき始めていた。
 兄が好きだった冬まではあと数か月。クリスマスイブは毎年二人で祝っていた。もう……二度とあんな幸せなイブはやってこないだろうけど。

 佐伯さんと並んで歩いているというのに、私は失礼にもこんな事をボンヤリ考えていた。すると、隣の佐伯さんがおもむろに口を開いた。
「先ほどあなたの叔母様から伺ったんですが」
「はい?」
 木の葉に奪われていた目線を慌てて佐伯さんに向ける。
「菜都乃さんには、ご両親やご兄弟がいらっしゃらないとか」
「あ……はい、そうなんです。両親は事故で亡くなりましたし、兄は病気で」
「そうですか。じゃあ……今までお独りで大変でしたね」
 何だか社交辞令みたいな言葉でこんな事を言われ、のんきな私の頭にも何かカチンとくるものがあった。
「いえ、私は独りじゃありませんから」
 ハッキリとした口調でこう答えたから、佐伯さんは少し驚いた表情で私を見た。
「私の心には兄がちゃんと生きているんです。だから、私は自分が独りだなんて思った事ありません」
「……」
 こんな事、お見合いの相手に言う事じゃなかったのかもしれない。でも、私にとって兄はこの世の誰よりも大事で愛しい存在。彼を超える人など、今後現れるとは思えないから……だから、私ともし結婚する人がいるとするなら……

「面白い」
「え?」
 私の言葉に気を悪くした様子は無くて、佐伯さんはさっきまで冷やかな表情をしていたのに……何故か今は微笑んでいる。
「菜都乃さんは……結婚なんて、本当はしたいと思ってないんじゃないですか?」
 本音のところをズバリと言われ、私は言葉を失った。
「別に悪い事じゃないよ。俺だって……かなり勝手な理由でこの見合い話に乗ったんだから」
「そうなんですか」
 突然敬語が外れ……砕けた調子で淡々と語り出した佐伯さんを、私は呆然と見上げた。
「正直恋愛っていうのは高校を卒業する頃には興味が無くなってたな。というより、女っていう生き物が好きじゃないんだ」
(何言ってるんだろう、この人?)
 怪訝な顔でもしていたんだろう。佐伯さんは足を止めて私の方へ向き直った。
「変な男だろ?こんな考え方してるくせに、君とこうやってお見合いしてるんだからさ」
「……」
「今まで真面目な恋愛なんてした事もないし……これからもするつもりはない」
 淡々と言葉を並べた後、彼は自嘲ぎみに笑った。
「自分でもややこしい人間だと思うよ。でも、このひねくれた性格が案外ライターっていう仕事には役立ってる」
「ルポライター……さんなんですよね?」
「うん。最初はリーマンもしてたんだけどね、自由業の方が俺には向いてるみたいだよ」
 私は特に将来も考えないでコーヒーショップの店員を続けている。だから、佐伯さんのルポライターという仕事に対しては尊敬の意を覚えていた。物事を深く考える人じゃないと出来ない仕事だし……彼なりの価値観や信念があるからこそ成功しているんだろう。

「このまま独りで生きていっても良かったんだけど。ちょっと困った事があって……それで、ここにいるわけ」
「困った事ですか?」
 私の言葉にコクリと頷き、そのまま彼の結婚観について少しだけ付け足した。
「結婚に変な幻想を持ってない女性を探してる……君はそういう人なのかなって少し思ってるんだけど」
 このセリフには私の心も反応した。
 確かに私は結婚に甘い幻想は抱いていない。私の心には兄がいて、多分夫になる人も彼を超える事はできないだろうと思っているから。

 でも、それを正面から受け止めてくれる人なんていないと思っていた。


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